しあわせ日記
11月29日(火) 人の思惑に対する恐れ
ラッセルの「幸福論」(岩波文庫)第1部「不幸の原因」
第9章「世評に対するおびえ」より、
世評に対する恐れは、他のすべての恐れと同様に、抑圧的で、成長を妨げるものである。この種の恐れが強く残っているときには、いかなる種類の偉大さをも達成することはむずかしいし、真の幸福を成り立たせている精神の自由を獲得することは不可能である。
人からどう思われるか(人の目/世評/世間体など)を気にすることは、誰でも無意識のうちにしているのではないかと思います。
それが、自分が悪い方向に行かないように働いていることもあるでしょう。
でも、人の思惑を気にしすぎると、幸せに生きることは難しいでしょう。
人の目が気になる、人に気を遣いすぎて疲れてしまう、自分を出せない、やりたいことができない、自分が望むように生きられない、・・・。
世評というものは、世評に無関心な人びとよりも、はっきりと世評をこわがっている人びとに対して、つねにいっそう暴虐である。
世評に本当に無関心であることは、一つの力であり、同時に幸福の源泉でもある。
世の中にはいろんな人がいます。
人の批評をやたらとする人、人の悪口やカゲ口を言う人、人の噂話が好きな人、人のやることに干渉する人、自分の考えややり方を押しつけようとする人、・・・。
中には、弱い者いじめをする人もいます。
そういう人を変えることは難しいでしょう。
相手の言ったことに反論しても、素直に過ちを認める人はめったにいないでしょう。関係が悪くなり、余計にイヤな思いをするだけでしょう。
そういう相手にイライラしたり腹が立ったりするのは、心の中で相手が変わることを期待しているのではないでしょうか。(相手がこのままでいいと思うのなら、イライラしたりしないでしょう)
相手が変わることを期待しないほうがいいでしょう。
そのためには、まずは「こんな人もいる」と相手の存在を受け入れ、「こんな人をまともに相手するのはよそう」と考え、できるだけ平然とやり過ごすことができたらいいのでしょう。
相手の言葉に動揺して、ヘタに反応すると、さらに口撃されやすくなるでしょう。
平然と相手にしないことが、今のためにも、今後のためにもいいのではないでしょうか。
人や世間がどう思うかよりも、自分がどう思うかのほうが大事でしょう。
「(自分が)これでいい」と思うのなら、「(人に)どう思われてもいい」と考えられるようになれたらいいでしょう。
そういうことが、自分らしく生きることにつながり、自分の幸せな生き方につながっていくのではないでしょうか。