2章 人のことでイライラしないために

 
 『くよくよしない考え方』(本多時生)  目次 

 1章 小さいことでくよくよしないために
 2章 人のことでイライラしないために
 3章 決断で迷ってくよくよしないために
 4章 過ぎたことでくよくよしないために
 5章 まだ先のことでくよくよしないために
 6章 人間関係でくよくよしないために
 7章 自分のことでくよくよしないために
 8章 生きることでくよくよしないために
 9章 大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方
 10章 くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために


10 「こんな人もいる」〜世の中にはイヤな人もいる〜

 人が自分に何かをしたり言ったりしてイライラした時、「こんな人もいる」と心の中で言ってみてください。
 たとえば、人から頭にくる一言を浴びせられた時、「どうして自分がこんなことを言われなければいけないんだ」「信じられない」「なんだこの人は」「許せない」のような思いがあると、怒りや悲しみが強くなり、自分をコントロールするのが難しくなってしまいます。
 そんな時、「こんな人もいる」と考えることが、自分を取り戻す第一歩になります。ふだんは悪い人ではない場合には、「(この人にも)こういうことはある」と考えればいいでしょう。
「なんだこの人は」と思うのと「こんな人もいる」「こういうこともある」と思うのでは、感じ方がずいぶん違います。そういう人に対してどう接したらいいかも考えやすくなります。

 世の中にはいろんな人がいます。無礼な人も無神経な人も意地悪な人もたくさんいます。すべての人がやさしくて思いやりがあるということは、残念ながらありません。「世の中にはイヤな人もいる」というのは事実なのです。
「許せない」という気もちはよくわかります。許す必要はありません。でも、「こういう人もいる」という事実・現実にさからってもしかたがありません。それを受け入れることは自分のためなのです。

 イライラした相手が一時的な関わりの人や通りすがりの人だとしたら、そんなどうでもいい人のためにイライラするのはもったいないのではないでしょうか。「世の中にはこんな人もいる」と考えて軽く済ましたほうがいいのです。
 これに対して、自分が生活する中で必然的に接しなければならない相手の場合には大きな問題です。私は、「この人はこういう人なんだ」と考えられるようになって、その人と接するのがラクになった経験が何度かあります。「こういう人」ということをわかった上でそれなりにつきあえばいいのです。歳とか立場とかは関係ありません。むしろ目上の人の場合に、やっかいなことが多いような気がします。

 性格の悪い人もいるし、自分とは合わない人もいます。そういう人に対して「こうあるべきだ」というような思いがあるから、イライラしてしまうのではないでしょうか。自分がその人を変えることは極めて困難です。
 人が変わることを期待するよりも、その人に対する自分の考え方を変えたほうがいいのではないでしょうか。「こんな人もいる」と考えてしまったほうが容易だし、ラクだと思うのです。
「こんな人もいる」という考え方を一度身につければ、多くの相手に使えてイライラしないために役立ちます。「世の中にはイヤな人もいっぱいいる」のですから。(いい人はもっといっぱいいることもお忘れなく)



11 「こんな人のためにイライラするのは損だ

 相手を変えようと思わないのなら、「こんな人のためにイライラするのは損だ」と考えれば、イライラするのがバカらしく思えてきます。相手が幼い子供だと思えば、「しょうがない」「まぁいいか」などと考えられることも多いでしょう。それと同じなのです。平気で人を傷つけたりイライラさせるような人はどこかしら未熟なのです。そんな人と言い争いや冷たい戦争をしても、イヤな思いをするだけでいいことはありません。それどころか、自分が相手と同じレベルになってしまいます。

