6章 人間関係でくよくよしないために

 
 『くよくよしない考え方』(本多時生)  目次 

 1章 小さいことでくよくよしないために
 2章 人のことでイライラしないために
 3章 決断で迷ってくよくよしないために
 4章 過ぎたことでくよくよしないために
 5章 まだ先のことでくよくよしないために
 6章 人間関係でくよくよしないために
 7章 自分のことでくよくよしないために
 8章 生きることでくよくよしないために
 9章 大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方
 10章 くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために


44 「このままでもいいか」〜ラクになれる現実的な方法〜

 人間関係で悩んだ時、「このままでもいいか」と思うことができたらいちばんラクなのですが。このままでいいのですから。
 と言っても、なかなか簡単にはそう思えないことも多いでしょう。
 でも、「このままでもいいか」と思えるように努力してみる価値はあると思います。

 年に一回とか、たまにしか会わない相手との関係だったら、そんなにうまくいかなくても、少しぐらい悪くったって、(このままでも)いいじゃないか。
 一・二時間とか、ほんの短時間だけいっしょにいればいいのなら、ちょっとぐらいぎくしゃくしたって、(このままでも)いいんじゃないか。
 頭にくることを言われるなどのイヤなことも、時々ならいいんじゃないか。
 話が途切れがちになるなどは、この程度ならまぁいいか、このままでもいいか。
 自分にとってどうでもいい人、いい関係でなくても問題がない人だったら、このままでもいいんじゃないか。
 変りようがない人もいます。この人のこういうところはしょうがない、このままでもしかたがない、と考えるしかないこともあります。
「たまになら」「ちょっとの時間なら」「時々なら」「この程度なら」「この人とは」「しょうがない」などと考えることで、「このままでもいいか」と思えることを増やせたら、と思います。

 人間関係で悩むと、その結果は「人のせい」にするか、「自分のせい」にするか、どちらかになることがほとんどでしょう。「人のせい」にして腹を立てたり、嘆いたり、恨んだり、憎んだりしてもいいことはありません。「自分のせい」にして自分を責めたり、自分はダメだと思ったりしてもつらいだけです。自分を変えよう、人間関係を良くできるようにしようと考えるのはいいことですが、それには努力が必要で時間がかかることを覚悟しなければなりまん。
 人のせいにするのも、自分のせいにするのも、ほどほどにしたほうがいいと思うのです。人を変えるのも自分を変えるのも難しいことです。どちらも「このままでもいいか」と思ってしまったほうがラクなことが多いのではないでしょうか。「人が変わらない」とイライラしたり、「自分を変える」ことができないとくよくよしたり、“イライラ”“くよくよ”の悪循環に陥ってしまうよりは。
「このままでもいいか」というのは、現実的な方法だと思います。現実を変えなくてもいいのですから。自分の考え方を変えるだけで悩まないようにすればいいのですから。

 うまくいかない人間関係があるのは当たり前、気が合わない人がいるのは当たり前、どんな人間関係でも少しぐらい問題があるのは当たり前、たまにはいさかいがあるのは当たり前だと思いませんか?
 当たり前だとわかれば、「この程度ならこのままでもいいか」「少しくらいぎくしゃくしたっていいじゃないか」「小さいトラブルはあってもしかたがない」などと考えることで、人間関係が少しはラクになるのではないでしょうか。
 もちろん、大切にしたい人間関係もあります。



45 「それなりにつきあう」〜少しぐらい悪い関係でも悩まない〜

 人づきあいでくよくよしやすい人の中には、「誰とでも親しくつきあえないといけない」のような思いこみがある人が多いような気がします。
 特別な相手以外とは、「それなりにつきあう」ことができたらいいのではないでしょうか。

 それなりにつきあうためには、まず「人づきあいにおける基本的なこと」が大事です。あいさつとか、相手の話をちゃんと聞くとか、人から何かをしてもらった場合には「ありがとう」と言うとか、自分が相手に対して悪いと思うことがあれば素直に謝るとかです。当たり前のことかもしれませんが、人間関係の悪さはそういうところから現れることがよくあります。
 やはり人づきあいの扉は会話でしょう。特定の相手とつきあう必要があるのなら、「話を合わせる」ということも必要です。そのために、相手が興味を持っている情報を入手することや、会う前に話題を考えておくなど、それなりの努力も実際に役に立ちます。
 話すのが元来苦手な人は、人の話を聞くことを心がけ、聞き上手になることをおすすめします。人は話をよく聞いてくれる人に好感をもちます。

