しあわせ日記

3月21日(日)幸せにしたい人がいるから

  人を幸せにすることを考えていると、やさしい気もちでいられる。
  人を幸せにできることは自分の幸せ。
  幸せにしたい人がいるだけでも幸せなこと。

  今はまだうまく相手を幸せにできないけど、きっといつか幸せにできる。
  今は幸せにしたい人がいないけれど、きっといつかいい出会いがある。
  人を幸せにしたいという気もちを持ち続ければ、きっと自分が幸せになれる。

  人の幸せを懸命に考えていれば、小さなことでくよくよしているヒマはない。
  ささいな自分のことで悩むより、人の幸せを考えたほうがいい。

  愛する人のことを考えるだけでも幸せな気分になれる。
  愛する人といっしょにいるだけで幸せ。
  愛する人のためなら、愛する人といっしょなら、困難も苦にならない。
  愛する人を幸せにすることが自分の幸せ。

  愛があるから、生きていける。
  人の役に立てることは自分の生きがい。
  人を幸せにできることは、それだけで生きている価値がある。

 愛(=人を幸せにしようという気もち)を心に持っていれば、たくさんの幸せになる考え方ができます。

 「徳川家康」より、家康のセリフ。

   「人間はの、最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄えるものじゃ」

 多くの人を喜ばせた人、多くの人の役に立つことをした人、人をたくさん幸せにした人が、それだけ自分が幸せになれる。
 私は、そう信じています。だから、「幸せになる方法」を書いたり、このホームページをやっているのだと思います。



3月22日(月)批判
 くよくよしない方法・その49は、「人を批判しない」。
 批判したところで問題は1つも解決されないばかりか、世の中に怒りと不信をまきちらす。

 くよくよしない方法・その51は、「批判は受けとめれば消えていく」。

 「どうしてそんなこと言うんだ」
 「そんなこと言わなくてもいいのに」
 「そんなことを言うのは信じられない、許せない」
 こんなふうに思うと、人からの批判は自分の心の中で大きく強くなってしまいます。
 「(ハオハオ)その人がそう言っているということは事実だ」
 「(ハオハオ)世の中にはそういうことを言う人はいるものだ」
 こんなふうに人からの批判を受けとめれば、自分の中では小さなことにすることができます。

 人の批判を気にしずきる人がたくさんいます。不注意なひと言ために人間関係が悪くするのは損です。
 人のことを批判するよりも、何か他にいい方法があるはずです。



3月23日(火)人の意見
 くよくよしない方法・その52は、「人の意見のなかには1粒の真実がある」。
 まちがいではなく長所を見つけようとすれば、どんな意見にもなんらかの長所は見つかる。

 人の言うこと・することを、正しいか正しくないかなどと評価したり、欠点を探しても、いいことはあまりありません。その人のために何かするのなら別ですが。
 ところが私たちは、知らず知らずのうちに、そういうことをしがちです。
 人の言うこと・することから、いいところ、学べるところを探したら、それは自分のためになります。相手も自分のいいところを探そうとしてくれる人に好感をもつはずです。
 そもそもどちらを探すほうが気分がいいでしょうか?
 どちらの自分が好きになれるでしょうか?

 人の意見から何かいいところを見つけようと思ったら、頭から批判をするのではなく、まず人の言葉を自分の心の中に受け入れること。そのために役立つのが「ハオハオ」。人が何を言っても、とにかくひとまず「ハオハオ」。
 それからあとの工夫は、宿題ということにしましょう。(実は私も意識してやってはいないので、これから考えてみようと思います)



3月24日(水)人の目
 人から何か言われたわけでもないのに、人の目が気になってしまうことがあります。
 嫌われているのではないか、自分が悪いと思われているのではないか、疑われているのではないか、バカにされているのではないか、・・・など、人の考えていることを気にしてイヤな気もちになってしまうことがあります。
 これをすると相手が怒るのではないか、相手が悪く思うのではないか、批判されるのではないか・・・など、人がこれからどう思うかを気にしすぎてしまうこともあります。

 「人の気もちを思いやることはいいこと、気にしすぎて自分がイヤな気分になるのはよくないこと」

 実際に相手がどう思っているかは、いくら考えても実際にはわかりません。
 “人の目”は、自分の心が作り出したものです。

 「自分が勝手に作り出した“人の目”におびえて、
           イヤな思いをするのはバカらしい」

人の目に対する考え方のヒントには こんなのもあるよ



3月26日(金)人との比較
 「あの人は○○なのに、それに比べて私は××」こういう考え方を、ふと、してしまうことがあります。

 「人は人、自分は自分」と考えられれば、いいのですが。

 “人との比較”のような不幸になる考え方をしてしまう時は、何か他に原因があることが多いように思います。その原因に気づけるだけで、“人との比較”の問題は片づくと思います。

 自分の不幸になる考え方に気づいた時には、何か幸せな気分になれることをするのがいいと思います。幸せな気分の時には、不幸になる考え方はしないものだと思います。



3月27日(土)してくれない
 「○○してくれない」と不幸になることがあります。
 愛してくれない、認めてくれない、信じてくれない、ほめてくれない、
 誘ってくれない、ありがとうと言ってくれない、話をしてくれない、・・・。

 人が何かしてくれない、と不幸になっていたら、自分の幸せは人まかせになってしまいます。自分が自分の意志と気もちで動いているように、人もその人の意志と気もちで動いています。人を自分の思うように動かすことはできません。

