しあわせ日記

5月1日(金) 今がいちばん
 ある駅で電車がとまり、10代の若者グループがはしゃぎながら降りていった。
 それを見ていた車内の20代の女性が友達に「若いっていうことはいいことだ」と言った。
 それを聞いていた私は、"自分たちだって若くていいじゃないか"と思った。
 きっと私を見て「若くていい」と思う人だって、世の中にはいる。

 ある言葉が頭に浮かんできました。
「これからの人生で今がいちばん若い」
 この言葉から何を思うかはそれぞれの人にお任せします。
 と言っても一概に、若ければ良くて年をとるのは良くない、ということは断じてありません。

 「今がいちばん幸せ」と言えるのが最高だと思います。
 幸せになる能力を少しずつ向上させていけば、それに近いことが言えるような気がします。
 私は、最近ずっと基本的に幸せです。

 ちなみに、きょうの日記は、ハンドモバイルで書いたメモを基に書いています。
(好!好!)



5月2日(土) ひとり上手
 昨夜放送の「トップランナー」(NHKテレビ)をビデオでみる。ゲストはイッセー尾形さん。独特なひとり芝居で根強い人気。
 続いて「Mr.ビーン」の番組も見る。チャップリンのような無声のひとり芝居。

 イッセーさんもアトキンソンさんも、シャイで繊細な感じがします。また、人をよく観察しているんじゃないかと思います。人間の可能性とか意外性を強調しているように思えます。
 "こんなヤツふつういないよ"と思う反面、"どこかにこんな人もいるかもしれない"って思います。

 世の中には、いろんな人がいます。無神経な人、無礼な人、意地悪な人などイヤなヤツもたくさんいます。でも、やさしい人、ステキな人、自分と気が合う人など自分にとっていい人もたくさんいます。生きていく中でいい出会いがたくさんできたら、と思います。
 自分の中にもいろんな自分がいます。できるだけいい自分と出会い・うまくつき合っていけたら、と思います。

 「ひとり上手」という中島みゆきさんの歌のタイトルを思い出しました。
 ただそれだけ。
 (ハオハオ?)



5月3日(日) 感謝

  俺はこの幸福を誰に感謝しようかな。

 きょう、なんとなくひらいて読んでいた「武者小路実篤詩集」(亀井勝一郎編・新潮文庫)の中の1行だけの詩です。

 感謝することは、幸せを感じる方法の1つです。「ありがたいなぁ」「おかげさま」などのように心から思えると、幸福感が生じます。
 1つの幸せをいろいろな事・物・人に対して感謝することができます。

 武者小路実篤の詩では、誰かに感謝しようと考えています。
 ○○を△△に感謝する、と考えられます。
 ○○は、幸せのこと。△△は、人・神様・仏様などでしょうか。
 私は、“△△に”は特に意識しません。人に感謝する場合は、人がしてくれたことを感謝する、人がいてくれたことを感謝する、のように考えます。
 「幸せなことを感謝する」ことは、幸せになる方法の1つです。

 感謝という言葉を使いたくない人もいるかと思います。
 幸せなことを「しあわせ」と心から思えれば、それだけでもいいと思います。



5月4日(月) 移り気
 私は、いろいろな幸せを次から次へと感じていけるのがいい、と思っています。
 1つの幸せから得られる幸福感は、そう長続きはしません。
 いつも幸せでいるためには、たくさんの幸せをつなげていくのがいいと思います。

 1つの幸せをずっと感じ続ける方法や能力も考えられますが、私には向いていないようです。私には移り気なところがあります。考えが勝手に移り変わってしまうことがよくあります。
 天気予報を見ようと、その時間にテレビのチャンネルを合わせて、そのまま他の事をしたり・考えたりして、気づくと天気予報は終わっていて内容を覚えていない、ということがよくあります。

 私は歩いている時、いろんなものから幸せを感じます。目に映るもの、耳に聞こえること、心身に感じること。鼻歌もよくうたいます。また、幸せなことを考えます。夢や目標や楽しい計画、人をよろこばせる・幸せにすること、など。
 次から次へと幸せを感じられるようにしています。
 だから、自分の幸せ(になる方法)はたくさんあるほうがいい。



5月5日(火) 幸せの御三家
 私は好きなものは、なかなかあきません。納豆、散歩、読書、バスケット、グリーン(色)、幸せ(になる方法)探し、等々。
 ごはんやみそ汁のように毎日食べてもあきないものがあります。風呂、風呂上がり・バスケット後・仕事後のビールは、いつでも「あー、しあわせ」って思えます。「生きていて幸せ」と週に3・4回は感じます。

 繰り返し感じられる幸せがたくさんあります。ただし、あきない幸せも、四六時中幸福感を持続することはできません。1日に1回ならあきない、のようにあきない間隔があるようです。
 私の場合には、1度寝ればリセットという感じが多いように思います。もっとも同じ(メインの)おかずが毎日続いたらあきます。週に1回なら、大丈夫そうです。

