人を憎むこと
人への怒りや嫉妬を憎むことに変えてしまうことがあります。というよりも、人への怒りを持ち続けることが憎んでいることなのかもしれません。怒りをその場だけですましてしまえば、憎むことはありません。
だぶん、憎んでいると自覚している人は少ないと思います。ただ、相手に腹が立つ、謝らせたい、もうしないようにさせたい、相手にも同じような思いをさせてやりたい、仕返ししたい、見返してやりたい、・・・。このようなことを後々まで考え続けることが憎んでいると言われるのではないでしょうか。
『人を動かす』(D・カーネギー)には、次のように書いてあります。
私たちが敵を憎むことによって精力を使い果たし、神経質になり、容貌が衰え、心臓病に冒され、生命まで危うくしていると知ったならば、彼らは手を打って大喜びするのではないだろうか?
憎んで何かいいことがあるのでしょうか?
なぜイヤな人のことを考えるのに時間を使って、幸せに過ごせる時間を減らさなくてはならないのでしょうか?
そんな時には、「そんな自分にはなりたくない」と考えてみてはどうでしょうか。
もしどうしても見返してやりたいのなら、「相手よりも自分が幸せになる」のが一番ではないでしょうか。相手よりも自分のほうが幸せだと思えるようになれば、相手を憎むこともなくなるような気がします。
先ほどの続き。
たとえ敵を愛することができなくても、少なくとも自分自身を愛そうではないか。自分自身を愛することこそ、私たちの幸福や健康や容貌を敵の支配にゆだねないことに通じる。
愛することは、人を幸せにすること。自分自身を愛することは、自分を幸せにすることです。