 相手が意地悪な性格だったり自分に悪意を持っている場合もあります。そんな時、怒ったり落ち込んだりするのは相手の思うツボです。そういう人に対しては、できるだけ「相手をしない」ほうがいいと思います。平然とされるのが相手にとってはいちばんの打撃かもしれません。
 言い返したいという気もちはよくわかります。でも、ちょっとぐらい言い返してもひるむ相手は少ないでしょう。かえって、次の一撃のきっかけや材料を与えてしまうことにもなります。もしうまく言い返せて相手をギャフンと言わせることができたとしても、それが何になるのでしょうか。一時の爽快感はあるかもしれませんが、それがそんなにいいものだとは思えません。あとあとまで重いツケを残してしまうことも多いのではないでしょうか。負けるにしても勝つにしても、感情的になって言い返すことが得だとは思えません。ただし、「議論」はまた別の話ですが。

 そもそも人のためにイライラするのは、自分の時間やエネルギーがもったいない。そんな人の相手をするヒマとパワーがあったら、何かいいことをするのに使ったほうがいいと思いませんか?



12 「まず黙る」〜頭にくる一言への対処法〜

 頭にくる一言への対処法を一つ紹介します。その方法は「まず黙る」です。
 言い返したいけどそれができずに黙ってしまうのではなく、自ら黙るのです。ぜんぜん違います。ヘタに言い返すよりも、平然と黙ったほうがいいのです。

 頭にくる一言を受けた時、あなたは言い返すタイプですか?
 言い返すタイプの人はそれはそれでいいと思います。言い返さないタイプの人が言い返す人になりたいと努力するのも悪くはありません。でも、それはすごく大変なことではないでしょうか。言い返さないタイプの人は、平然と黙るほうが向いているでしょう。

 どうやったら平然と黙れるかというと、心の中で次のように言います。
「こういう人もいる。こんな人のためにイライラするのは損だ。落ちついて、平然と」(自分に合うようにアレンジしてかまいません)。このように心の中でゆっくり言うことで、頭にきた心を落ちつかせ、次の準備ができます。深呼吸をしたり、頭の中で一から十まで数えるというような方法でもかまいません。
 あなたが黙ったら、それも静かに何かを考えているように見えたら、相手はどう思うでしょうか。少なくともちょっと意表をつかれるのではないでしょうか。まぁ、相手がどう考えるかは相手しだいで、それは相手の問題ですから、相手に任せることにしましょう。大事なのは自分の気もちですから。

「まず黙る」ことである程度心が落ちついたら、「もう大丈夫。平然と応対しよう」と考え、最小限の応対を心がけます。
 相手の言い方や表現の未熟なところや言わなくてもいい余分なところは無視して、相手の言うことの中に聞くべきところがあると思えたら、「それはそうですね」などと一言。自分に落ち度があると思えた時には、「このことはすみませんでした。(以後気をつけます)」などと一言。相手の言葉の中に聞くべきことが特になければ一言も言わなくてもかまいません。
 相手の言葉が一段落したら、「今すべきこと」「これからやりたいこと」を考え、それを始めればいいわけです。その時に「これをやらなくちゃいけないんで」「やりたいことがあるので」などと一言あってもなくてもいいと思います。そして、何かをふつうに始めればいいのです。もし、気もちがなかなか落ちつかない時には、トイレに行くなどで相手から離れればいいでしょう。

 他にもいろいろなケースや応対のしかたがあると思います。とにかくその場ではあまり苦しまずに相手の攻撃から解放されれば、とりあえずはいいわけです。そこまでがその場での対処法です。「まず黙り、平然と応対する」だけです。平然と心を落ちつければ、その場をなんとか切り抜けるくらいはできるのではないでしょうか。立派に応対しようなどと思わずに、最小限の応対を心がければいいのです。



13 「いっしょにいない時には、イヤな人のことは考えない

 誰かとトラブルがあるとその後も、その事やその相手のことをつい考えてしまい、イヤな気分で過ごしてしまうことがよくあります。それが度重なると人間関係の悩みになってしまいます。
 頭にくる一言には、その場の対処よりもその後の対処のほうが大事です。その場は(どちらかがキレるようなことさえなければ)なるようになるし、それほど長い時間ではありません。問題は、頭にくる一言を受けた後の生活にできるだけ悪い影響を及ぼさないことです。