 「○○してくれない」というのは不幸になる考え方、では幸せになる考え方は?
 不幸になる考え方をやめて、他の幸せになる考え方をすることが1つの方法です。

 「人を動かす」「説得力」のようなことを学ぶのも1つの方法だと思います。

 もう1つの考え方は、人から幸せにしてもらうのを待つ人でなく、人を幸せにする人になることだと思います。この言葉を初めて目にした人は、宗教的・偽善的などと感じるかもしれません。このホームページをある程度読んでいる人にはわかると思います。「人を幸せにすることは自分の幸せ」という考え方です。幸せにしたい人を、思いついた時に、やれることだけやればいいのです。

 それにしても人の幸せは、まわりの人に左右されていることが多いように思います。それだけ“まわりの人”は大事なのだと思います。でも幸せも不幸も感じるのは、あくまでも自分の心です。自分の責任だと考えたほうがいいように思います。



3月28日(日)考えすぎ
 「徳川家康」より。

  「人が人を見る場合、性は善なりという見方と、
     性は悪なりとの、二つの見方があるということじゃ」
  「人間は、実は生まれながらにして、善人でも悪人でもないようじゃ。
   したがって、わが目で善悪を決めてかかるは大きな誤りを招くもとになる」

 人がすべて善人だと決めてかかると、悪いことをする人に会うと腹がたったりイヤに気分になる。
 人がすべて悪人だと決めてかかると、疑心暗鬼になり、人を信じて安心してつきあうことができなくなる。
 人間は考える力を恵まれた生きものだった。が、同時に考えすぎる能力もまた持たされて、われとわが身を不幸にもなし得る生きものでもあった。
 ハオハオ、そのとおりだと思います。
 不幸の素は、“考えすぎ”が多いのではないでしょうか。
 不幸になる考えは、もしかしたら余分な考えばかりなのかもしれません。
 そのことを考えなければ、不幸にならないのではないでしょうか。
 人のことで不幸になるのも、人のことを考えるからです。考えなければ不幸にはならないはずです。

 などといっても、そういうことを考えてしまうのが人間だと思います。しかし、そういう考えを野放しにするか、うまくコントロールするかは自分しだいです。
 うまくコントロールできるように努力すれば、必ず進歩するものだと私は信じています。



3月29日(月)どこに行っても
 くよくよしない方法・その54は、「どこに行っても自分と道連れ」。
 ものごとを悪いほうにとる癖があれば、その癖はあなたの行く先々についてまわる。

 場所が変わっても、相手が変わっても、仕事が変わっても、環境が変わっても、自分に不幸になる考え方のクセがあれば、不幸は自分についてまわる。

 幸せになる考え方を心がける習慣があれば、どこに行っても大丈夫。恐れずに、行きたいところに行けばいい。

 どこに行っても自分(の幸せになる能力)と道連れ。
 幸不幸は自分(の幸せになる能力)しだい。



3月30日(火)落ち込み
 くよくよしない方法・その56は、「落ち込みはうまくやりすごす」。
 落ち込んだ時、その感情に流されず、またムリに抵抗しようとせずに、うまくやりすごす。

 私はきょう仕事のことで落ち込みました。
 ただし、それに流されて、深みにはまったり、ずっと落ち込みっぱなしになることはありません。
 とにかく今やるべきことはやり、今後の対策も考えました。
 気分をコントロールする方法はいろいろ持っています。
 だからといって、スパッと割り切ってすぐに立ち直る、というわけにはいきません。

 落ち込むことを、恥じることも、自分を責めることもありません。誰でも落ち込むことはあります。
 そういう時には、自分が落ち込んでいることを認めてしまえばいいと思います。それだけで、だいぶラクになります。きょうの私がそうでした。
 「自分は今ちょっと落ち込んでる。(ハオハオ)」

 落ち込んでも、いつか必ず立ち直れる時がきます。
 必要以上に落ち込みにとらわれる人は、幸せに暮らす心がけを忘れているのだと思います。落ち込んだ時も、不幸な時も、幸せに暮らすことを心がけていれば、心がけないより幸せになれます。

 内容によりますが、ある程度の時間落ち込むのはしかたがないと思います。その時間を、うまく落ち込み、うまくやりすごすことができたら、と思います。



3月31日(水)頭から離れない
 落ち込みが続いている時には、その事柄がなかなか頭から離れません。折りにふれて、ふとその事を考えてしまい、そのたびに気もちが沈んでしまいます。それが落ち込みが続く構図だと思います。

 「忘れなくちゃ」と思っても、そううまくはできないものです。「絶対に忘れなくちゃ」「考えてはいけない」などと力を入れると、かえって頭の中の存在を大きくしてしまいます。

 「頭から離れない」のはある程度(の時間)はしかたがないと思います。思い出さないようにするよりも、思い出した時にどう対処するかのほうが大事だと思います。
 「また思い出しちゃった(ハオハオ)」と軽く流し、「で、今の幸せになる考え方は?」と思い出したことを幸せを意識するきっかけにしてしまえばいいと思います。

 思い出してもイヤな気もちにならなければ、そのことはすぐに忘れられると思います。ここで「忘れる」とは「頭から離れる」という意味です。
 頭から離れた時が完全に落ち込みから立ち直った時です。でも人はそれには気づけません。気づける落ち込んでいる時を、うまくやりすごす心がけが私たちにできることです。