 ところで、人づきあいがうまい人って、どういう人でしょうか?
 誰とでも楽しそうに話ができる、積極的に会話に参加できる、リーダーシップがとれる、・・・。そういう人に憧れる気もちはわかるし、そうなれるように努力するのはいいことだとは思います。でも、世の中にはそういう人ばかりではありません。いろんな人がいていいのです。グループの中にはおとなしい人やマイペースな人もいていいはずです。自分なりの人づきあいへの参加ができればいいのではないか、と思うのです。

 人間関係の問題で悩まないためには、大きく分けて二つの方法があると思います。
 一つの方法は、人間関係を改善すること(当たり前?)。そのためには、努力や工夫が必要です。そういうテクニックを身につけたり能力を向上させることも役に立ちます。
 もう一つの方法は、少しぐらい悪い人間関係があってもそれで悩まないようにすること。そういう相手といっしょの時にはイヤな思いをすることもあるけれど、その場はなんとかやり過ごし、その人と関わっていない時にはその人のことは考えずに、できるだけ気分よく過ごすようにするというような、それなりにつきあう方法です。

 どういうつきあい方をしたらいいかは、相手によって変わるものだと思います。自分で意識してつきあい方を選んでいいと思うのです。
 人づきあいに悩む人の中には、人づきあいに期待し過ぎる人や完璧主義の人が多いような気がします。「このままでもいいか」「それなりにつきえばいい」のように考えることでラクになれる人もいると思うのですが。



46 「ちょっとしたことは軽く受け流す」〜気まずいこともある〜

 人のちょっとした一言やものの言い方、ちょっとしたしぐさや表情、咳払いとかのちょっとした動作、あいさつをしてくれない、目を合わせてくれない、にらまれた(気がする)などのちょっとした事で気まずい感じがした時に、「自分に怒っているのではないか」「何か不満があるのではないか」「嫌われているのかもしれない」などと考えてくよくよしてしまうことがあります。
 自分さえ考えなければ何も問題ないことがほとんどです。人に相談しても、「そんなのは気にしなければいい」と言われるだけだったりします。
「小さいこと」「まぁいいか」などと軽く受け流せればいちばんいいと思うのですが。

 そもそも人が何を考えているかは「わからない」のです。「相手の意図や思惑を考えてもしかたがない」「考え過ぎてイヤな気もちになるのは損だ」「そんなことを考えるより何かいいことを考えたほうがいい」などと考えられたら、と思います。
 もし相手に悪意があったとしても、それは相手の問題だし、そんなのは相手にしないのがいちばんではないでしょうか。

 人間関係で気まずいことなんてたまにしかない、という人も多いような気がします。そういう人にとっては、ここに書いたようなことは、「なんでそんなに考えるのか、気にしなければいいのに」と思うことでしょう。
 でも、気まずい思いをしやすい人にとっては、けっこう深刻だったりするのです。

 人のちょっとした事にくよくよしないためにはまず、「人間関係に気まずい時はあるもの」と覚悟することではないかと思います。その場でそう考えられれば、あわてなくてもすむし、少しぐらいの我慢もできるだろうし、少しは落ち着いて考えられると思います。
 人間関係のちょっとした事は軽く受け流すのがいちばんだと思うのです。



47 「まず自分から」〜大切にしたい関係なら〜

 ケンカなどのトラブルがあった後にその相手と気まずい関係になり、くよくよしてしまうことがあります。
 もし気まずい関係がイヤなら、「まず自分から」ということが大事だと思います。

 自分から相手に仲直りを提案したり、自分の悪かった部分は相手に謝ったりすることです。相手が自分を避けている様子でも、自分から相手に歩み寄る気もちが大切だと思います。
「相手が原因」「相手が悪い」と思っても、関係を良くしたい大切な相手なら、「まず自分から」働きかけて早期に関係を修復したほうが、気まずい関係の時間を続けるよりもいいのではないでしょうか。また、早いうちほど仲直りもしやすいものです。
 どうして自分から折れなくちゃいけないのか、謝らなくちゃいけないのかなどと、面子にこだわることにどれほどの価値があるのでしょうか。相手の気もちも思いやりつつ、うまく謝れる、うまく仲直りが提案できることのほうが人間として素敵だと思うのです。

「まず自分から」という考え方は、人間関係を良くするために役に立つ考え方です。
 自分から話しかける、自分から何かに誘う、自分から楽しいことを提案する、自分から雑用を買って出るなどの、「まず自分から」ということができるようになれば、人間関係でうまくいくことが多くなると思います。「話しかけてくれない」「誘ってくれない」などとくよくよしなくてもすみます。

