しあわせ日記
7月7日(金) 幸せ=財/欲
『バカの壁』(養老孟司)より、
全てのものの背景には欲がある。その欲を、ほどほどにせいというのが仏教の一番いい教えなのです。誰でも欲を持っているので、それがなければ人類が滅びてしまうのはわかっている。しかしそれを野放図にやるのは駄目だ、と。
「幸せの数式 なにがあったらうれしいだろう」(AERA)の中に
「幸せ=財/欲望」
という数式が紹介されていました。
これと同じことをベンジャミン・フランクリンがこう言っています。
『幸福であるには二つの路がある。
欲望を減らすか持ち物を増やすかすればよい』
動物は欲望を満たすことで、快感を得るようになっています。
人は望みを叶えることで、幸せを感じられるのでしょう。
欲望には動物が生存し続けるために必要なものが多いでしょう。
望みは人が幸せになるために必要なものだと思います。
欲望が満たされないことを不満に思ってしまうのは、欲望が強すぎるのかもしれません。
望みが叶わないことを不幸に思ってしまうのは、望みが強すぎるのかもしれません。
「○○たらいな(○○にならなくてもいい)」ぐらいの軽い望み方なら、苦にはならないのではないでしょうか。
“欲望”が大きすぎると、得ることができないでしょう。
でも、「夢も希望もない」ような生き方もあまり幸せとは思えません。
「10個望んで6個叶えた人」と「3個望んで3個叶えた人」は、どちらが幸せなのでしょうか?
「6/10<3/3」か「6>3」か。
幸せを持っていても、幸せを感じられないのなら、幸せがないのとあまり変わりないと思います。
自分が持っている幸せを感じられるようになれば、それだけ幸せに暮らせるようになれるでしょう。
幸せを求めて努力しなければ、あまり幸せは得られないでしょう。
幸せの目標をもって努力することが習慣になれば、多くの幸せを得ながら生きていくことができるでしょう。
夢や目標を愉しんで生きることができれば、なおいいでしょう。