 イヤな相手といっしょにいない時に、その人のことを考えてイヤな気分になっているのに気づいたら、「あんな人のためにイヤな気分になるのは損だ。あんな人のことを考えるのはよそう」と考えればいいのです。
 せっかくの自分の時間をもっといいことに使ったほうがいいのではないでしょうか。
 一番わかりやすい考え方は「あんな人のことを考えるのはやめて、好きな人のことを考えよう」です。他にも気分がよくなれることや夢中になれることなど、いろんないいことを始めるきっかけにすればいいのです。
 頭にくる一言をくらった後に、そのことをつい考えてしまっても、それに早めに気づいて何かいいことを始めれば、それはいいきっかけになるのです。

 人間関係の悩みは、その相手といっしょにいない時にその人のことを考えることで大きくなるのではないでしょうか。相手の悪いことを繰り返し想い出したり、相手のことを悪く悪く考えることによって頭の中で、相手をどんどん悪人にし、関係がさらに悪くなったと思い込んでしまいます。
「いっしょにいない時には、イヤな人のことは考えない」というのが人間関係を必要以上に悪くしない方法なのです。



14 「そんな自分にはなりたくない」〜怒りが憎しみに変わる〜

 人に対するイライラや怒りが憎しみに変わってしまうことがあります。というよりも、人への怒りを持ち続けることが憎んでいることなのかもしれません。怒りをその場だけで済ましてしまえば、憎むことはありません。
 憎んでいると自覚している人は少ないと思います。ただ、相手に腹が立つ、謝らせたい、もうしないようにさせたい、相手にも同じような思いをさせてやりたい、仕返ししたい、見返してやりたい、・・・。このようなことを後々まで考え続けることが憎んでいると言われるのではないでしょうか。

 私は人を憎むようなことを考えているのに気づくと、「そんな自分にはなりたくない」と考えます。他にも、人に嫉妬する自分、人の失敗や不幸を願う自分、人に対して悪意をもって接する自分などにも「なりたくない」と考えます。

 怒りという感情が強くて、つい人を憎むようなことを考えてしまうのはわかりますが、人を憎んだり恨んだりしていいことがあるのでしょうか?
 そういうことを考えてもイヤな気分になるだけではないでしょうか。悪意をもった行動に走ってしまう可能性すらあります。
 人を憎む時間があったら自分のために何かいいことをしたほうがいいのではないでしょうか。

 誰かとトラブルがあった後に、無意識にそのことを思い出して相手に対する怒りや憎しみを感じてしまうのはしかたがありません。それに気づいて「そんな自分にはなりたくない」と思えればいいのです。知らず知らずのうちに自分がイヤな人間にならないためにも、「そんな自分にはなりたくない」という歯止めがあったほうがいいと思うのです。



15 「くるならこい」〜自分は大丈夫〜

 人が自分に何かをしてイライラした時に、「やめてくれ」となかなか言えないことがあります。ちょっとしたことで大げさに言うのが憚られたり、相手がわざとなのか無神経なのかわからないような場合です。

 そんな時私は、「もうちょっとなら、やってもいいよ。(自分は)大丈夫だよ」「やれるもんなら、もっとやってみろ」「くるならこい」などと考えることがあります。「そのかわり、度を越えたらビシッと言ってやる」のようにはじめの頃はよく考えました。でも一度もビシッとやったことはありません。(小心者だからかもしれませんが)

「もっとやっても平気だよ」と考えているのと、「イヤだイヤだ」と考えているのと、自分の気もちがけっこう違うのです。
 イライラするだけで相手に対して何もしないのなら、より平穏な気もちでいられるためにはどう考えたほうがいいかという一つの工夫です。
「このくらいは平気だよ」「自分は大丈夫」とか思えると、自分が少し成長できたんじゃないかと感じられることがあります。