 もし自分にとってどうでもいい関係なら、何かトラブルがあってもちょっとしたことは軽く受け流して、それなりにつきあえばいいわけです。
 もし自分が大切にしたい関係なら、そのトラブルにこだわるよりもいい関係に戻れることを考え、「まず自分から」と相手に働きかけたほうがいいと思うのですが。



48 「一時の事」〜あれこれ心配するよりも〜

「聞くは一時(いっとき)の恥、聞かぬは末代の恥」ということわざがあります。要するには、「知らないことを恥ずかしがって聞かなければ、一生恥ずかしい思いや損をする。聞くのは一時だけ恥ずかしい思いをすればいい」ということです。

 一時だけイヤな思いを我慢すれば、それで済むことがあります。
 人づきあいでは、自分から話かける、人を何かに誘う、好きな人に告白するなどは、「恥ずかしいのは一時の事」と考えることができます。
 他にも、「つらいのは一時の事」「我慢するのは一時の事」「イヤな思いをするのは一時の事」など、いろいろな使い方ができます。一生の中で考えれば、ほとんどの事は「一時の事」と言うことができるのかもしれません。

 たとえば、年に一回の事(帰郷、年中行事など)や、ごくたまにしか会わない人とのつきあいについて、あれこれと悩む人がいます。「一時の事」と考えれば、それ以外の時間に余計な心配をしなくてすみ、その場では「これも一時の事」「この時だけ」と我慢する覚悟もできます。
 初めての事や慣れていない事をやる前には不安になります。人前で何かをするのが恥ずかしいということもあります。よく知らない人や苦手な人とのつきあいを考えると憂うつになることもあります。ましてや過去にイヤな経験があればなおさらです。
 でもその現場が限られた短い時間で済むことだとわかっているのなら、その短い時間のために長い時間心配してイヤな思いをしてしまうのはいかがなものでしょうか。「一時の事」「なるようになる」などと考えて、今の時間を大切にしたほうがいいのではないでしょうか。

 まだ先のイヤな事はあれこれ心配し過ぎてくよくよしないように、「(つらいのは/我慢するのは)一時の事」と覚悟する。その場では「一時の事だから」なんとかやり過ごす。過ぎたイヤな出来事は「一時の事だった」と早く忘れる。人生の中ではそんなふうに考えたほうがいい「一時の事」がけっこうあるような気がします。



49 「ことわる」〜その時間をやりたいことに使う〜

 人から何かに誘われた時や何かを頼まれた時に、なかなか「ことわれない」という人もいます。それでイヤイヤつきあったり気がすすまないことをやると、楽しくないし疲れてしまいます。
  やりたいことは、喜んでやる。
  やりたくなくても、やらなければならないことなら、それなりにやる。
  やりたくなくて、やらなくてもいいことなら、ことわる。
 当たり前のようですが、それがうまくできないから、「ことわれない」と悩んでしまうのです。

「やりたくない」と感じたら、「本当にやらなくちゃいけない?」「やったほうがいい?」のように考えてみてください。すぐに決められない時には、もし状況が許せば「ちょっと待って」「少し考えさせて」「あとで返事する」などと言えたら、と思います。もし、やらなくてもいいことだと思えたら、たまにはことわってみてはどうでしょうか。
「ことわりたい」と思っても、どうことわったらいいのかわからない、ことわるのが難しい、と考えてしまう人もいるでしょう。「きょうはちょっと」「忙しくて」「予定があって」「やりたいことがあって」などで済むことが多いと思います。さらに細かく聞かれても、「いや、ちょっと」「ヒミツ」とか、「ごめん」「すみません」などで押し通せばたいていは済むと思います。(それで相手がどう思ってもかまわない、と覚悟する)
 ことわり方をあらかじめ考えておくのもいいと思います。

 もし今、ことわりたいつきあいがある人は、何かやりたいことを始めてみてはどうでしょうか。「やりたいことがあるので」とことわることができます。イヤなつきあいをことわれて、やりたいことができて、一石二鳥だと思うのですが。
 ことわる理由として立派なことをやらなくてはならない、なんてことはありません。やりたいことの中には、「やすらいだ時間を過ごしたい」「このテレビ番組が見たい」「ゆっくり休みたい」「寝たい」のようなことがあってもいいと思うのです。それを「やりたいことがあるので」とだけ言えばいいのです。

