「幸せについて」
その13 相対的な幸せ

 人は自分の幸せを比較によって判断することが多いようです。今の自分の幸不幸を、人と自分を比べたり、過去の自分と今の自分とを比べて決めていることが多いのではないでしようか。

 比較することで不幸になってしまう人もたくさんいます。
 人の幸せな部分を自分と比較してみたり、自分の不幸な部分を人と比較してみたり、過去の自分の幸せだった時と今と比較してみたり、理想の自分と現在の自分と比較してみたり、・・・。
 このような比較をすることによって、人を妬んでしまったり、落ち込んだり、自分を不幸だと思ったりしてしまいます。

 自分が比較によって、イヤな気もちや不幸になっているのに気づいたら、「これは不幸になる考え方だ」と考えましょう。そう考えられるだけで、少しはラクになれるはずです。
 それでその比較から始まった考えをストップできればいいのです。

 どうせ比較をするなら、不幸になるような比較より、幸せを感じられる比較のほうがいいでしょう。
 自分より上を見たらキリがありません。同様に自分よりも恵まれていない人は必ずいます。どんなにつらい時でも、世の中には今の自分より大変な人・恵まれていない人・不幸な状況の人がたくさんいます。「そういう人に比べれば(自分はまだいい)」と考えることができます。
 また、「(過去に自分が)つらかった時に比べれば(今はまだまし)」と考えることもできます。過去にとてもつらい経験をしている人には、容易にできる考え方です。それができない人は、今までけっこう幸せだった人かもしれません。

 私は、「自分を育てていけば、少しずつ幸せになれる」と信じています。
 少しずつ幸せになっていくのがいちばんではないでしょうか。
 急に幸せになると、それを維持するのは大変だし、相対的に不幸になりやすいし、それ以上幸せになるのは難しいでしょう。
 実際、急に幸せになれたというのは一時的な幸せで、それが続くことはめったにないでしょう。

 本当に幸せに(暮らせるように)なれたというのは生活実感です。
 一日にどのくらい(不幸な時間が減り)幸せを感じられるようになったか、というようなものです。そしてそれは、「一年一年、少しずつ幸せに暮らせるようになっている」「数年前の自分と比べたら、今のほうがけっこう幸せに暮らせている」というくらいの実感です。
 でもだから、「このまま努力を続ければ、これからも少しずつ幸せになっていける」と信じられるのです。

 そもそも「幸せになる」というのは相対的なものです。
「今よりも幸せになりたい」と願うのは自然なことです。
 私は、「今は幸せ。でももう少し幸せになれたらいいな」と常に考え、一生努力を続けていきたいと思っています。

   

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