しあわせ日記
5月11日(月) ホームページの価値
「ホームページはクズばかり」という言葉を、最近は目にしなくなりました。この言葉自体が飽きられたのかもしれません。
「JIJI NEWS Watch」というメール新聞があります。(現在は無料です。申し込みたい方はこちら)メールで届く夕刊です。
記事の内容は、新聞社やテレビ局にも記事を配信している時事通信社が作成しています。普通の新聞と違うのは、記事に関連するURLがついていることです。メールを読んでいく中で、その関連URLをクリックするとブラウザにそのページが表示されます。ニュースの記事は多種多様なのに、ほとんどの記事にURLがついています。いろんなことを知ることができます。
インターネットの世界には、すごく多くの情報があることがわかります。
私は、このホームページをやっているおかげで、多くの幸せを得ることができます。また、多くの方から少しは役に立ったという内容のお言葉をいただきました。
それだけで十分です。このホームページは、私にとってはすごく大きな価値があります。
あなたにとって、このホームページが少しでも価値があると思っていただけているなら、私にとっては大きな幸せです。
5月12日(火) うれしいメール
今朝うれしいメールがいくつか届いていました。
ひとつは、「幸せになる方法」の本のご用命。好!好!
もう1つは、あの超有名なホームページ“JOY”のウェブマスター・斎藤さんからのメール。「インターネットアスキー」に連載中の「JOYの雑記帳」(6月末発売の号)に「幸せのホームページ」を紹介してくださるというお話。大好!好!
ホームページにくるメールはすべてうれしいメールなのですが、特にということで日記に書きました。
メールの返事はできるだけ早く書きたいと思ってはいるのですが、最近は少し遅れがちです。中には、すぐには返事が書けない内容の場合もあります。
そんな中の1つがきのうの朝届いていたメールです。「信じるための方法」を聞かれました。それで、きのうからそのことを考えています。もう少し考えてから、返事を書こうと思っています。
信じることは大切な問題です。そして、その方法を書くことは難しい。
でも私はそういうことを考えることが好きだし、書きたいとも思っています。いいテーマをいただいた、と思います。だから、そのメールも私にとっては、とてもうれしいメールです。
5月13日(水) 目には目?
インドがきょうも核実験をしたそうです。
“目には目”ということでしょうか?
国の中には、核には核。アメリカ社会の中には、銃には銃。日本の少年の中には、ナイフにはナイフ。こんなように考える人がいるようです。
不安だから持つのでしょうか? 守るために持つのでしょうか? 威嚇するために持つのでしょうか?
それを使って、人を不幸にしてしまうことは考えないのでしょうか?
本当は使いたくないものは、持たないほうがいい。持っていれば使ってしまう可能性がある。
やさしさにはやさしさ、思いやりには思いやり、愛には愛。“善意には善意”はとてもいい。
暴力には暴力、悪口には悪口、意地悪には意地悪。“悪意には悪意”はよくない。そんなことをする自分にはなりたくない。
5月14日(木) “信じる”って難しい
「徒然草」第39段には、法然上人の次のような言葉がでてきます。
「極楽往生はきっとできると思えば、きっとできるし、
どうかわからないと思えば、わからないものである」
「できると思えばできる、できっこないとあきらめたら絶対にできない」「信じれば叶う」このようなことがよくその手の本に書いてあります。中には、「できないのは心から信じていないからだ」のようなことを書いてあるものもあります。
「できたのは信じたおかげ、できないのは100%信じていないから」
こう言いきられたら、返す言葉がありません。
“信じる”って、難しいですね。
5月15日(金) “信じる”ってやさしい
私は、自分の将来の幸せを信じています。
今は基本的に幸せだし、それは将来も変わらないと思います。生きていく中にはいろんなことがあって、一時的に不幸になることはあると思います。でもその後には必ず幸せな時がくると思います。
どうしたらそんなふうに信じられるのか、って聞かれても、きちんと説明するのは難しいと思います。単に信じられるから、なのです。“信じる”って単純なものでいいんじゃないか。
“信じる”って、“言い切る”や“思い込む”みたいなものでいいんじゃないかって。
私は「幸せになる方法」の中で、「明日の幸せを信じる」ことは“安心”を生む。安心は幸せの1つ。と書きました。
疑いながら過ごすのと、安心して過ごすのでは、後者のほうが心にやさしいと思います。
信じることは、自分にやさしくすることではないかと思います。
5月16日(土) 幸と辛
“若いという字は苦しい字と似てるね” ずいぶん昔、こんな歌がはやりました。
“幸せという字は辛いという字と似てる”(“辛い”は「からい」ではありません。念のために) こんなのもどっかで見たことがあります。
ものは考えよう、って感じです。
逆の見方だってできます。
苦しいのは若いから。苦しんでしまうのは自分がまだ未熟だから。
つらいのは幸せに近いこと。不幸は幸せに変えられる。
ところで、あの歌はなんだっけ? たしか1番の歌詞は、“あしたという字は明るい日と書くのね”でした。そんな時には、gooで検索してみましょう。
「明るい日と書く」で検索、18件。どこにも歌のタイトルも歌手名も書いてなかった。誰か知ってたら、教えてください。
やっぱり、明日の幸せを信じます。だって、明るい日だから。
ではきょうは? 今の日。
「今が大事」(相田みつを)
ハオハオ。
5月17日(日) 中原中也
「中原中也詩集」(大岡昇平編・彌生書房)を読む。
中原中也と言えば、「汚れつちまつた悲しみに…」が有名。
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
(中略)
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
「幸福」という詩がありました。その中には、
幸福は 和める心には一挙にして分る。
幸福は、理解に富んでゐる。
とある。反対に、
頑なの心は、(××……)
そして、最後に、
学びて 汝が品格を高め、
そが働きの裕かとならんため!
