しあわせ日記

8月8日(火) 人生の主役・脇役

 『生きる勇気が湧いてくる本』(遠藤周作)より、
 どんな人だってその人の人生という舞台では主役である。そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役のつもりでいる。
 だが胸に手をあてて一寸、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
 自分の人生の“主役”は、自分です。
 いちばん登場するという点では、間違いなく“主役”です。
 でも、それだけでは本当に“主役”とは思えないのではないでしょうか。

 物語の終わり方はいろいろありますが、代表的なのはハッピーエンドでしょう。
 “主役”とは、「幸せ(ハッピーエンド)を目指して努力する人」と言えないでしょうか。
 反対に、幸せになることをあきらめている人は、自ら主役を降りてしまっているのではないでしょうか。

 また、幸せをあきらめている人は、自分は人生の“主役”とは思えないような気がします。

 物語は主役だけでは成り立ちません。
 いい脇役がいれば、それだけ人生という物語も豊かになるのだと思います。
 自分のまわりの人を大切にすることは、自分が幸せになる方法の一つだと思います。

 自分が主役だからと言って、まわりの人を粗略に扱うのは“いい主役”とは言えないでしょう。
 また、自分の人生と同じように、人には人の人生があります。その人の人生では、その人が主役であり、自分は脇役です。
 脇役が主役にひどいことをしたら、主役は全力で反撃するでしょう。
 人の立場になって考えられる、思いやりのある主役になれたら、と思います。

 二人の主役は成り立たないのでしょうか?
 そんなことはないと思います。
 それを可能にする考え方の一つが、「人は人(でいい)、自分は自分(でいい)(、違っていていい)」ではないかと思います。

 基本的には、自分を大切にするとともに、人を尊重できるようになれたら、と思います。
 また、中には悪役のような人もいるでしょう。そういう人に自分の幸不幸をあまり左右されないようになれたら、と思います。
 そのためには、「自分は自分で好し」かつ「人は人でいい」と思えるようになれるといいのではないでしょうか。

 自分の人生の主役は自分ですが、脚本家も監督も自分です。
 自分が幸せになれるようなストーリーを考え、実践できるように努力することも大事でしょう。

 ただし、自分にはできない役柄もあると思います。
 “主役”はヒーロー・ヒロインばかりではありません。
 たとえば、『北の国から』では、田中邦衛さん演じる五郎さんも、純も、蛍も、決して完璧ではないし(むしろ不器用で)、それぞれに様々な苦労をしています。でも、それぞれに一生懸命に生きている主役だと思います。
 自分に合った主役を演出できたらいいのではないでしょうか。

 自分の人生を幸せなものにできるかどうかは、ひとえに自分にかかっている、ということでしょうか。



   

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