
しあわせ日記
物事を自分にとって“いいように”考えよう
物事は考え方によって自分にとっての価値が変わります。最初に悪いことだと思っても、考え方によってはなんでもないことや自分にとって“いいこと”になる場合があります。
悪い出来事も「いいように考えよう」と心がけることができるようになれたらいいでしょう。
何かあってイヤな感じがした時には、「いいことじゃないの?」「もしかしたらいいことかもしれない」と考えてみてください。
たとえば、雨が降っているのを一瞬「イヤだなぁ」と思っても、「いいんじゃない?」と考えてみれば、「雨もいいかな」と思えるのではないでしょうか。「雨はイヤだなぁ」と思うのと「雨もいいなぁ」と思うのでは感じ方が違います。雨の日の気分も変わってくるでしょう。
たとえば、仕事で失敗をしてしまった時も、「いいことかもしれない」「信頼を得るチャンス」と考えて誠実な対応を心がければいいのです。いさぎよく謝罪し、失敗に対してできる限りのフォローをし、今まで以上に一所懸命に仕事に取り組めば、逆に評価が上がるのではないでしょうか。
たとえば、人との思わぬトラブルが発生した時も、「いいことかもしれない」「仲よくなるチャンス」と考え、よく話し合ってみれば、誤解は解け、互いの理解が深まり、以前よりも親しくなれるかもしれません。
たとえば、人事異動などで突然仕事がヒマになった時や、病気やケガで入院した時も、「いいことかもしれない」と考えてみれば、「いい休みになる」「何かやりたいことをやってみよう」「勉強する時間ができた」「自分の人生について考え直してみよう」など考えられるのではないでしょうか。
つらいことや大変なことも、「いいことじゃない?」と考えてみれば、「これで少しは強くなれるかもしれない」「自分を鍛えることになる」などと考えることができるでしょう。
◇人のことも“いいように”考えよう
人についても「いいように考える」ことができるといいでしょう。
たとえば、人が自分にイヤなことをした場合に、「意地悪している(のではないか)」「私を嫌っている」などと思ってしまうことがあります。それはあくまでも憶測です。
また、「人に嫌われたらどうしよう」「人に変だと思われたらイヤだ」などと、人の目を恐れるのも同様です。勝手に悪いように考えているのです。
そういう自分の否定的な考えに対して、「そうじゃないんじゃないか」と考えられるようになれるといいでしょう。
実際には、「人の心(人が考えること)はわからない」のです。
推測はできても、それは不確かなものです。不確かなもののために、自分がイヤな思いをするのはバカらしいのではないでしょうか。
そんな時、「本当? 絶対?」と自問してみれば、「わからない」「絶対とは言えない」と気づくことができるでしょう。
「わからない」のだったら、「わからない(不確かな)ことでイヤな思いをするのはやめよう」と考えることができるのではないでしょうか。
多くの場合、人は自分のことなど、ほとんど関心をもっていません。イヤなことをする人も、単に不注意だったり、鈍感な人の場合が多いのです。
人が自分に何かイヤな事をしても、もっともな訳や正当な理由や納得できる事情があれば許せるものです。「虫の居所が悪かったんじゃないか」「何も考えずに、ついやってしまったのだろう」「何か事情があるに違いない」などと考えれば、相手に対する怒りも少しは鎮まるはずです。
中には、意地悪なことをする人もいますが、そういう人に対しても「何か悩みや問題を抱えているのかもしれない」「過去の経験がこういう人にしてしまったのではないか」「かわいそうな人なのかもしれない」などと考えることができれば、自分の気分はずっと落ち着くでしょう。
どうしても自分の考えを打ち消せない場合には、「(世の中には)こんな人もいる」と相手の存在を受け入れたほうがいいでしょう。
続けて、「こんな人のためにイヤな思いをするのは損だ」と考えられるといいでしょう。
「人のために」いいように考えるのではなくて、「自分のため」にいいように考えるのです。
自分がどう考えるかだけで、心の中がぜんぜん違うのです。事実でなくていいのです。自分の心の中が平和になるのなら。
何が正しいか間違っているか、どちらが良いか悪いかよりも、「自分の心の平穏(幸せ)のためにはどう考えるのがいいか」ということです。