私は、幸せになるには心の働き(幸せになる能力)を高めるのがいい、と思っています。
その第一は、受け入れること(理解できなくても)。ハオハオと、できるだけ和やかな心で過ごすこと。
5月18日(月) ひとり相撲
帰りの電車の中で本を読んでいると、前に座っている若い女性が時々チラッとこちらを見るのに気づいた。なぜかもすぐにわかった。私が彼女の胸を見ていると疑っているのだ。彼女が大きく胸元があいた服を着ているのは、そこに立った時に気づいた。私の顔はちょうどそちらのほうを向いている。(間に本がある)
ほんのちょっとイヤな感じがしたが、そこはハオハオと、気にせずに本を読み続けた。私は今、2番目に好きな歴史小説を読んでいる。(その本の話は、またそのうちに)
彼女が途中の駅で降り、私はそこに座った。なんとなく、彼女のことを考えた。
彼女はさっきここで何を考えていたんだろう?
人の目を気にしてイヤな気もちじゃなかったのだろうか。少なくともその時に楽しいことは考えていなかったんじゃないか。
あくまで推測でしかありませんが、ひとり相撲をとって疲れている、ような気がします。
人の目や人の考えを気にしてイヤな気分になるのは損だと思います。人の目や人の考えは実は自分の頭の中で創りだしたものです。
たとえ実際に相手がどう思っていようとも、それは相手の問題。自分がイヤな思いをすることはありません。
ちょっと気になるのは別に問題ありません。ハオハオと幸せなことを考えましょう。
ここで、はたと思いつく。
もしかして、ひとり相撲をとっていたのは、私?
まぁいいか、私はひとり相撲を楽しんでいたし、日記にも書いたし。
ハオハオ
5月19日(火) 偽幸者はいない
「徒然草」第85段のなかに、「偽りても賢をまなばんを賢といふべし」とあります。「たとえ偽ってでも、賢者を真似る者を賢者というべきである」
「みんなが幸せになりますように」と願うことを偽善と言う人がいます。
私は、「人を幸せにする」ことが幸せになる方法の1つと考えています。「人の幸せを祈る」「人の幸せを考える」だけでも、幸せな気もちになれます。
自分が幸せを感じている人は、確かに幸せです。幸福感を基準に考えれば、偽幸者はいません。
「偽りても幸せをまなばんを幸せといふべし」
兼好法師からまなんだのだから、これも正しいと思います。
はじめはうまくいかなくても、自分の幸せになる方法を考え・実践してみてください。その(まなばんとする)姿勢がある人は、きっと幸せになれます。
5月20日(水) Howa-Howa
ここ1週間くらい、インドネシアのニュースがよくトップで扱われています。
Howa-Howaというアジアのニュースサイトがあります。インドネシアの最新ニュースを読むことができます。
「Howa-Howa(ホワ・ホワ)は広東語でGoodFeelingの意味です」と書いてあります。
もしかして、「好好」ではないか?
でもなんとなく、「和和」のような気もします。
中国語(北京語)と広東語では、ずいぶん発音が違うと聞いたことがあります。今度のバスケットの練習に行ったら、仲間のマンチュン(香港の人)に聞いてみよう。
平和だということは、すごく幸せなことだと思います。
(ホワホワ)