しあわせ日記
11月26日(土) ねたみ
ラッセルの「幸福論」(岩波文庫)第1部「不幸の原因」
第6章「ねたみ」より、
心配ごとに次いで、不幸の最も強力な原因の一つは、おそらくはねたみである。
ねたみ深い人は、他人に災いを与えたいと思い、罰を受けずにそうできるときには必ずそうするだけでなく、ねたみによって、われとわが身も不幸にしている。自分の持っているものから喜びを引き出すかわりに、他人が持っているものから苦しみを引き出している。
ねたんでも、いいことはないでしょう。
「うらやましいぐらいならいい」。
でも、「妬むのはやめたほうがいい」でしょう。
“人の幸せ”を“自分の不幸”にしてしまうようでは、幸せにはなれないでしょう。
人の幸せを自分の幸せにできるようになれればいいのでしょうが・・・。
少なくとも「人は人、自分は自分」と考えたほうがいいでしょう。
人に嫉妬してしまうのは、自分が幸せでないからではないでしょうか。
ということは、自分が幸せに暮らせるようになり、自分は幸せだと心から思えれば、人に嫉妬することはなくなるのではないでしょうか。でも、・・・
ねたみ深い人間は、こう言うかもしれない。「ねたみの治療薬は幸福だと私に言ったところで、何の足しになるのか。私は、ねたみを感じつづけている間は幸福を見つけることはできないのに、あなたは、私は幸福を見つけるまではねたむことをやめないと言うんだからね」
つい、ねたみを感じてしまうのはしかたがないでしょう。
人をねたんでイヤな気もちになっているのに気づいたら、「こんなことを考えるより、もっといいことを考えよう」「人をねたむ時間があったら、自分のために何かいいことをしよう」などと考えを切り替えられるようになれたらいいでしょう。
人をねたんで、イヤな気分になり、悪事を考える。
「そんな自分にはなりたくない」のではないでしょうか。