しあわせ日記
7月1日(木)日ごろの心がけ
くよくよしない方法・その70は、「日ごろの心がけがその人をつくる」。
悲しいことに、心の栄養をつける時間をとらずに、車を洗ったり楽しくもないテレビやビデオを見たりすることに時間をさいている人たちが多い。日ごろの心がけがその人をつくる、ということを頭に入れておけば、いままでとはちがう癖や習慣を選ぶようになるだろう。
人の生活は、癖や習慣によるところが大きいと思います。特に考え方はそうです。イヤな気もちになる・不幸になる考え方のクセや習慣のある人は、多くの時間を悪い気分で過ごすことになってしまいます。幸せになる考え方がクセや習慣になっている人は多くの時間をいい気分で過ごすことができます。
私は「ハオハオ」が習慣になってから、ずいぶん変わったと感じています。たった1つの簡単な習慣ですが、私の生活の中の心模様はガラッと変わりました。
習慣を変える/つくるのは、日ごろの心がけです。
私は、幸せに暮らすことを心がけ続けています。1つずつ幸せになる考え方が身についてきて、少しずつ幸せに暮らせるようになっています。
あなたも、幸せに暮らすことを心がけ続けてみませんか。
7月2日(金)幸せに暮らす
私は、「幸せに暮らすことを心がける」と、よく書きますが、「幸せに暮らす」とはどういうことでしょうか?
本来、幸せは人それぞれなので、幸せな暮らしもそれぞれなのですが・・・。
「日々小さな幸せをいくつも感じ、時々中くらいの幸せを感じ、
たまに大きな幸せを感じられる可能性がある人生」
私は、こういう人生が送れたらいいな、すごく幸せな人生だろうなと思っています。そういうことが日常になるのが幸せに暮らすことだと思います。
幸せになるたるためには○○が必要、○○が得られなければ幸せになれない、という人がよくいます。当たり前ですが、こういう○○はすぐに手に入るようなものではありません。
私は××だから幸せになれない、という人もいます。××は、自分の環境だったり、周囲の人だったり、過去の不幸な出来事や経験だったり、自分の性格や能力だったりします。××は簡単に変えることはできません。
幸せに暮らすためには、習慣になるまでは、心がけや工夫や努力が必要です。
今は○○がなくても、自分には××があっても、それなりに幸せに暮らせることを理解できないと、幸せに暮らす努力を始めることができません。
また、幸せにはいろんな幸せがあり、大きい幸せも中くらいの幸せも小さな幸せもあることを知らないと、「すぐに幸せにはなれない」「幸せになるのは大変なこと」などと考えて、幸せに暮らす努力を始められません。
また、幸せに暮らすためにはどうしたらいいか、検討がつかない人も幸せに暮らす努力を実行できません。
あなたは幸せに暮らすように心がけていますか?
そのための工夫や努力を何か実際にしていますか?
このホームページには、そのためのヒントや方法がたくさん書いてあります。自分に合いそうものを見つけて、試して、自分なりにアレンジしてみてください。
幸せに暮らす努力を続ければ、少しずつ幸せに暮らせるようになります。それが、ずっと幸せになれる、確実な方法だと、私は信じています。
7月3日(土)近道
幸せになりたい/不幸から抜け出したいと考える人の中には、すぐに/完全に/簡単になんとかする方法はないかと探し求めている人がいます。
すぐに幸せになる方法・すぐに不幸から抜け出す方法はあるかもしれません。でもその方法がずっと有効である場合は少ないと思います。
ずこく幸せになれる方法・不幸をきれいに拭い去る方法はめったにないと思います。あったとしても、それは一時的なような気がします。
簡単に幸せになれる方法・簡単に不幸に対処する方法は、場合によってはあると思います。でも、それだけでずっと幸せでいることはできないと思います。
私は、幸せになる近道は幸せに暮らす習慣を身につけることだと信じています。
それには、努力が必要だし、時間がかかるし、少しずつ幸せになっていくものだと考えています。
私は、幸せになるために、特別なことや特別な人や特別な修行や特別な生活が必要だとは考えていません。自分の日常生活の中で幸せに暮らすことを心がけ、自分を育てていくのが一番いい方法だと考えています。
