読書日記
すっぱい葡萄
『イソップ寓話集』より、
或る飢えた狐が葡萄棚から葡萄の房の下がっているのを見た時に、それを手に入れようと思いましたが、できませんでした。そこを立ち去りながらひとり言を言いました。「あれはまだ熟れていない。」
こういう風に、人間のうちにも自分の力の足らないために物事をうまく運ぶことができないと、時機を口実にする人々があるものです。
お腹がすいてイライラしている上に、うまく葡萄をとれなかった悔しさもあって、狐はつい葡萄のせいにして(自分に)言い訳をしてしまったのでしょう。
「まぁいいか」「気にしない、気にしない」「それより、何か他のエサを探そう」などと切り替えられるといいのでしょう。
人の中には、自分のせいにしやすい人と、自分以外のせいにしやすい人がいると思います。
自分のせいにして、ただ自分を責めたり落ち込んだりしてもしかたがありません。
得られる可能性があるのなら、そのための努力をすればいいのです。
でも、自分には得られないものも、自分にはできないこともあります。そういうものはあきらめて、自分にも得られるもの、自分にできることを求めたほうがいいでしょう。
人のせいや状況のせいや時機のせいなどにして、ただ腹を立てたり嘆いたりしていてもしかたがありません。
人や状況を変えられると思うのなら、そのための努力をすればいいのです。変えられそうもないのなら、そのことはそれ以上考えないほうがいいでしょう。
また、準備をしたり力を蓄えたりしながら、時機を待つというのも一つの方法です。
もちろん、それはあきらめて、他の幸せを求めても努力するのもいいでしょう。
いずれにしても、自分が得られる幸せを求めて努力することが大事なのではないでしょうか。