4章 過ぎたことでくよくよしないために

 
 『くよくよしない考え方』(本多時生)  目次 

 1章 小さいことでくよくよしないために
 2章 人のことでイライラしないために
 3章 決断で迷ってくよくよしないために
 4章 過ぎたことでくよくよしないために
 5章 まだ先のことでくよくよしないために
 6章 人間関係でくよくよしないために
 7章 自分のことでくよくよしないために
 8章 生きることでくよくよしないために
 9章 大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方
 10章 くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために


29 「なんになる?」〜今を愉しめなくなる〜

 過去のつらい経験やイヤな出来事を想い出して、くよくよと考えてしまうことがあります。いじめや裏切りなどの人から受けたひどい仕打ち、失敗や挫折、後悔していること、大切な人とのつらい別れ、・・・。
 過ぎたことでくよくよしているのに気づいたら、「なんになる?」と自問してみてください。「この事を考えることでなんになる?」「自分を責めてなんになる?」「人のせいにしてなんになる?」「過去を嘆いてなんになる?」などと。
 その答えが「なんにもならない」のなら、考えるだけムダだと思いませんか?
 それに実は「なんにもならない」のではなく、「イヤな気もちになる」や「今を愉しめなくなる」のです。

 イヤな出来事があった直後には、その事が思わず頭に浮かんでしまうのはしかたがありません。大きい出来事の場合には、つらい時期が多少続くのは覚悟したほうがいいでしょう。それでもある程度の時がたったら、いつまでもその事を想い出してくよくよするのは望ましいことではありません。

「くよくよしてもなんにもならない」ことに気づいて、「こんなことを考えるのは時間とエネルギーのムダ/もったいない/損だ/バカバカしい」などと考えれば、くよくよから抜け出すきっかけになるはずなのですが。
 過ぎたことでくよくよしてもなんにもならない─。「そんなことはわかっている。わかっていても頭から離れないのだからしょうがない」と言う人もいると思います。でも、そう言って最初からあきらめてしまっては、いつまでたってもくよくよすることになってしまいます。過ぎたことでくよくよしない自分になれるように努力してみてはいかがでしょうか。もう少し今を愉しめるようになるために。
 この章に書いてあることが少しでもお役に立てれば幸いです。



30 「忘れられなくてもいい」〜“忘れなきゃ”には無理がある〜

「考えてもしかたがない」とわかっている過去の出来事でも、どうしても想い出してしまうことがあります。また、そのことを「忘れられない」と悩む人がいます。

 ところが不思議なことに、それ以上の事があるとコロッと忘れてしまうことがあります。失恋した人も、その相手よりいい人が現われて恋をすれば、前の相手のことは忘れてしまいます。また反対に、もっと不幸な出来事や重大な問題が目の前に発生すると、過ぎたことなんて忘れてしまいます。
 そうでなくても時間がたてば、どんなこともいつかは忘れてふつうに生活できるようになります。
 何か条件があれば忘れられるのに、どうせいつかは忘れてしまうのに、なぜすぐに忘れることができないのでしょうか。

「忘れよう」と思っても、忘れられるものではありません。「忘れよう」「忘れなくちゃいけない」と自分に言い聞かせるのは逆効果です。
「忘れなきゃいけない」というのは無理があると思います。また、「忘れられない」と嘆くのもどうかと思います。
「忘れられなくたっていいじゃないか」「想い出したっていいじゃないか」と考えたほうがいいのではないでしょうか。ふと想い出してしまってもそんなにくよくよしなければいいのです。それ以上余計なことを考えなければいいのです。早めに気づいてその事を考えるのをストップして方向転換すれば、それでいいのです。「くよくよしているのに気づいたら、何かいいことを始めよう」(1章参照)と、想い出すたびに何度でも。



31 「心の傷が痛むのは」〜自分が××しているから〜

 不幸な出来事に遭って、つらい思いが長く続いてしまうことがあります。
 そのことを、不幸な出来事で負ってしまった“心の傷”が痛むことだとして考えてみましょう。
 まだふさがっていない傷口をつっついたりいじったりしてしまったら、痛いだけではなく、傷の状態を悪くしてしまったり傷口を広げてしまうこともあります。心の傷の場合には、気づかずにそれをしてしまうことが多いように思います。
 体の傷だったら、ふと傷口をいじってしまっても痛みがあればやめます。心の傷でも同じはずです。でも心の傷の場合には、痛いのはその傷をつくった原因のせいだとばかり考えて、自分がいじっているせいだと気づけない人が多いようです。心の傷口が痛いのは「自分がいじっているから」と気づければ、いじるのをやめることができます。

