しあわせ日記

12月6日(火) 努力とあきらめ

 ラッセルの「幸福論」(岩波文庫)第2部「幸福をもたらすもの」
 第16章「努力とあきらめ」より
 幸福は、たいていの男女にとって、神の贈り物であるよりも、むしろ、達成されるものでなければならない。そして、それを達成する際には、内的ならびに外的な努力が大きな役割を演じなくてはならない。
 神の贈り物のようなことが、ときたまあったら、それも幸せでしょう。でも、それを期待しているだけでは、幸せにはなれないでしょう。
 幸せは、やはり、自分の努力で得るのがなによりです。
 努力したから、より幸せを感じられるということもあります。同様に、得られない可能性もあるから、得られた時には、より幸せを感じられるということもあるでしょう。

 外的な努力は「現実を変える」努力、内的な努力は「心を変える」努力と言っていいのかもしれません。
 現実が幸せなものに変われば、心も幸せになれるでしょう。
 現実が変わらなくても、心を変えれば幸せになれることもあります。
 たいていは、現実を変える努力と心を変える努力の両方をすればいいのだと思います。
 現実が少しでも改善され、心がある程度幸せになれればいい、というようなことが多いような気がします。

 また、現実を変えるためにいい努力をするためにも、心を変える努力をしたほうがいいでしょう。
 たとえば、やる気を出す努力決断力・行動力を高める努力いい心の姿勢をキープする努力などです。
 内的な努力には、やむなくあきらめる努力が含まれるかもしれない。

 私たちは、たいていの場合多少のあきらめが望ましい事柄に突きあたる。というのは、競争的な世界にあっては、はなばなしい成功はひと握りの人にしか可能ではないからである。
 すべての人が、すべての目標が、達成できるわけではありません。
 勝つ人がいれば負ける人もいます。定員が限られていれば、外れる人が出てしまいます。
 自分には達成できないと思ったら、その目標をあきらめたほうがいいのでしょう。それは、つらいことであり、一時的に不幸になることかもしれませんが、希望がない道を進むよりも、他に希望がもてる道を見つけたほうがいいのではないでしょうか。

 かと言って、なんでも悲観的に考えて目標をもたず、幸せになれることを何もしないのは、自分のためによくないでしょう。
 自分が幸せになる可能性は無限にあると思います。自分が可能性を感じられ、少しでも希望がもてることなら、トライ/チャレンジしてみる価値はあると思います。

 目標を持って生きる目的・価値はいろいろあります。
 幸せになれる(可能性がある)目標をもって努力することが、イキイキと生きることにつながり、いずれは大きな幸せにもつながるのではないでしょうか。
 必要な態度は、人事を尽くして天命を待つ、という態度である。
  『賢明な人は、できる限り最善を尽くし、
    落ち着いた気持ちで結果を受け入れる』 ピーターソン

 夢や目標を愉しんで生きられるようになれたら、いちばんいいと思います。



   

次の日の日記

ラッセルの「幸福論」

ホームページ