しあわせ日記

11月22日(火) バイロン風の不幸

 ラッセルの「幸福論」(岩波文庫)第1部「不幸の原因」
 第2章「バイロン風の不幸」より、
 私たちのうちの賢い人びとは、昔の時代に熱心に信奉されていたものの正体をことごとく見抜いてしまって、もはや、生きがいもなくなったことに気づいている。

 こういう考えをいだいている人びとは、本当に不幸である。
 しかし、彼らは自分の不幸を誇りにしている。おのれの不幸を宇宙の本質のせいだとし、不幸こそが教養ある人のとるべき唯一の態度であると考えているのだ。

(バイロンら)ペシミストたちは、人生のさまざまな快楽を点検したあとで、このような悲観的な結論に達したのであった。
 すべてのことを考えつくし(たつもりになって)、「すべてのことは空しい」と結論してしまう賢い人がいます。
「すべての快楽(楽しみ/幸福感)は空しい」
 すぐに消えてしまう(一時の)はかないもの、心の中の幻・錯覚、・・・
「人が(幸せを求めて)するすべてのことは空しい」
 地位や名声を得たから何だ、金持ちになったから何だ、いい男/いい女と結婚したから何だ、・・・得られものは空しい。結局、苦しみ・不幸はなくならない、・・・
「人生は空しい」
 生きる価値はない、生きがいもない、行き着くところは「死」である、・・・

 そういう人にとっては、宇宙も、人間も、自分という存在も、幸せも、「すべては空しいもの」になってしまいます。
 そして、(バイロン風な)不幸(な気もちで過ごすこと)になります。
 不幸が必然と考え、幸せになろうとしません。

 不幸になる考え方をしたら、誰だって不幸な気もちになれます。
 自分の道で成功した人でも、大金持ちでも、素敵なパートナーいる人でも、・・・。
 不幸になる考え方の最たるものが「すべてのものは空しい」という考えかもしれません。それでは永遠に幸せは感じられませんし。

 そこまで極端ではなくても、「人生なんてこんなもの」「どうせ私はこんなもの」などと思って、幸せになる努力をしない人は多いのではないでしょうか。

 自分の生きる目的がわからないとしても、どうせ生きるのなら幸せに暮らせたほうがいいでしょう。
 幸福感の価値を知り、幸せになる努力をしたほうが、自分のためにいいのではないでしょうか。



   

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