幸せになる道を探すことはいいと思いますが、ありもしない安易な近道を探し求めて、見つからなくてムダに時間を費やしてしまったり、危険な道を選んでしまう、というようなことのないように気をつけてほしいと思います。
極端な近道でなくても、着実に目標に向かう道を見つけたら、歩き出してみてはどうでしょうか。その道の途中で他の道が見つかることもあります。立ち止まって探し続けるよりもいいと思います。
7月4日(日)幸せを感じる
幸せに暮らすためには、幸せを感じることがいちばん重要なのですが、もう1つにはイヤな気分で過ごさないこと・不幸に陥らないことも大事です。このホームページの中でも、不幸にならない考え方についてが多くを占めています。
「幸せを感じる」「幸せに暮らす」ことについて考えてみようと思います。
その前提として、「幸せについての考え方」を確認しておくたいと思います。要は、「幸せはたくさんある」ということと、「幸福感が大切」ということです。
幸せはたくさんあるから、幸せになる方法もたくさんあり、いろんなことから幸せを感じることができるということです。幸せがたくさんあると考えられれば、それだけ多くの幸せを見つけられるのだと思います。
幸せな状況や出来事があっても、幸せを感じられなければ、幸せに暮らしていることにはなりません。幸せに暮らすということは、生活の中で幸せを感じることができるとということです。
一般に“幸せ”と呼ばれるのは幸せの対象と幸福感です。
ほとんどの人は、幸せになるために幸せの対象を求めます。でも幸福感を求めることを忘れてしまっていることが多いように感じます。幸せの対象が得られるまでは我慢しなければならないと考えたり、幸せの対象を得ても一時だけしか幸福感を感じられない人が多いように思います。求める幸せの対象も得るのが難しいものばかりです。
幸せをいっぱい感じて幸せに暮らすためには、どうしたらいいのでしょうか。
もう少し考え直してみたいと思います。
7月5日(月)今ここにある小さな幸せ
幸せを感じて暮らすことを考えると、まず小さな幸せからということになるようです。
ところが、小さな幸せが大切と思えない人には、なんて言っていいか難しいのです。「小さな幸せはいっぱいあって、誰のまわりにも必ずあるから、それを幸せと感じられればいつでもすぐに幸せになれるんだよ」って言っても、「小さい幸せって具体的には何?」と聞かれ、「例えば、○○」とでも答えたら、「そんなの当たり前」「そんなの幸せじゃない」「そんな幸せならいらない」などと言う人がいます。
っと、こんな人は極端ですが、似たような人はいっぱいいます。
こういう人は「幸せになりたい」という気もちが少ないんじゃないか、と思ったりします。本当に幸せになりたいいんだったら、小さなヒントでもほしい、と望むはずだと思うからです。
くよくよしない方法・その69は、「幸せはいまいる場所にある」。
よく言われることです。「今、ここ」というのは幸せの原則です。この場合の幸せとは“幸福感”のことです。幸福感を感じられるのは「今、ここ」だけです。“幸せの対象”を考えれば、幸せは将来にも過去にも別の場所にもあります。
また、「今、ここ」に必ずあるのは小さな幸せです。
世の中には人から見たら幸せの対象をいっぱい持っているのに、幸せを感じることなく暮らしている人がたくさんいます。私は「幸せそうな幸せでない人にはなりたくない」などと考えます。
あなたはそんな人になりたいですか?
世界中にはあなたの今の状況を見たら、「幸せそうだなぁ」と思う人がたくさんいます。
ではあなたはいつから、(人から見て幸せそうな)実際に幸せを感じられる人になりますか?
幸せを感じるためのヒントや工夫や方法はたくさんあります。このホームページの中にもたくさん書いてあります。私が今いちばん好きな方法は「幸せだなぁ」と心の中で言うことです。私の場合には、その理由はあとから考えつきます。なんせ私は“幸せオタク”ですから。
ハオハオ
好!好!
7月6日(火)いつか?
「○○たら、幸せになれる」と考える人はたくさんいます。では、○○が得られなかったら幸せになれないのでしょうか?
「いつか幸せになれる」と考えている人もいます。いつ幸せになれるのでしょうか?
