別れ・裏切り
いいパトーナーとめぐり会えて一生いい関係を続けらたら理想的ですが、そうならないケースもたくさんあります。
「別れ」を言い出した相手、「別れ」の直接の原因をつくった相手に対して、「裏切られた」と言う人がいます。
「裏切られた」という言葉は使わないほうがいい、と私は思います。
この言葉は心の中に悔しさや恨みやつらい気もちを強く引き起こします。だから、なかなか忘れることができません。この言葉を使うことで、不幸を長く引きずってしまうのです。
「裏切られることはあっても、自分は絶対に裏切りたくない」と考える人がいると思います。私もずっとそう思っていました。でもそのためだけに、幸せでないパートナー関係を続け、他の幸せになる可能性をあきらめていいのでしょうか? それでは自分は幸せになれないし、結局相手も幸せになれないと思います。
パートナーと別れる決断をすべき時もある、と思います。
自分がパートナーに「別れ」を言い出す立場になってしまう可能性もあるのです。その時には誠意をもって(それで許されなくても)きっぱりと別れるべきだと思います。中途半端なやさしさは相手のためになりません。(いい加減な気もちやかけ引きで別れを言い出すのは論外です)
「裏切られた」と思ってしまうのは、相手の誠意のないやり方や対応に腹が立って気もちがおさまらない、ということが多いのではないでしょうか。それは、相手が未熟だから、だと思います。未熟な相手のために自分がそんなに(すごく、長く)不幸になるのは損だと思いませんか?
パートナーとの別れはつらいものです。ましてや、相手に心が残っているほうにとっては。
「別れ」の直後に落ち込んでしまうのはしかたがないと思います。でも、そのためにいつまでも不幸が後を引いてしまうのはよくありません。(「
失恋から立ち直れない
」も参考になさってください)
きびしい言い方をさせてもらえば、「『裏切られた』という言葉を、自分が今幸せになる努力をしない言い訳にしている」のではないでしょうか。
幸せに暮らせるようになればそんな言い訳は必要ありません。不幸な時にその理由として、ふと頭に浮かんできてしまうのが「裏切られた」という言葉ではないかと思います。くやしい気もちが残っているのなら、「相手よりも幸せになって見返してやる」くらいのパワーを変えられたら、と思います。
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