しあわせ日記
1月11日(日) 初バスケ
午後からバスケットの試合。今年はじめてのバスケット。
試合は、前半ミスが多く競ってしまったが、後半はうちのペースで進み20点以上差をつけて勝つ。
試合後はそのまま新年会。きょうは男女合わせて30人以上。これだけ集まるのは珍しい。すごくうれしい。5時から9時まで、たくさん食べ、たくさんしゃべり、たくさん飲んだ。
この日記を書いている今も気もちよく酔っぱらっています。
もう寝ます。
1月12日(月) 早期対処
昨夜からの雨が夜中に雪に変わって降り続き、寒い1日です。
午前中、読書ノート(A4のコピー用紙に書いています)を整理していました(15年以上、大型封筒を使用しています)。
鼻水がでて、ややカゼぎみ。それだけならまだしも、朝からお腹の具合が悪い。
お昼に熱い玉子粥を作って食べ、そのまま寝ることにしました。身体の中から温まってよく眠れました。今年に入ってから昼寝をしない生活に変えていたので久しぶり。
3時間よく眠ったら、お腹は回復、鼻水も止まりました。寝起きに、ココアにおろし生姜を入れて飲みました。
それからは快調。頭も冴えている感じです。
早期発見、早期対処がよかったのだと思います。
きっと夜も3時間寝れば十分だと思います。久しぶりに少し長めにネットサーフィンでもしましょうか。幸せ探しをしようか、今月のテーマ「癒し」のヒントを探しましょうか。それにゲストブック(のCGI)を少し変えよう。
寒い日が続いています。みなさんもカゼなどひかないように気をつけてくださいね。
1月13日(火) 役に立つ?
「日経パソコン・新春特別号」の中に、NEC副社長・横山清次郎さんへのインタビュー記事がありました。パソコンの売れ行きに関する話の中に、次のような部分がありました。
(興味はあるが)「買おう」というところまでいっていない。理由を尋ねると、「使う目的がないから」と多くの人が答える。こういう"食わず嫌い"の人をいかに減らすかがポイントになる。
これからは、パソンで何ができるのか、PC98−NXのどこが使いやすいかなど「パソコンは役に立つ」というメッセージを送っていこうと考えている。
「使う目的がないから」という理由は、正直で正当な理由だと思います。さらに言えば「使いたいと思わないから」ということでしょう。
"食わず嫌い"という言葉が適切かどうかは疑問ですが、実際に使ってみないと、ある程度使いこんでみないと、自分で使う目的を見つけようとしないと、おもしろさや役に立つかどうかはわからないという側面も確かにあります。
以前に、「幸せのホームページを見たい、というのが大きな理由で自宅にパソコンを買いました」という、とてもうれしいメールをいただいたことがあります。
「役に立つ」ということは難しいことです。もちろん、すべての人に、すべてのことが、100%役立つなんてことはないのですが、私は少しでも人の役に立てたらいいな、と思ってこのホームページを作っています。
私は、「幸せ」について考える際には、「役に立つ」「方法」を心がけています。
みなさんも、自分の幸せに「役に立つ」「方法」を考えてみてください。このホームページが少しでもそのヒントとなれば、インターネットもコンピュータも、使う目的があり役に立つということになりますよね。
1月14日(水) スーパーサイヤ人
水曜日の夜というと「ドラゴンボール」と長い間決まっていたが、今は「ドクタースランプ」(フジテレビ)をやっている。私はいつもビデオに撮って、気分転換をしたい時によく見た。
孫悟空のキャラクターが好きだった。いつも明るく、決してあきらめない、そして「強くなりたい」という向上心のかたまり。
私のリラックス法を1つ紹介します。私は、その方法を"スーパーサイヤ人"と呼んでいます。
まずイスに座り、両手を握り、両ヒジを曲げます。(かけっこのような格好)
そして、腹筋に力を入れ、前にかがみながら、両手を強く握り、両腕に力を入れて曲げます。
そのまま5秒間くらい、上半身全体に力を入れたままにします。
そこで、一気に上半身のすべての力を抜きます。
