思いやりに基づく共感

 人を幸せにするためには何よりも思いやりが大切だと思います。相手が感じている心の中の痛みやつらさや苦しみなどを察することができることも大事です。
 でも、そういう感情に巻き込まれて自分が右往左往してしまっていては、相手を支えることはできません。相手に共感しつつも、自分はちゃんと立って手を差しのべていれば、相手はそれを支えにすることができます。難しい問題は、ただそばにいて支えることしかできないのかもしれません。(自分の能力にすごい自信がなければ、助け上げることはできないでしょう。また、助け上げることが本人の将来にとっていいことかどうかも難しいところです)

 苦しんでいる人に共感すると自分がつらくなるという人がいますが、それは本人のつらさとは違うのです。それに自分が耐えられないというのは、何かが間違っているのではないでしょうか。

 不幸な感情と思われるものでも、それをただ感じることは不幸ではないと思うのです。その感情に流されて不幸になる考え方をしてしまうと不幸になるのだと思います。悲しみもつらさも悔しさも、ただそのまま感じるだけなら問題ない、むしろ、現実に逆らうよりも心身の健康にいいような気もします。

 映画やテレビドラマを観ていて、悲しい場面に涙することがあります。この時、私たちは決して不幸ではありません。そういう素直な感情の露出はストレス発散のような効果もあるのではないかと思います。
 また、創作上の事や他人事は自分の事ではありません。共感はできても実感はできないのです。一時的に抱えてもすぐに降ろすことができるのです。

 相手(の幸せ)のためを思うのなら、共感しても巻き込まれないように、ただ素直に感情を受け入れ、余計なことを考えないようにすることが大事だと思います。
 相手の幸せを考える、思いやりに基づいた共感ができたら、と思います。



   

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