 繰り返し感じられる幸せがたくさんあれば、1日の多くの時間を幸せに過ごすことができます。
 夢や生きがいやライフワークのようなものがあると、長い期間に数多く幸せを感じることができます。
 幸せにしたい人がいると、その人のこと・その人を幸せにすることを考えるだけでも幸せな感じがします。その人が喜んでくれたら、確かな幸福感を得られます。

 好きなもの・夢・幸せにしたい人は、幸せの御三家だと思います。



5月6日(水) もののあはれ
 「徒然草」の中には、“あはれ”という言葉が度々でてきます。
 “哀れ”ですが、趣(おもむき=あじわい、おもしろみ)がある、のような意味で使われています。

 折節のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。
(季節の移り変わりは、それぞれの物事につけ実に情趣の深いものである)

 本当にハオハオです。
 私は散歩が好きなので、よく季節を感じ、愉しみます。
 特に季節を感じやすいのは、朝のような気がします。空気(風)の温度、咲いている花、草木のようす、鳥や虫の声・・・。私がいちばん確かに季節を知るのは、日の出の時刻かもしれません。夏の4時台から冬の6時台まで。
 また、朝焼けには季節独特のものがあります。すごく“あはれ”を感じる時があります。

 “幸せ”というと楽しいこと・うれしいことを思い浮かべがちですが、幸福感にはいろいろな種類のものがあります。
 “あはれな幸せ”もあると思います。○○なあじわいのある幸せ、○○なおもしろみのある幸せ、など。

 物事の趣に、よく気づけるようになれたらいいな、と思います。



5月7日(木) イヤなヤツ
 帰りの電車の中で、イヤな感じがする人がいました。はじめはいつものように「ハオハオ」と心の中で受け流していたのですが、いろいろと度重なって「イヤなヤツ」と思ってしまいました。最近の私にしては、その気もちが強かった。

 「今の私をこんなにイヤな気分にさせる人がいるんだ」と思ったら、イヤな気もちはスッーとおさまりました。「自分もまだまだだなぁ」と微笑んでしまいました。不思議なことにそれからは、その人のことはどうでもよくなりました。

 イヤなヤツは世の中にいっぱいいます。人を変えることは極めて難しい。人に対する自分の考え方を変えるほうがいい。そんなヤツのためにイヤな気分になるのは損だ。自分にとって、もっと大切なこと・やりたいことがたくさんある。

 ハオハオです。そして、ホープホープ、私が望むことは・・・。



5月8日(金) ストレッチ
 夜寝る前に日記を書こうと思いつつ、その前にストレッチングをする。2週間バスケットをしていないので、なんとなく身体がイキイキしていない。
 きょうは、ベッドの上に横になって全身のストレッチングをすることにする。(肩や首のストレッチは半ばクセのようになっている)
 背中や腰や脚のストレッチをゆっくりとする。とても気もちがいい。

 横になったまま、日記に何を書こうかと考えだした・・・。

 気がついたら真夜中だった。
(ハオハオ)



5月9日(土) 気にしない
 バスケットの仲間の結婚式・二次会に川崎へ行く。

 横浜線の車中で、高校生5人(うち1人は女の子)がドアの前に車座にすわって話をしていた。(ジベタリアンってやつ?)終点まで開かないドアの前だし、特に騒いでいるわけでもなく、人の迷惑にはなっていないようだ。
 人の目を気にしていない。服が汚れることも気にしていない。

 “気にしない”ってことが、いい場合がよくあります。自分さえ気にしなければ何も問題はないことがあります。
 私は、考えてしまうことはしかたがない、と思います。気になってもハオハオで、気にしすぎなければいい。

 3次会はバスケの仲間約20人でカラオケへ。新郎新婦も参加。また、終電になってしまいました。(ハオハオ)



5月10日(日) ゲーテの詩
 「ゲーテ詩集」(高橋健二訳・新潮文庫)の中から「いましめ」。

    いや遠くさまよい出でんとするか。
    見よ、善きことはまこと近きにあり。
    幸福をとらえる術(すべ)を知れ、
    幸福は常に手近にあれば。

 先の幸せだけを自分の幸せと考えやすい。何かを手に入れること、成功、恋愛の成就、など。
 幸せは、近くにも遠くにもある。今にも将来にもある。

 幸せを感じる方法を知る。自分の幸せになる方法を見つける。幸せになる能力を身につける。それらがだんだん幸せになっていく方法。

 もう1つゲーテの詩。

    一番幸福な人は?
    他人の手がらを感じることができて、
    他人の楽しみを自分の楽しみのように喜べる人。

 人の幸せを願えるようになること、人の幸せを喜べること、人を幸せにすることを自分の幸せと思えること。これらができるようになると、自分の幸せの数が一気に増える。
 自分の幸せを増やしていくことが、だんだん幸せになる方法。