リラックスできると共に、少し元気になれます。よろしかったら、試してみてください。
"スーパーサイヤ人"というのは、「ドラゴンボールZ」で、孫悟空をはじめとするサイヤ人がパワーアップして変身した姿です。"気"を高めることで変身しますが、変身後は"気"をコントロールしなければなりません。
私も、"スーパーサイヤ人"をやる時には、"気"のようなものを意識します。力を入れる時に"気"を高めて、リラックスした時には落ち着いた静かな気分をイメージします。
リラックスするためには、一度力を入れてから力を抜くのがいい場合があります。普通の状態から力を抜こうとしてもうまくできない。「力を抜こう、力を抜こう」と意識するほど力が入ってしまうことがあります。
心をリラックスする時にも、何かに夢中になって集中する時と、静かにリラックスする時の両方があったほうがいいと思います。夢中になれる何かがあることは大切です。
1月15日(木) 僕が僕であるために
昨夜からの雨が雪になり、ただただ降り続いている。
こんな日は家にじっとしていればいいのだが・・・
きょうはバスケットの女子の試合。10時すぎに町田駅に行くと、電車は遅れていて、タイミングも悪く15分待つ。横浜線に乗ると、途中で止まってしまう。パンタグラフに積もった雪を落とすためと車内放送があった。
試合開始時間5分すぎに到着したが、試合はやっていない。対戦相手が雪のために来れないで不戦勝だという。うちのチームは8人そろっている。応援の男も6人。
ハオハオです。私は、バスケットが好きだし、仲間も好きだし。ここにいるのが自然だし、自分らしいと思える。雪が降っているから、電車が止まって帰れなくなってしまうかもしれない、と来ないのは、私でないような気がする。
次の試合の審判とオフィシャルをする。電車が止まらないうちにと、きょうは早々に解散する。
帰りの電車の中には、振袖を着た成人式の女の子たちがいた。きょうの雪は思い出の中に残るかもしれない。
4時に事務所に着く。
夜、「僕が僕であるために〜尾崎豊・魂の記録」(NHKテレビ)をみる。
「自分らしく生きることを問い続ける」
「自由になりたい」「自由にならなきゃ意味がないんだ」
「やさしさって何?」「自分を愛せるように人を愛せるだろうか?」
「オレは信じられる何かを探している」
「まず最初に闘うべき相手は、自分の中にある」
「傷ついたことのないヤツは、傷ついた人を救うことはできない」
「いろんな生き方があっていいと思う」
尾崎豊の言葉には、共感することが多い。
伝えたい 僕が覚えたすべてを
限りなく幸せを 求めて来たすべてを
「永遠の胸」より
僕が僕であるために 勝ち続けなけりゃならない
正しいものが何なのか それがこの胸で解かるまで
「僕が僕であるために」より
"勝ち続けなきゃならない"と思ったら、生きていくのはつらい。
傷つきながら、悩みながら、闘い続ける。
正しい(幸せな)ものは何なのかを、
自分の中から少しずつ勝ち得るために。
自分の胸(幸福感)で解かる、信じられる何かを探して。
1月16日(金) 地震
11時直前に小さいが少し長い地震があった。もしかしたら大地震の前触れかもしれないとあせった。その時、私はすっ裸で肩にバスタオルを掛けただけの姿で、机の上の紙にボールペンを走らせていた。
このまま大地震になったら、外にも出れない。生き埋めになったら、まっ先に凍え死んでしまう。死体で見つかったら、カッコ悪い。
本当にこのようなことが頭に浮かんだ。あわててパンツをはいたら、地震はおさまっていた。
実は、朝風呂に入っていたのです。(遅く起きたのではありません。朝5時に起きて、作業がひと段落したので)
いつものように半身浴で、ゆったりといろいろ考えていました。思いついたことがいくつかあったので、いったん風呂を出て、メモをしていたのです。(今残っているメモ用紙には、5つのことと、地震のことが書いてあります)
ここ3日間に、阪神大震災関連のテレビ番組が多く放送されています。私はいくつかを見ました。今朝の「生活ほっとモーニング」(NHKテレビ)では、「神戸発・新老後の住まい方」と題し、コレクティブハウスを取り挙げました。