 なかなか「ことわれない」という人も、気がすすまない時には、たまにはことわってみてはどうでしょうか。ことわったからにはその時間をやりたいことに使えば、「ことわって良かった」と思えるでしょう。



50 「人に気を使うことはいいこと」〜人間関係で疲れるのは〜

「人づきあいで疲れる」という人がいます。人に気を使い過ぎて「疲れる」のだと思います。そのために人づきあいがイヤになってしまう人もいます。
 「人に気を使うのはいいこと、気を使い過ぎるのはよくないこと」
 この「いいこと」という自覚が大切なのです。
 ここで注意しなくてはならないのは、よくないのは「過ぎる」ことであって、「気を使う」ことではないということです。「気を使うことはいいこと」なのです。

「気を使わなくちゃいけない」のような義務感や、「気を使わないと嫌われるんじゃないか」のような恐怖感に駆られて気を使うようでは、気疲れが大きくなると思います。
 また、人間関係で疲れた時に、「自分はこんなに気を使っているのに」「気を使っても意味がないんじゃないか」などと自分が気を使うことがイヤになってしまうと、気を使うのを意識してやめてしまうか、イヤイヤ気を使ってさらに疲れてしまうかになってしまいます。

 私は自分が人に気を使うほうだと思っています。人の目や思惑が気になるのだと思います。要は、小心者なのでしょう。「気を使うから疲れる」と考えていた時期もありました。
 でも、世の中にはいろんな人がいます。人に気を使う人も、気を使わない人も。
 私は気を使うほうが向いているんじゃないかと、ある時思ったのです。
 イヤイヤ気を使うのではなく、すすんで(できれば、喜んで)気を使えばいい。そうすればイヤな疲れはなくなるんじゃないか、などと今は考えています。
 また、「気を使いたくなければ使わなくていい、気を使いたい時には使えばいい」とも考えます。

 気を使うことでも、イヤイヤやっているか、自らすすんでやっているか、喜んでやっているかによってずいぶん疲れ方も違うと思うのです。
 自分は気を使うタイプだと思う人は、「気を使うのはいいこと」と考えて、すすんで気を使ってみてはいかがでしょうか。



51 「余計なことは考えない」〜問題を大きくしているのは〜

 人間関係でイヤな事があった時、後でそのことを考えてくよくよしてしまうことがあります。その場だけで忘れて、後で考えなければ人間関係の問題にはならないのです。

 イヤな事を想い出して「イヤだイヤだ」「信じられない」「何で自分がこんな目に会わなくちゃならないんだ」「あの人が悪いんだ」などと考えたら、イヤな気もちになるの当たり前です。その上、過去の相手とのイヤな出来事や相手の欠点など、思いつく悪い材料をどんどんつけ足してしまったりもします。
 こんなふうに後から悪材料を加えてしまうから、自分の中で問題が大きくなり、相手はどんどん悪人になってしまうのではないでしょうか。
 後からつけ加えるのは「余計なこと」だと思うのです。

 さらに、「意地悪してるんだ」「自分のことを嫌いなんだ」「自分に対して悪意があるんだ」などと考えてしまうこともあります。
 相手が考えていたことや相手の気もちや相手の意図などは、いくら考えてもわかりません。そもそも答え合わせができるわけでもありません。
 もし、勝手に間違ったことを考えて、ひとりでくよくよしていたとしたら、ばかばかしいと思いませんか?

「余計なこと」を考えないようにするにはどうしたらいいか。
 その相手のことをできるだけ考えなければいい。
 その相手のことを考えているのに気づいたら、やめて他のことを考えればいい。自分が好きな事・人のことを考えたり、自分がやりたいことを考えてやればいい。
 「くよくよしているのに気づいたら、何かいいことを始めよう」(1章参照)
 「いっしょにいない時には、イヤな人のことは考えない」(2章参照)
 そもそも、いっしょじゃない時にイヤな相手のことを考えてくよくよすること自体が「余計なこと」ではないでしょうか。



