ガンに関わった方のお言葉
「自然のなりゆきだから、受け入れるしかない」
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大石静(脚本家)
「私、24歳のときにガンになったんですよ。
27歳で再発したときには、さすがにガンは恐ろしいなと思いました。
20代にして人の命のはかなさを感じてしまいましたね」
「人間は、どんな無理をしても死なないときは死なないし、
どんなに大事にしても死ぬときは死ぬ。
いまもそう思って生きています」
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立川談志
「いいじゃねぇか、生まれて、死にゃあいいんだよ」
「本当に好きなものをやめてまで、生きている価値はない」
「病気を機に生き方、人生の目的を考えられるし、
真の幸福についても考える時間がある」
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「人生は長さじゃなく、密度。
生きてること、いろいろなことが素晴らしく思える」
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「朝気もちよく目覚められると、幸せー、うれしい。
きょう1日を大事に生きよう」
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「孫といっしょに遊べるのが一番幸せ」
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「不思議ですね。毎日寝てばかりいて、動けなくて退屈なはずなのに、
動いていた時には見つけられなかった幸せをたくさん探し出せるんです」
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「日一日を大事に、仕事を励みとして生きていきたい。
そして、家族を大切にしたい」
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「人生の最後に、自分の好きなことをしたい」
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「もしかして、人の幸・不幸はいうのは、
その人の心の持ちようで変わるものかもしれない」
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「こんな大病を患ったのだから、もう、120%生きるのはやめよう。
60%できたら、『よくやったね』って自分を誉めてあげよう。
この1年間は捨ててしまおう。
病気で、『捨てたはずの、なかったはずの一年』だもの。
何か一つでも、得られるものがあったらそれで十分よ」
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「私はいろいろなことに気がつかせてもらうために、
私の病気はあったんじゃないのかしら」
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「病気をしたことは、確かにとても苦しいことだったけど、
自分が苦しい思いをしたことで、
人の痛みが、もっともっと、良くわかるようになったと思うのよ」
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「病気になってよかった。『病気』って、もしかすると、
人に本当の幸せを与えてくれる『魔法の力』があるのかしら」
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立川談志
「あと3年の寿命と自ら決めている。
3年にこだわれば、その間の人生を凝縮できる」
「幸せの基準をどっかで決めよう。
それが人間が生きていく上での手立て」
西川喜作(精神科医・ガン闘病後死去)
「人間が病いを得るということは、決して悪いことではないと思うのです。その人の生き方や人生の一つの姿として現れたのが、病いとするなら、むしろそれを友として生きていくという考え方が、大事なのではないですか。病いを見つめることによって、生きることの意味や喜びが、よりはっきりとわかってくる。私はいま、死を見つめることによって、生きることを考えたいと思っているのです」
「私はもう偉くなれないし、ならなくていいのだと思ったら、こんな楽な事はありません。本当に実感したこの二・三年です。人生、本当の事を言って、一回きりですが、あんまり背のびしないで、心の充実というか、自らの生きることに対してチャージ(充電)をする事の大切さをつくづく感じている今日この頃です」
「私はいま、生きることの素晴らしさを感謝している。いままで私には何故、この素晴らしさを感じとれなかったのか」
「『死の医学』への序章」(柳田邦男・新潮文庫)
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岩田隆信(脳外科医・悪性脳腫瘍)
「もっとリラックスして、笑いの多い生活をするんだった」
最後の言葉
「からだには気をつけてくれ」
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子供へのノート
「お母さんは健ちゃんの心の中に生きています」
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子供へのメッセージテープ
「みんなの幸せのために生きてください。
父さんは、それが願いです」
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娘との交換日記
「父さんは頑張ったぞ。エリ子も強く生きてください。
父さんはいつまでも応援しています。頑張れ、エリ子」
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父から息子への手紙
いま、この五日間の外泊と、前回の五日間の外泊のことを考えている。こんなに充実した時間は、いままでなかったような気がする。
これから先もずっといっしょにいられると思っていたから、お前たちといっしょにいる時間のたいせつさに気がつかなかったんだ。病気になって、しかもお前たちといっしょにいる時間がもうあまりないかもしれないときになって、お前たちといっしょに過ごすことのたいせつさや楽しさを知らなければならないとは、とても悔しくて残念なことだ。「病院で死ぬということ」(山崎章郎・主婦の友社)
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池田貴族
「思えばすべてのことが今ここにつながっているように感じる。
ガンにならなければ子供をつくろうとは思わなかった。
子供がいなければもっと生きようとは思わなかった。
また、家族の大切さ、命の尊さを真剣に考えたりすることはなかった。
今回のマイナスはきっと大きなプラスへの試練なのだ」
「父が病気になってしまった時には、『なぜ父が…』と怨んでもみました。
でも、もし、父が急死してしまったとしたら、
こんな暖かい時間は持てなかったな、と今では思うこともあるんです」
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「あの人の人生の中であれだけみんなに愛された時期は最初で最後だと思う。
だから、すごく幸せな時期だったのではないか」
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「死に別れたということはつらいことではありますが、
それ以前に、まず会えた、同じ時間を過ごせたというものがあります。
楽しい時間を過ごせたという事実は消えません。
それはすごく幸せな時間だったわけですし、
ですから、苦しいなりにも幸せです」
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「父から学んだことは多すぎる。感謝しつくせない」
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「死に対する恐怖がなくなった。死が身近になった」
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「父とこの世で会うことはもうないが、
自分の心の中には生き続けている」
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「今まで、自分が生きていることに気づいていなかった。
夫の死によって、自分が今生きていることに気づかされた」