コレクティブハウスとは、共用部分のある集合住宅で、北欧では普及しているそうです。番組では、東京都北区で現在民間企業が建設を予定しているコレクティブハウス(マンション)も紹介されました。そこには、食堂・浴室・託児所が共有スペースにあります。
現在、神戸(特に、独り暮らしのお年寄りが多い地域)で公営のコレクティブハウスの建設が行われている。建物の中央に居間のようなスペースがあって、住人が集まれるようになっている。
これは、2年にわたる仮設住宅での生活の中でできた"人の輪"を、そのままに移転できるように考えられた。
阪神大震災の経験の中で、いい人間関係が生まれた、人のありがたさがわかった、というような人は多いという。きっと、震災の経験の中で、「幸せ」について考え直した人は多いと思う。
私が阪神大震災から具体的に学んだことは、お風呂の残り湯を抜かないことです。地震で水道が出なくなったら、水洗トイレが流せない。電気が来ないと、換気扇も回せない。ワンルームマンションの部屋はすごい臭いになりそう。
私は残り湯を、トイレを流す、洗濯、トイレ・風呂のそうじに使う。水の節約にもなっている。
ほんとうは、もっといろんなことを学ぶことができるはずなのだが・・・
1月17日(土) ふれあい
午後4時半すぎに、バスケットの練習に行くために、電車に乗る。比較的すいている。3人掛けの座席のまん中にすわると、左側の中年女性が身体をひいたのがわかった。その方はずっと私と身体が触れないように腕を身体の前にもっていき、身を縮めていた。私もなんとなく意識してしまう。
このこと自体はたいしたことではないのだけど、私は"はりねずみ症候群"を思い出した。人と接近することで傷つけ合うのを恐れ、人とうまくかかわれない。
私の右側には体格のいい20代と思われる男性が座っていた。こちら側は、私と肩と腕が触れている。自然に人の重みや体温が伝わってくる感じがする。互いにもたれ合っているようにも思える。
右側は身体が触れているが力は入っていない。左側は身体は触れないように身を縮めている。どちらがラクかというと、右側だった。
身を縮めるには力を入れなければならないし、気も使わなければならない。心身ともに疲れると思う。
人との接触・小さなぶつかりあいを、絶対に避けようと意識して生活していたら、疲れるし、いい"ふれあい"の機会が減ってしまう、などと電車の中で本を読むフリをしながら考えているヘンな私。
1月18日(日) 聞き上手
昨夜放送の「未来潮流」(NHK教育テレビ)をビデオで見る。「トークドキュメント キミトハナシタイ〜10代との対話」 15歳から19歳の51人の様々な若者をスタジオに集め、3人のゲストとトークする。
今回のゲストは、予備校講師・牧野剛さん、人材育成会社・辛淑玉さん、歌手・美輪明宏さん。
辛さんは、ある女性に「細くて長い人生と、太くて短い人生のどっちがいい?」と質問する。その女性は「太くて短い人生」と答える。そこで辛さんは、「『太くて長い人生がいい』って言えるような生き方をしていきたい」と言う。
私は少し前に「幸せの中にポツンポツンと幸せがあるのと、不幸の中にポツンポツンと幸せがあるのと、どっちがいい?」を書きました。
「幸せの中にポツンポツンと幸せがあるのがいい」という答えもあった。このままではおかしいが、「日常的な幸せの中にポツンポツンと非日常的な幸せがあるのがいい」や「たくさんの小さな幸せの中にポツンポツンと大きな幸せがあるのがいい」なら、非常に良さそう。
3人のゲストは若者たちの意見をよく聞いていました。3人に共通するのは、聞き上手なこと。基本的には、相手の話をきちんと最後まで聞いている。認めるところは認める、謝ることは謝る、言うことは言う。どれも、なかなか難しいことです。
私は傍観者として見ていたので、つっこんだり・反論する考えがつい浮かんでしまいました。「ハオハオ」を使えば、ちゃんと聞けるとは思いますが、相手のために何を言ってあげられるか、いい対応ができるか、はわかりません。