 不幸な出来事があってからある程度時間がたっても心に傷が残っているという場合、それは傷痕だと思います。傷痕と言っても疼くことはあります。でも痛むのは自分でつっついているからではないでしょうか。
 不幸な出来事を無意識に想い出してしまうのは、傷痕が疼いているのでしょう。それはしかたがありません。
 その後に、傷を負ってしまった時のことを詳細に想い返したり、その原因などについてあれこれと悪く考えてしまうことが、心の傷痕を自らつっついていることになるのです。自分の心に傷をつくってしまった原因は不幸な出来事です。それを引き起こした相手がいるなら、その人が原因と考えられます。でもそのことを自分がしつこく悪く考えなければそれほど心が痛むことはないはずです。

 過去の不幸な出来事について考えて心に痛みを感じた時には、「心の傷が痛むのは、自分がつっついているから」と考え、つっつく(その事を考える)のをやめればいいのです。自分で自分に苦痛を与えることがないように。



32 「いい訳にしていない?」〜時には自分にきびしく〜

 なぜ、「すんでしまったことはしかたがない」と思えないのでしょうか?
 過去の事を想い出してくよくよすることで何かいいことがあるのでしょうか?
  人に同情してもらいたいから?
  その事を言い訳にできるから?
  (何かをできない/しない/サボる言い訳、自分が不幸な言い訳、・・・)
 なんて意地悪なんでしょうか。こんなことを人から言われたらたまりませんね。
「同情してもらいたいの?」「言い訳にしていない?」と自分で自分に聞くのも、相当にきびしいかもしれません。
 それでもあえて自分にきびしくすることがあってもいいと思うのです。

 たとえば、過去に別れた相手に「裏切られた」と言って、いつまでもくよくよしている人がいます。
 きびしい言い方をさせてもらえば、「『裏切られた』という言葉を、自分が今幸せになる努力をしない言い訳にしている」のではないでしょうか。「相手が悪い」(自分のせいではない)ということで言い訳にしやすいのかもしれません。
「裏切られた」という言葉はできるだけ使わないほうがいいでしょう。この言葉は心の中に悔しさや恨みやつらい気もちを強く引き起こします。だから、なかなか忘れることができません。
「裏切られた」と思ってしまうのは、相手の誠意のないやり方や対応に腹が立って気もちがおさまらない、ということが多いのではないでしょうか。それは、相手が未熟だからです。未熟な相手のために自分がそんなに長い間くよくよするのは損だと思いませんか?

 過去の事を想い出していつまでも長い時間くよくよすることほど、無駄なことはないと思うのです。
 だから、時には自分にきびしく「言い訳にしていない?」と問いかけることも必要だと思うのです。自分のために。



33 「いい経験にしよう」〜そういう心の姿勢が大事〜

 過去のイヤな出来事でも、「いい経験」と考えられれば、想い出したとしてもくよくよしなくてすみます。想い出すたびに学んだことを復習すればいいのですから。実際には、いい経験と考えられるようになると、想い出さなくなるようですが。
 とは言っても現実には、すぐに「いい経験」とは考えられないことが多いと思います。まだ強い感情が残っている時には、それはしかたがないことです。そんな時には、「今はつらいけれど、いずれはつらくなくなる。きっといい経験と考えられるようになる」のように考えられたら、と思います。

 強い感情の時期が過ぎたら、いつまでもそのことを引きずってくよくよしているのは自分のためによくありません。「いい経験だったと言えるようにしよう」と努力したほうがいいのではないでしょうか。どんな出来事でも時間をかければ、自分の心の中で「いい経験」に変えることができると思います。
 なかなか忘れられないような事は、人生の中での重大事のはずです。その事についてよく考えてみること自体が自分の成長につながるのではないでしょうか。
 自分について反省をし、次に同じようなことがあったらこうしようという対策が見つかれば、それはいい経験です。次に心地いい経験をするために役立てればいいのです。
 どんな事にも必ず学べることがあるはずです。少なくとも、そういうことが世の中には(人生には)あると知るだけでもいい経験です。同じ経験をする人のつらさがわかり、人にやさしくなれるのではないでしょうか。
 つらさに耐える体験も自分を強くしてくれるはずです。過去につらい経験をしなかった人が一つの出来事で絶望したり堕落したりしてしまうことがあります。過去につらいことを経験している人はもう少しは耐えられるし、時がたてばふつうの生活に戻れることを知っています。「(過去の)あの時に比べたら、まだまし」と思えることもあるかもしれません。

