アメとムチ

 動物は、快感を求め、苦痛を避けるようになっているようです。
 子育てで言えば、「ほめる」ことと「叱る」こともそうだと思います。
 いいことをした時に、「ほめる」ことで子供をいい気もちにさせ、またいいことをしたくなるようにしているのです。悪いことをした時には、「叱る」ことで子供につらい思いを経験させ、もう悪いことはしないようにし向けているのです。
 あまりいい言葉ではありませんが、「アメとムチ」を使っていると言えるでしょう。

 子育てでは、「ほめる」ことも「叱る」ことも大事な要素だと思いますが、その危険性についても頭においておけたほうがいいと思うのです。
 ほめられることに慣れすぎると、ほめられないと不満に思ってしまったり、人の評価を気にしすぎる子供になってしまう危険性があります。世の中にはほめてくれる人はそんなに多くはいないでしょう。常に自分が望む評価をしてもらえるわけでもありません。また、自分より評価される人がいると嫉妬したり落ち込んだり、自分より評価が低いと思われる人をバカしたりしやすくなってしまいます。反対に、ほめられた経験がまったくないと自信がない子供になってしまう危険性があります。
 ひどい叱られ方を経験した人は、人(の思惑)を恐れすぎる子供になってしまう危険性があります。反対に、叱られた経験がない人は我慢ができないわがままになったり、逆に傷つきやすくなったりしてしまう危険性があります。いずれにしても、人間関係で悩みやすくなってしまう可能性があります。

 ほめすぎも、まったくほめないのも、叱りすぎも、まったく叱らないのも、よくないということです。
 ほめない/叱らないというのは、子育てに無関心としか思えません。子供に対する愛情が足りないと言ってもいいでしょう。
 ほめすぎ/叱りすぎの判断は難しいところです。基本的には、子供の幸せを考えた上でほめたり叱ったりしていれば大丈夫だと思います。あとは、上記のような危険性を知った上で、「ほめすぎではないか?」「叱りすぎではないか?」とたまに自問できれば、気づけるのではないかと思います。

 人間は、快感と苦痛によってだけ動かされているのではありません。人間には意思があります。意思によって行動をコントロールことが可能なのです。
 子供が小さい時には、「アメとムチ」も必要でしょうが、言えばわかるようになったら、子供の意思を尊重したほうがいいでしょう。子供が自分の意思でいいと思うことをし、悪いと思うことをしないようになればいいのです。

 いい歳をして親にほめられようと生きるのは、いわゆる「いい子」を演じることになり、いつか「自分らしく生きられない」と悩むことにもなってしまいます。
 また、思春期になれば親が叱っても反抗するようになるのがふつうです。そこで、ヘタをすると親子関係が悪くなってしまい、余計に言うことを聞かなくなってしまうでしょう。
 子供の意思を尊重することについては、次回の「北風と太陽」に書くことにします。



   

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