きょうのゲストは三人三様の応対で、ためになると思いました。今週中にもう1度、ビデオを見直してみようと思います。
1月19日(月) 叱る
昨夜放送の「発掘!あるある大事典」(フジテレビ)をビデオでみる。今週のテーマは"叱る"。なかなかためになりました。
"叱る"と"怒る"は違う。
叱ることによって効果をあげるためには、コミュニケーションが不可欠である。
叱る側と叱られる側の距離が近いほど、その効果は大きい。
間違った叱り方
(1)感情先行型(感情的に"怒る") (2)人格否定型(ダメな子ネ)
(3)責任転嫁型(誰々に怒られるよ) (4)お説教型(くどくど)
良い叱り方(アドラー心理学・星一郎さん)
その場で短く、自分の言葉で、理由とともに、その行動そのものを、叱る。
ちょっとしたことでキレてしまう1つの原因は、3歳から12歳の時期に叱られ体験の蓄積がないから。問題対処能力が育たず、どうしていいかわからなくなって、キレてしまう。
そういう人に多いのが3F行動。殻に閉じこもる(Freeze)、逃げる(Flight)、暴力(Fight)。
番組の中では、3組の親子に1週間、それぞれに"叱り日記"と"叱られ日記"をつけてもらいました。叱り日記は、どんなことで叱ったか?、どんな叱り方をしたか?、子供はどんな態度をとったか?、反省点?を書きます。叱られ日記は、その反対です。
このような日記を書くことで、叱り方も叱られ方も上手になると思います。きっと人間として成長できると思います。
番組では、書いた日記を交換して、互いに相手の気もちを知り合うことで、親子の関係が善くなったようです。
うまく"叱る"ことは、難しいことだと思います。
番組の最後に、司会の堺正章さんが言いました。
「どれだけ相手を思いやって叱ることができるかだ」
ハオハオですね。
私は子供の頃、母親から感情先行型でよく怒られ、人の顔色をうかがう無表情な大人に育ちました。でも、そのために「幸せ」についていろいろと考えるようになり、今は相当に幸せに暮らせるようになりました。ハオハオです。
1月20日(火) ストレス
夜、「たけしの万物創世紀」(テレビ朝日)をみる。「ストレス〜見えざるモノの正体」
「病気の5割から8割はストレスが原因」「ストレスは怖いもの。でもそれに正面きって闘わなければ」という反面、「ストレスを気にした時点でストレス。ストレスをなくそうとすること自体がストレス」。
まわりの環境すべてがストレッサーになり得る。同じものでも、好きな人と嫌いな人では、ストレス解消にもストレスにもなり得る。
どう感じ、どう対処するか、そのつきあい方が問題。
たけしさんは、「イヤなことを、待ってましたと、ゲームと考えちゃう」とすごいことを言う。私が「イヤなことをいいきっかけにする。不幸な出来事を自分を育てるいい経験にする」と書くのと似ている(?)。
番組では、ストレスが身体に及ぼす影響を、ホルモンの分泌や免疫などで説明し、マウスを使った実験、ストレスのコントロール法を紹介し、「ストレスをコントロールできるのはあなた自身なのだ」と結論する。
ところが、番組最後のたけしさんとゲストの意見で、単純な答えが続出する。
「ストレス、ストレスって、あまり気にしないこと」(たけし)
「"ストレス"と口にしないほうがいい」(所ジョージ)
「まぁいいや、がストレスにならないいい言葉」(たけし)
「なんとかなるさ、もいい」(増田けい子)
ハオハオです。
ちょうど今、「ストレス対処法」をまとめている私は、どうすりゃいいんでしょう。実は、私も以前に、ある掲示板に「ストレス」について、次のように書き込んでいました。
私は自分ではストレスという実感がない。「ストレス」という言葉を使うのは好きじゃない。使うからストレスを感じるのだと思う。私にも「緊張感」や「精神的な疲れ」はある。でもそれは何かをした時に自然に発生するものだと思う。
「ストレス」って、その人の心が創るような気がする。
今週のテーマどーするの? これってストレス?
なるようになる