 過去にイヤな出来事があったことを、人のせいにしたり自分を責めたりしていつまでもくよくよするのと、「いい経験だった」と考えられるのでは大きな違いです。「いい経験にしよう」という心の姿勢が何よりも大きいような気がします。



34 「新しいことを始めよう」〜過ぎたことを忘れるために〜

 過ぎたことを忘れるために「新しいことを始める」という方法があります。ここでの「新しいこと」とは、自分の夢や目標となるものや習い事や趣味のような、長い期間継続してできることです。
 何か新しいことを始め、それに打ち込み、できるだけ愉しみ、夢中になることができれば、過去のイヤな出来事も忘れられるのではないでしょうか。

 過去の失敗や挫折から本当に立ち直るためには、新たな夢や目標にチャレンジする中で実績を積み重ねることで自信をつけていくのがいちばんではないでしょうか。過去の恋愛や人づきあいによる心の傷は、新しい恋愛や人づきあいで癒していくしかないような気がします。過去のつらい経験のために臆病になるよりも、勇気をだして新たな一歩を踏み出したほうがいいのではないでしようか。

 過去の事を忘れるためには「忙しくするのがいい」とよく言われます。また、過去の事でくよくよしてしまうのは「ヒマだからだ」というきびしい考え方もあります。どちらも一理あると思います。ヒマな時間を埋めて忙しくするのなら、自分のやりたい何か新しいことを始めるのがいいでしょう。

「過去のことを忘れるため」でも「誰かを見返すため」でも「リベンジするため」でもかまいません。つらい気もちをバネに何かを始めてみてはどうでしょうか。過去のイヤな出来事でも“いいきっかけ”や“エネルギー”にできるのです。
 いつまでも過ぎたことにくよくよし続けるのはイヤだと思うのなら、試してみる価値はあると思うのです。何もしないでただくよくよして過ごすより、とにかく動いてみたほうがいいのではないでしょうか。自分の可能性を信じて。



35 「きのうの事でくよくよしているヒマはない」〜今を大切に〜

 過ぎたことでくよくよしないためには、「今を大切にする」ことが大事だと思います。「きのうの事でくよくよしているヒマはない」というくらいの強い気もちがあれば、今を大切にすることができるのではないでしょうか。
 考えてもイヤな気もちになるだけの過去の出来事を想い出してくよくよしているのに気づいたら、「そんなヒマはない」「そんなヒマがあったら、今を大切にするためにやることがあるはずだ」と考えてみてはどうでしょうか。
 過去の事よりも今大切な事があるのではないか、過去に関わった人よりも今大切な人がいるのではないか、変えられない過去よりも変えられる今後ほうが大切なのではないか、二度と来ない今という大切な時間をどのように活かしたいか、などと。

 過去の出来事を想い出してしまうのは、今の生活に問題があるからかもしれません。幸せに暮らしている人がわざわざ過去のイヤな事を想い出すことはまずないでしょう。今の生活での不満やもの足りなさがあって、その理由として探し当てるのが過去のイヤな出来事なのではないでしょうか。
 今を大切にできるように努力することが、過去の事でくよくよしない方法だと思うのです。今の生活を愉しむことや充実させることを目指して、工夫と努力を続ければいいのです。そのことに力を入れることが過去の事を考える時間を減らすことにもなります。今の生活が充実してくることで過去の事を忘れられるのだと思います。
 過ぎたことでいつまでもくよくよしてしまうのは、今を大切にしていないからです。過去や将来のことでくよくよしないために一番必要なのは、「今を大切にしよう」という強い意識かもしれません。


 1章 小さいことでくよくよしないために
 2章 人のことでイライラしないために
 3章 決断で迷ってくよくよしないために
 4章 過ぎたことでくよくよしないために
 5章 まだ先のことでくよくよしないために
 6章 人間関係でくよくよしないために
 7章 自分のことでくよくよしないために
 8章 生きることでくよくよしないために
 9章 大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方
 10章 くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために

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