子供の(幸せの)ため?
親が子に「こうしろ」というのは、「子供のため」のはずです。少なくとも親はそのつもりです。他人にはそんなこと言いません。
ただし、言うことが子供に合っていなかったり現実的でなかったり間違っていたりすることも多いと思います。ただ怒っていたり言い方が悪かったりすることもあります。
「自分が親にこんなふうに言われたらどう思うだろうか?」とか考えてみれば、子供が反発する気もちに少しはわかるのではないでしょうか。
そんなにできた親は少ないと思います。社会的に立派な人でも子供の気もちをわからない人が多いような気がします。大人だってみんな未熟です。
子供も「親も未熟」とわかった上で、内容はともかく「自分に何か言うのは“子供のため”という気もちがどこかにあるからだ」と思えたら、と思います。
「子供のため」というのは、「子供の幸せのため」のはずです。
本当に子供の幸せを考えているのか?には疑問が残るところです。
そもそも幸せに暮らしていない親が、子供を幸せにできるのでしょうか?
自分(もしくは、夫婦)の叶わなかった夢や目標を子供に託しているような人が多いような気がします。
子供には子供の幸せがあります。親とは違ってもいいはずです。
親の考える幸せを子供に押しつけるのはいかがなものでしょうか。
自分が自分の親に押しつけられた場合を考えればわかるのではないでしょうか。
親には親の幸せがあるはずです。
親が幸せに暮らすところを見せるのが、子供を幸せにする方法の最有力のような気がします。