52 「人を悪く決めつけない」〜結局、自分に返ってくる〜

 人間関係が悪くなったり人づきあいでイヤな思いをしてしまう大きな要因の一つが、相手に対する自分の考え方だと思います。相手やその言動について自分がどう考えるかによって、自分の受け取り方が変わり、それが自分の感情と言動に影響を与え、人間関係にも反映するということです。
 いちばんわかりやすいのは、人の「好き嫌い」です。好きな人といっしょだと気分よく過ごしやすく、嫌いな人といっしょだとイヤな思いをしやすいはずです。
「この人が嫌い」という思いが心の中にあると、相手のイヤなところが目につきやすく、相手のことを悪く考えがちになります。きっと自分の表情や言動にもそれが(なんとなくでも)表れてしまい、相手にも伝わるような気がします。よけいに人間関係が悪くなりやすいのだと思います。
「嫌い」という思いを消し去ることは難しいかもしれませんが、その人に対する考え方を変えることによって、弱めることはできるのではないかと思うのです。

 人に対する考え方の材料は何でしょうか?
 自分が見たり聞いたりした相手の言動が大半だと思います。顔だけで人のイメージを決めてしまうことも多いような気がします。そういうことだけで相手を判断するのは、すごく難しいことではないでしょうか。誤解や錯覚をしてしまうことも多いのではないでしょうか。
 ある人が自分に対してイヤなことを言った・したとしても、それはその人の一面がその時に出たもので、その人のすべてではありません。誰にでも欠点はあるし、過ちやミスをおかしてしまうこともあります。また、人間がその時の気分や状況によって人にやさしくできないことがあるのも、自分のことを考えてみればわかるはずです。

 第一印象が(後でわかったその人とは)違っていた、ということがあると思います。
 第一印象がいい場合にはそれを大切にすればいいのですが、悪い場合には自分の判断を疑ってみたほうがいいと思います。少なくとも悪い印象をそのまま相手がそうだと決めつけることだけはやめたほうがいいと思うのです。
「この人はこういう人(じゃないか)」と自分が思うのは自由です。でも、自分にとって「イヤな人」と決めつけてしまうと、イヤな思いをするのは自分で、そのために(自分のために)関係が悪くなってしまうこともあります。
「この人はこういう人」と決めつけないで、「違う部分もあるのではないか」「変わる可能性もあるのではないか」などと一瞬でも考えることができるだけでずいぶん違う、と私は実感しています。

 人間関係が変わるのは相手が変わるからではなく、自分の心の中の相手に対する感情や考えが変わるからだと思うのです。自分にとっての(特定の人との)人間関係とは、相手に対する自分の心模様なのかもしれません。
 自分が人のことをどう思うかは、結局、自分に返ってくるのではないでしょうか。
 人のことを悪く決めつけないことは、自分のためだと思うのです。



53 「人間関係を良くする方法」〜簡単な方法と理想的な方法〜

 私が役に立つと思う「人間関係を良くする方法」を紹介します。
・ 相手のイヤな部分/欠点などを考えないように心がける。
  つい考えてしまったら、気づいたところでストップすればいい。
・ 相手のいいところ(長所、自分にしてくれたこと、など)を想い浮かべる。
  同じことを何度想ってもいい。一つだけでもあればいい。

 後者は自分がひとりの時にそれを想えばいいだけです。現実に何かをする必要はありません。(簡単な方法ですよね?)
 理屈はどうでもいいから、試してみてください。一週間ぐらいでもいいから、毎日一回三分だけでもいいから、実際にやってみてください。
 また、相手と話をする前にやってもそれなりの効果があります。
 私ははじめ、この方法を自分が気分よく過ごすために試みました。結果はほとんどの場合、人間関係がよくなりました。
 この方法は自分がやる気になれば、誰にでもできる方法です。

 もう一つ、人間関係を良くする方法を挙げておきたいと思います。
 相手を喜ばすこと、相手の望みを叶えること、相手を幸せにすることを一生懸命に考えて実行することです。
 当たり前のことなのかもしれませんが、このことが実践できるようになれば人間関係は良くなると思います。その前にそういう自分になれるかどうかが問題なのですが。

 人間関係を良くする方法をすべての人に対してやる必要なんてありません。今より人間関係を良くしたいと思う人にだけやればいいのです。
 人間関係を良くする方法は他にもいっぱいあると思います。そういうことができるように努力することはとてもいいことです。でも、そんなに簡単にすぐにうまくできる方法はないと思います。
 まずは、人間関係でくよくよしないことを心がけてみてはどうでしょうか。




 1章 小さいことでくよくよしないために
 2章 人のことでイライラしないために
 3章 決断で迷ってくよくよしないために
 4章 過ぎたことでくよくよしないために
 5章 まだ先のことでくよくよしないために
 6章 人間関係でくよくよしないために
 7章 自分のことでくよくよしないために
 8章 生きることでくよくよしないために
 9章 大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方
 10章 くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために

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