しあわせ日記
5月21日(木) 何度も味わえる幸せ
私が最近電車の中で読んでいるのは「三国志」(吉川英治・講談社文庫)です。「三国志」を読むのは、7・8回めだと思います。私は好きな本は繰り返し読みます。
いい本は何度読んでもいい。その時の自分(の能力や興味や調子など)によって、違ったものが得られます。その時の自分に合ったものに出会えるような気がします。前には気づかなかったことに気づけたり、前と違うところで感動したりします。
「噛めば噛むほど味がでる」「知れば知るほど好きになる」ということもあります。
以前に「三国志」を読んだ時には、戦い方や駆け引きのようなことに興味が強かったように思います。今は、心の持ち方や人間関係に興味があります。
志があること(夢をもっていること)に魅力を感じるのは変わりません。
何度も味わえる自分の幸せを持つと、人生の中の幸せな時間がぐっと増えます。それには、そういう幸せを探すこと、1つの幸せを何度でも味わえる自分になること。
早くも次に読みたい本が、頭に浮かんできます。「深夜○○」「竜○…」「幸…」・・・。
ウーン、今から楽しみです。
5月22日(金) ハッピーページ
きょう職場で届いたメールには、URLがついていました。そのページを開くと、出産祝いのプレゼントの写真やもらった本人の喜びの写真とお礼の言葉などが載っていました。ハッピーな感じがよくでているページでした。
今週、私の前の席の人に女の子が産まれました。みんなでお金を出し合い、プレゼントを買いました。きょうの昼ごろに贈呈したら、あっという間にお祝いのページができて、メールがまわってきました。いい職場です。
先日、バスケットの仲間からフロッピーを手渡されました。中にはデジカメで撮った仲間の写真(の画像データ)が入っていました。
新しい技術や道具も、ハッピーな使い方がいいですね。
5月23日(土) 週末
最近は、週末には何をしようか、と考えます。やりたいことはいっぱいあるのですが・・・。
今朝も平日と同じように6時に起き、7時には事務所に着きました。
近頃土曜日には、3時間の昼寝が習慣になっています。やっぱり昼寝は気もちがいい。
買い物に行こう、と思っていたのですが、ついいつもの出不精になってしまいます。本も読みたいし、仕事関係でやりたいこともあるし。
そんなわけで、日記を書くのも遅れがちです。(実は、この日記は日曜の午後に金・土と続けて書いています)
のんびり過ごしたい、という気もあるので、まぁそのへんは適当に。
夜もビールを飲んだら眠くなったので、早めに寝てしまいました。
こんな土曜日もいいかな、って思います。
来週からはバスケットの練習もあるし、身体もイキイキとさせたいと思います。
5月24日(日) 祝福される人
若乃花関、優勝おめでとう!
今朝は早く目が覚め、午前中にやりたいことがいくつか順調に進みました。
朝風呂と1時間半の昼寝は、いつものように快適。
午後は、サッカーと相撲を見ながら、日記とメールの返事をを書きました。
よかったですね。“お兄ちゃん”もいよいよ横綱です。
すごくたくさんの人が祝福し、共によろこんでいると思います。
それは、若乃花関の人柄がいいからだと思います。
多くの人に喜びを与えてくれる素晴らしい人だと思います。
みんなに祝福される人、多くの人に喜びを与えられる人になれたらいいな。
5月25日(月) “信じる”って?
“信じる”って、どういうことでしょうか?
では、“信じられない”時って?
疑ってしまう時、不安になってしまう時、うまくいくって思えない時、・・・。
ということは、“信じる”って、疑わないこと、安心していられること、うまくいくことがイメージできること、・・・。
信じることは、心の中で勝手に決まることでしょうか?
それとも、自らの意志で変えられるものでしょうか?
信じられるかどうかは、フィーリングの問題のような気がします。
信じるかどうかは、意志の問題のような気がします。
自分の将来の幸せを信じて生きるためには、どうしたらいいでしょうか?
