
しあわせ日記
11月28日(月) 被害妄想
ラッセルの「幸福論」(岩波文庫)第1部「不幸の原因」
第8章「被害妄想」より、
極端な形では、被害妄想は狂気の一種とされている。
それは精神病医の扱うべき問題だ。私が考察したいのは、より穏やかな形である。というのも、穏やかな形の被害妄想は、不幸の原因になることが多いからである。
「私は悪くないのに、ひどいことを言われた」「私は何もしていないのに、意地悪された」「私はこんなに思っているのに、冷たくされた」「私が○○してあげたのに、お礼のひと言もない」「私はこんなにやっているのに、ぜんぜん評価してくれない」「私がこんなにしてあげているのに、やさしくしてくれない」・・・。
このようなことを思うことが多い人は、生きるのがつらいでしょう。
被害妄想の傾向のある人は、哀れな身の上話を相手が信じたとなれば、尾ひれをつけて話すので、ついには眉つばものになる。反対に、自分の話が信じてもらえないとなれば、これまた人類が特に彼に対して不人情である一例になるだけの話だ。
被害妄想のメリットは何でしょうか?
一つは、自分は(可哀相な)被害者・犠牲者と考え、自分が不幸なのは人のせい(自分のせいじゃない)と考えたいのかもしれません。
もう一つは、「人に自分の話を聞いてほしい」「自分に関心をもってほしい」「同情してほしい」「人から注目されたい」というような(隠れた)思いがあるからかもしれません。
ラッセルは、「被害妄想は、理解によってのみ治療できるものである」とし、次の4つの公理を挙げています。
第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身が思っているほど利他的ではないことを忘れてはいけない。
第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。
第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれるものと期待してはならない。
第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。
誰でも被害妄想的な考えをしてしまうことはあると思います。
また、実際にそういう現実もあるでしょう。
世の中には、無礼な人も、無神経な人も、意地悪な人も、やさしくない人もたくさんいます。
でも、そんなにひどい人はそれほど多くはいないのではないでしょうか。
もし、自分のまわりの人の多くがそうだと思われるのなら、まず自分の考えを疑ってみたほうがいいのかもしれません。
自分が被害妄想的な考えをしてつらい気もちなった時には、「本当?(絶対?)」と自問できるようになれるといいでしょう。
「絶対に本当とは言えない」「そうじゃないかもしれない」と考えられるだけでも、少しは心が落ちつくでしょう。
「こんな(不確かな)ことで、一人で勝手につらい思いをするのはバカらしいんじゃないか」「こんなことを考えるより、もっと自分にとっていいことを考えよう」などと、切り替えられるようになれると、なおいいでしょう。
もう一つは、自分の考えの中の現実の部分と想像の部分を分けて考えられるといいでしょう。
そして、現実の部分を受け入れる考え方を心がけ、想像の部分を疑ってみることができるようになれるといいでしょう。
イヤな事があっても「こういうこともある」、イヤな人がいても「こんな人もいる」と現実を受け入れて、それ以上その(人の)ことを考えないように心がけ、その分の時間とパワーを自分が幸せになるために使えるようになれたらいいのではないでしょうか。