16 「してくれないのは当たり前」〜求め過ぎがイライラの元〜

「(誰かが)○○してくれない」とイライラしてしまうことがあります。頼んだことをしてくれない、やるべきことをやってくれない、認めてくれない、信じてくれない、ほめてくれない、誘ってくれない、ありがとうと言ってくれない、話を聞いてくれない、やさしくしてくれない、・・・。
 そんな時、「してくれないのは当たり前」と考えることができれば、イライラしないでもすむのですが。

 自分に関係ない人が何かをしてくれないのは当たり前と思えるでしょう。なのに、自分が何かを求めている人がしてくれないとイライラしてしまうのはなぜでしょうか。人に多くを求め過ぎるのか、「してほしい」という気もちが強過ぎるのか、「してくれるのが当たり前」と思っているのか、単に自分がわがままなのか。それともなければ、本当に相手がひどいのか。と言っても、つきあっているからにはどこかにメリットがあるはずです。メリットがなければ、不満があったらつきあうのをやめてもいいわけです。どんなメリットにしろ、どうせつきあうのなら、「○○してくれない」とイライラするよりも「してくれないのは当たり前」と考えたほうがいいのではないでしょうか。

 ところで、あなたはまわりの人が望むことをどのくらいしようとしていますか?
 それを考えれば、自分が望むことを人がしてくれないのは当たり前だと考えやすいかもしれません。人はそれぞれの理由・事情・習慣・考えなどで行動していますから。基本的には自分のために。

「人が自分に何かをしてくれないのは当たり前」と考えることができれば、逆に人が自分に何かをしてくれた時に、よりうれしかったり、ありがたかったり、人のやさしさを感じられたりするのではないでしょうか。



17 「頼んでみる」〜不満を抱えてイライラするよりも〜

 相手が「○○してくれない」「××するのがイヤ」などと不満を感じた時、不満を抱えたままイライラして過ごすよりも、相手に「頼んでみる」のがいい場合があります。「○○してほしい」「××はやめてほしい」のように言って、相手がそのようにしてくれれば、不満はすぐに解消できます。

 自分からうまく一言頼めるだけで、どれだけ不満を感じてイライラする時間が減るでしょうか?
 その際に大事なのがその言い方やタイミングです。自分が人から何かを頼まれた時のことを考えれば、言い方やタイミングが対応を左右することがあるとわかるのではないでしょうか。
 たとえば、「○○して(しろ)」と言われるよりも、「○○してくれたら、うれしいな」「○○してくれると助かる(ありがたい)んだけど」などと言われたほうがなんとなく引き受けたくなるような気がします。
 また、「頼む」というよりも「お願いする」形がいいようです。相手の機嫌をうかがってうまくお願いができたらいいでしょう。

「相手がやって当然」「言わなくたってやれよ」「何度も同じことを言わせるな」「なんで自分から頼まなくちゃいけないんだ」のような(心の中の)思いが、自分から言えない・頼めない(隠れた)理由ではないかと思います。意地とか面子とか駆け引きなんかのために、不満タラタラ過ごすのはもったいないと思うのです。
 また、世の中には何度言っても忘れてしまう人、言わないとやってくれない人もいます。そういう人には何度でも頼めばいいでしょう。ひと言お願いすればやってくれる人だったら、まだいいほうかもしれません。

 実を言うと、私は人にものを頼むのが苦手なほうです。人に頼むことは少なく、あっても丁寧にお願いしてみてダメそうならあっさりと引いてしまうほうです。「まぁいいか」と済ましてしまうことが多いのです。自分でやれることなら、黙って自分でやってしまったほうがラク、などと考えてしまうこともあります。どうせ自分でやるなら人への不満を考えてイライラするのは損だ、と考えることもあります。自分でやってしまったほうがラクなことってけっこうあるのではないでしょうか。

 人に対する不満でイライラしても相手が変わるわけではありません。できることなら、すぐにお願いしてみるか、自分でやってしまうか、もしくは「してくれないのは当たり前」のように考えるか、いずれにしても自分の対応や考え方を変えたほうがいいと思うのですが。



