ホームページについて

97/ 2/17 はじめに
97/ 2/24 作る人にとってのホームページ
97/ 3/ 3 見る人にとってのホームページ
97/ 3/10 ネットサーフィン




























ホームページについて(1)はじめに

 「ホームページはクズばかり」と言う人がいる。つまらない、同じようなものばかり、オタクっぽい、役に立たない、1回見ればもう十分、など。そんなことを言ったら、本だって雑誌だって、私にはつまらない、役に立たない、興味がないものがたくさんある。テレビ番組だってそうだ。それでも私は本も好きだし、テレビもよく視る。もちろんホームページのサーフィンもする。

 そもそもホームページをひとまとめにして、一言で評価しようとするのに無理がある。ホームページの内容も、その利用目的や楽しみ方も様々だ。

 インターネットやホームページを批判する人は、本人が楽しんだことがないのだと思う。もっともホームページ上にあるものに興味を持てない人もいるかもしれない。メディアは、役に立つもの、質の高いものでなければいけないなどと考えている人もいるだろう。"はやりもの"には、つい反対したくなる人もいる。

 私は"はやりもの"には、それなりの理由があり、それなりの価値があると思っている。そこでこれからホームページについて、少しずつ考えてみたいと思います。



ホームページについて(2)作る人にとってのホームページ

 ホームページについて考えるときに、はじめに思うことはホームページを見る人と作る人では、相当に見方が違い、その人にとっての価値は比較にならないということです。簡単な話、5分間で読める文章をホームページに掲載するには少なくとも1時間以上はかかってしまうだろう。文章の内容や画像に力を入れた場合、その数倍から数十倍はかかってしまう。生活時間の中でのその差はあまりにも大きい。その前にホームページを作る人には、それぞれに何らかの思い入れがある。そのことに注ぐエネルギーは相当なものがある。仕事ならそのくらいのことは普通にできても、1円にもならないそれをやるにはお金ではない大きな価値(少なくとも期待)があるからだ。
 ホームページをビジネスに利用しようとする人もいる。「インターネットは新たなビジネスチャンスだ」と言う人も、反対に「インターネットはビジネスにならない」と言う人もいる。その辺の話は、他の人や本に話を譲ることにしましょう。

 私にとっての幸せのホームページの価値は大きい。自分のライフワークと夢の実現の場でもある。自分の考えていることを人に発表できる場であり、それが自分のやる気と励みになっている。また、人の幸せに少しでも役立ちたいという願いを実践できる場でもある。そして、何よりも私自身が楽しんでいることが大きい。新たな目的をもって自分の幸せになる方法を考え・実践することができる。多くの出会いを通して幸せを得ることもできている。自分の幸せになる能力も向上していると思う。生活時間の上でも使うエネルギーも、私の中でのこのホームページの価値は大きい。おそらく私の生涯の中でも大きいものだと思う。

 変わり者の私の話は例外中の例外としても、作る人にとってのホームページの価値は大きい。
 今回は例外の話だけで終わってしまいました。ホームページについていろいろなことを少しずつ考えていこうと思っています。次回は見る人にとってのホームページの話を書きたいと思っています。



ホームページについて(3)見る人にとってのホームページ

「ホームページはクズばかり」と言う人は、役立つ情報が得られないと価値がないと思っているようだ。役に立つ情報だってインターネット上にはたくさんある。私は、ニュース、天気予報、NBA情報とかを見る。事務所では新聞をとっていないし、テレビのニュースや天気予報の時間に外出していることもある。事務所にいればそういうものをインターネットで見ることができる。
 専門的な情報を得ようとしたら、思うようには見つからないことも多いと思う。そういうものは他のメディアを利用したほうがいいだけの話だ。

 ホームページから得られる情報は、役立つものより、興味のあるものやおもしろいものの多い。その判断も個人の感じ方の問題だから、何を見てもおもしろい情報がないと言う人もいるかもしれない。

 インターネットらしい使い方は、コミュニケーションを楽しんだり、出会いが期待できることだと思う。チャット、掲示板、メール友達募集情報など。私の経験ではホームページの作者とメールで知り合うことができる。メール交換によるコミュニケーションは楽しいし、メール交換をきっかけに友達になったり、中には結婚したカップルも実際にいる。役に立つと言えば、メール友達や掲示板によって自分の知りたいことを人から教えてもらえることもできる。これなどは役立つ情報を得られるという意味で素晴らしいことだと思う。

 インターネット独特の情報として、一般の人の日記や家族のホームページがある。これらは他のメディアにはない。こういうものを指して「クズ」と言われるのかもしれない。ところがそういうホームページはたくさんあり、それを見る人たちも実際にいるのだ。この事実は存在価値を意味するのだと思う。その理由については私にもまだよくわからない。私は日記をホームページに掲載している。各コーナーにつけたカウンタを見ると、日記が一番人気がある。私も人の日記を読むことがある。日記については後日あらためて書いてみたいと考えている。

 インターネットへの入口は、マスコミ主導による話題性や人が使っているからのような理由も多いと思う。しかし、そのブームが簡単に去らないのはそこに価値があるからだと思う。
 私はたまにネットサーフィンをする。単純に楽しい。あっという間に時間が過ぎる。すぐに飽きるかと思っていたが、そうでもない。私の見たホームページはまだ全体のほんの一部だけだし、ネットサーフィンの楽しみ方もまだまだあると思う。私は「幸せ探し」と称して、幸せに関わりありそうなホームページを探す。これがまだ探し尽くしたという感じがしない。つい先日も私にとってはとても興味深い「幸せのヒント」というホームページに出会った。これからもそういう出会いを楽しみにしている。

「ホームページはクズばかりだ」と言うのは、その人にとっての価値判断であって、一般的なものではないと思う。楽しんでいる人は実際にたくさんいるのだ。楽しむことに価値がないと言う人なら、私が何を言ってもムダだ。それはその人の考え方や生き方の問題だから。人生をおおいに楽しむこと、幸せに暮らすことを心がけている私とは根本的に違うと言うしかない。

 ホームページを支持する立場に立って書いてみました。
 私にとっては「ホームページはクズばかりではない」。