読書日記

  林檎の樹を植える

 『努力論』(幸田露伴)より、
 人ありてその庭上に一の大なる林檎の樹を有するとすれば、その林檎が年々に花さき年々に実りて、甘美清快なる味を供することは、たしかにその人をして幸福を感ぜしむるに相違ない。で、それはその人が幸福を有するのであって、即ち有福である。
 その林檎の果実をみだりに多産ならしめないで、樹の堅実と健全繁栄とを保たしむるのは、即ち惜福である。
 豊大甘美な果実の出来たところで、自己のみがこれを専にしないで親近朋友に分つのは分福である。

 さて植福というのは何様(どう)いうことかというと、新に林檎の種を播きてこれを成木せしめんとするのも植福である。同じ苗木を植付けて成木せしめんとするのも植福である。
 庭に林檎の樹が有るのなら、毎年、花が咲き実がなることを喜び、林檎の実を味わって食べ、幸福を感じられるといいのでしょう。
 林檎が実ることを忘れて食べなかったり、同じ味に飽きてしまったり、自分の庭の林檎を食べられることを当たり前と思って、有る幸福を感じられなければ、無いのとあまり変わらないでしょう。

 美味しい林檎を食べるためには、一本の樹にならす実の数は制限したほうがいいのかもしれません。
 また、林檎の樹と実を守るために、害虫を駆除したり、害鳥に食べられないようにしたり、台風などの自然災害への対策をしたりする必要もあるのでしょう。
 有る幸福を惜しみ大切にして、できるだけ長く存続できるといいのでしょう。

 欲張って一人で食べるよりも、まわりの人に分つほうが自分も幸せになれるのではないでしょうか。

 新たに林檎の樹を植え・育て続けることができれば、さらに多くの人に、また末永く林檎の実を提供することができるのでしょう。
 ただし、そのためには相当の時間と労力が必要でしょう。
 それでもやる価値があること、実現できればとても幸せなことではないかと思います。

 私たちが今、便利で快適に生活できているのには、多くの先人が植えてくれた林檎の樹がたくさんあるからでしょう。
 そのことに、もっと感謝したほうがよさそうです。

 できることなら、自分でも幸福の林檎の樹を植えることができたらいいのではないでしょうか。



   

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努力論』幸田露伴

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