私は、信じられます。信じて生きたい、とも思っています。自ら幸せになるために。
5月26日(火) “信じる”って恐ろしい
きょう、元オウム真理教の林郁夫被告に、地下鉄サリン事件などで、無期懲役の判決がありました。
死刑でもおかしくない、という意見は多いと思います。死刑については以前に書きました。
大量無差別殺人など、ふつうの人間にはとてもできません。
なぜ、できたのでしょうか? 何かを信じていたからでしょうか。
そうだとしたら、“信じる”って恐ろしい。
そうではない。
「信じることはいいこと。信じすぎると当たり前のことが見えなくなる」
悪いのは“信じる”ことではなく、“すぎる”こと。
(信じる対象が間違っていたらよくないですが、それがわかっていて信じる人はいないでしょう)
信じたいですね、人間本来の心を。やさしさや良心や善性などを。
信じたいですね、自分の心を。
5月27日(水) あくせく?オロオロ?好好?
「徒然草」第74段の中に、
「心の迷っている者は、老と死を恐れない」
「愚かな者は、老と死をむやみに悲しむ」
のようなことが書いてあります。
“老と死を恐れない”というのは、生を考えないということだと思います。
前者はあくせく生きて、後者はオロオロ生きているような感じがします。
両者に共通するのは、今を大切にしていないことではないでしょうか。
老や死は、誰にも、必ずやってきます。それは受け入れるしかありません。だからこそ、今の時間を、今の生を大切に。
私流に言えば、「それはハオハオで、好!好!と生きよう」
(このホームページを知らない人には、ぜんぜんわからないでしょうね)
5月28日(木) 幸せ発想法
最近平日は、夜にお風呂に入る(当たり前?=ふつうの人は=私もふつうの人に戻ったようです)。半身浴をしながら日記に何を書こうか考えよう、と思っていたが、浮かんできたのは仕事に関するアイデアでした。
どうして風呂の中でよくアイデアが浮かぶのか、考えてみました。
・ リラックス 身体と心
・ 閉じた空間 外からの邪魔が入らない
・ 専念できる 浴槽の中では他に特にすることがない
これらのことを風呂の中以外でもできるようにするためには、リラックスして目をつぶって集中して考える。それに、風呂に浸っているイメージをしてみる、なんていうのもいいかもしれない。風呂の中の幸せな気分が、アイデア発想にいいのかもしれません。
今度ためしてみようと思います。幸せな気分になるイメージをすることは、幸せになる方法の1つでもあります。
5月29日(金) 今日までそして明日から
ふと頭に浮かんできました。
「わたしはきょうまで生きてみました」
もちろん、メロディ付きで。吉田拓郎の「今日までそして明日から」です。
拓郎・陽水・かぐや姫などは、私の学生時代のとても懐かしい存在です。私もギターの弾き語りなどしたものでした。
最近、町田の駅のそばで、ギターで弾き語りをしている若者がよく見られます。
わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
ハオハオです。
わたしは今日まで生きてみました
・
そしして今、わたしは思っています
明日からも
こうして生きていくだろうと
そして今、私は信じています。
明日からもこうして幸せに生きていくだろうと。
5月30日(土) ホワホワ=ハオハオ
ほぼ1カ月ぶりのバスケット。気もちいい汗をかきました。
何よりバスケットは楽しい。仲間と会えるのがうれしい。練習後のビールは最高。仲間と飲んで話すのも楽しい。
楽しい、気もちいい、ストレス解消になる、身体にいい。 いいことばっかり。
マンチュン(香港の人)に聞いてみました。
「広東語でホワホワって?」
「とってもいいこと」
「漢字は?」
「好好」
やっぱり「ハオハオ」でした。
きょうはとっても、ホワホワ、ハオハオでした。
5月31日(日) まず自分
きょうの読売新聞「テレビ人間」というコラムは、タレントの山田まりやさんへのインタビュー記事。
「テレビを見てもらう時には、自分が100%楽しくなければ見てる方も楽しくないと思う。本気で仕事を楽しみたい」
人を幸せにしたければ、まず自分が幸せであること。そのためには、今の自分の幸せを知り、人を幸せにすることを自らの喜びとできること。義務感や、無理をしたり、ビクビクしながらでは、自分の心は十分に喜べません。
私は、今は基本的に幸せ、人を幸せにできたらいいな、それは自分の喜び、本気で人生を愉しみたいな、などと思います。そのためにも、まず自分。