18 「人は人、自分は自分」〜合わない人がいるのは当たり前〜

「人は人、自分は自分」というのは、よく知られた考え方です。でも、人に対してイライラしている時に、それを思いつく人は少ないでしょう。
 人の考え方や意見が気に入らない、人のやり方や行動が許せない、人が自分の期待したようにしてくれない、人の習慣やクセが我慢できないなどでイライラしてしまった時、「人は人、自分は自分」と考えられれば、少しは“イライラ”を鎮められます。

 もちろん、自分が不当な被害を受けている場合には、正当な対処が必要です。
 でももし、相手に対して何もしないのなら、自分がイライラするだけ損です。人を変えることは難しいのです。相手に対する愛情と強い気もちがなければ、無理に人を変えようとするのはやめたほうがいいでしょう。中途半端な意見や、感情的な非難の言葉は、人間関係を悪くし、自分と相手の気分を悪くするだけです。立場を変えて考えると、人が自分を変えようとしたら、「余計なおせっかい」と思うことが多いでしょう。
 人にイライラしてしまうのは、「相手を変えたい」という思いがあるからかもしれません。「変わってほしい」という願望かもしれません。相手がそのままでもしかたがないと思えれば、イライラしなくてもすむはずです。

 考え方や価値観や習慣や趣味などが自分と合わない人がいるのは当たり前です。「人は人」と考えたほうがいいのではないでしょうか。「こういう人もいる。でも自分は自分」と考えるのもいいと思います。「自分は自分」と本当に思えるのなら、「人は人」でいいはずなのですが。



19 「いい練習相手」〜人生は自分を育てる場〜

 人のことでイライラしないためには、まずは相手を変えようと考えないこと。実際には、「こういう人もいる」と存在を受け入れることです。
 そして、自分(の考え方)を変えようと心がけること。「こんな人のためにイライラするのは損だ」「イヤな人のことはできるだけ考えない」というような考え方をすることです。
 つまりは、相手を変えようとしないで、自分を変えようとすればいいのです。
 ちょっとのことでは“イライラ”“くよくよ”しない自分になればいいわけです。

 自分をイライラさせる相手は、自分を育てる「いい練習相手」や「いい教師」と考え、その相手とのつきあいを「いい経験」と考えることができれば、ただ“イライラ”“くよくよ”するよりも前向きになれます。この本に書いてある「くよくよしない考え方」を試すいいチャンスを与えてくれているとも考えられるのです。
 心の姿勢が変わると、その相手やその相手とのつきあいに対する感じ方も変わります。「いい練習相手」と考えたら、ちょっとぐらいイライラしても少しは落ちついて対応できるのではないでしょうか。
 相手を「いい教師」だと考えれば、少なくとも「(世の中には)こういう人もいる」「(人生には/人づきあいには)こういうこともある」ということは学べます。将来、「あの人と比べたら、この人はまだまし」と考えることも可能です。また反面教師として、「この人のしていることは人にイヤな思いをさせる。だから、自分は絶対にしないようにしよう」のように学ぶこともできます。

 自分をイライラさせるようなイヤな人に出会ってしまったのは不運かもしれません。でも、それをいい経験として何かを学び、後の人生で役立てることができれば、それはそれで良かったことになるのではないでしょうか。
 人生は様々な人との出会いを通して、人間関係などのいろんなことを学んでいく場と考えることもできそうです。


 1章 小さいことでくよくよしないために
 2章 人のことでイライラしないために
 3章 決断で迷ってくよくよしないために
 4章 過ぎたことでくよくよしないために
 5章 まだ先のことでくよくよしないために
 6章 人間関係でくよくよしないために
 7章 自分のことでくよくよしないために
 8章 生きることでくよくよしないために
 9章 大きい悩み・問題に対するくよくよしない考え方
 10章 くよくよしない考え方ができない、とくよくよしないために

ホームページ  e本化プロジェクト  

よろしかったら、ご意見・ご感想・ご声援をお願いします。  本多時生