読書日記

  自分に弁解?

 『生きていてよかった』(相田みつを)より、
 やれなかった やらなかった どっちかな

 やらなかった理由をさがせば いくらでもあるんだよなあ――

 人間は他人に弁解しているうちはまだいい。
 自分が自分に一生懸命弁解していることがある。
 「××だから、やれなかった」というのは、本当は「自分がやらなかった」だけではないのか?
 やれなかった理由は、実は自分がやらなかった弁解ではないのか?

 人は誰でも自分を正当化したいものですが、言い訳や弁解をすることで、自分にとってやったほうがいいことができなくなってしまうのは、自分のためによくないでしょう。
 ちょっとでも大変そうなことは、すぐに「自分にはできない」と思い、やれない理由(言い訳・弁解)を考えることが習性(考え方のクセ)になっている人もいるでしょう。

 『何かを実行できない理由ではなく、実行できる理由を探そう』 コリン・ターナー

 『何かをしたい者は手段を見つけ、
  何もしたくない者は言い訳を見つける』 アラビアのことわざ

 やれない理由を考えるヒマがあったら、どうしたらやれるか、もしくは、他のやりたいことをやることを考えたほうがいいのではないでしょうか。



   

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