というよりも、「○○たら幸せになれる」「いつか幸せになれる」と考えるクセのある人は、そのクセが直らない限り同じように考えるのではないでしょうか。
「楽天主義セラピー」(R・カールソン/春秋社)の中に「すべての満足を後まわしにしないでください」と書いてあります。
何かを得るために我慢しなければならないこともあります。時を待つこともあります。でも、我慢しながらでも、待ちながらでも、幸せになれることはあります。すべてを我慢したりあきらめたり後まわしにする必要はありません。
自分が今できる範囲で味わえる幸せが必ずあるはずです。
「○○たらもっと幸せになれる」「いつかはもっと幸せになれる」ならよさそうです。
私は「今は幸せ。でももう少し幸せになれたらいいな」という姿勢で、いつもいたいと思っています。
7月7日(水)平凡な生活
何かのために、今やらなくてはならないことはあります。何かを得るため、将来のため、何かを守るため、・・・生きるため。
でも、何かのために今幸せを感じられないとしたら、どこかが違うと思います。
くよくよしない方法・その98は、「平凡の中に非凡を見いだす」。
「小さいことにくよくよするな!」(リチャード・カールソン/サンマーク出版)の中には、グチこぼすレンガ職人と「おれは世界一の幸せ者だよ」と言うレンガ職人を例に出し、次のように書いてあります。
私からすれば、それはすべて意識の問題だ。感謝したいこと、うやうやしく感じることは身の回りにあふれている。人生は貴重で非凡なものだ。その事実を意識にとめれば、なんの変哲もないようなことが新しい意味をおびてくる。
私は現在、人とそれほど違った生活をしているわけではありません。朝起きて、ごはんを食べて、電車にのって通勤し、仕事をし、帰ってごはんを食べて、風呂に入って、寝る。平日はそのような平凡な生活をしています。でも私がその中で幸せを感じる回数と時間は、ふつうの人より多いと思います。
私の日課の中で「しあわせ日記」を書くというのが、独特だとは思います。最近の日記の中では、具体的な私の幸せについては書いていません。平成9年と平成10年の日記の中には、私生活を題材に書いたものがたくさんあります。
どんなに忙しい人でも、幸せを感じられる時間は必ずあります。生活の中でいつもしていることでも幸せを感じられることはあります。やらなければならないことを愉しむ工夫も大切だと思います。
「何かのため」「××だから」今は幸せを感じることはできない、というのは言い訳だと思います。少なくとも1日の中で何回かは幸せを感じることはできるはずです。
1つずつ、少しずつでいいから、1日の中で幸せを感じる回数と時間を増やしていきませんか。このホームページに来ている人には、きっとそれができると思います。
7月8日(木)中くらいの幸せ
そろそろ“中くらいの幸せ”の話を始めようと、「時々中くらいの幸せを感じるために」を読み直してみたら、現在の私の生活の中には中くらいの幸せが少ないことに気づきました。
バスケットは月に3回以上、勉強会が年に5・6回、バスケットの合宿が年3回、海に1回行くか行かないか、キャンプが1回(今年は行けそうもないけど)(そう言えば、最近スキーは行かなくなってしまった)などと数えると、それなりにあり特に増やしたいとも思わない。
自分の夢に関しては、今は充電期間と考えていて、具体的な計画はない。でも、夢の実現に向けて少しずつでも前進していることは確かだと思う。
特定の幸せにしたい人はいません。でも、多くの人の幸せに役立てるようになれたらいいな、と思って努力はしているつもりです。
今の仕事はなかなかたいへんな仕事ですが、自分の人生の中でも貴重な経験となり、自分を育ててくれると思っています。
というか、最近私は、中くらいの幸せを自ら求めることがめっきり少なくなったようです。1つには、大きな夢があり、まとまった時間があればできるだけそのために使いたいと思うから。もう1つには、生活の中に小さな幸せがいっぱいあれば、中くらいの幸せは特になくても気にならないような気がします。
私は変人ですから参考にはならないとは思います。中くらいの幸せがほしいと思うふつうの人は大いに求めてほしいと思います。その時に必要なのは、幸せを企画する能力だと思います。どの幸せを得たいかを明確にし、それを得るためにはどうすればいいかを具体的に計画し、実践する方法を工夫する能力です。
中くらいの幸せには、自分がやる気になって何かをしないと得られないものが多いと思います。
7月9日(金)○○のためなら
私が今幸せに暮らせる、その大本には夢があるからだと思います。
夢があるから、人生をいろいろと愉しむことができる。
夢があるから、今はどんな状態でも大丈夫・平気・我慢できる。
夢があるから、小さなことにくよくよしているヒマはない。
夢があるから、自分の将来に希望がもって生きられる。
「自分にはこんな夢があるんだ」と思うだけでも、幸せな気分になれます。
「○○のためなら」と思える何かは自分を支えてくれます。自分の夢のためなら、愛する人のためなら、・・・。「○○のためなら」、頑張れる、我慢できる、・・・、生きられる。
私にとっては「自分の夢」が○○です。夢の実現のためなら、と考えることが自分の大きな力になります。
といっても、夢のために何かを犠牲にしているとは思いません。夢のために時間や力を使えば、その分、他のことができないのは当たり前のことです。それでもいい、と思えるのが○○です。
ちょっと話がそれたような気がしますが、私が考える夢を持ついちばんの目的は、今を幸せに暮らすためです。夢があるならそれを「幸せ」と思えるようにし、目標達成への過程を楽しむことが大切です。
夢をもつのは今を幸せに暮らすため
好!好!
7月10日(土)幸せにしたい人
私は、「幸せになる方法」の1つとして「人を幸せにする」ことを挙げています。人を幸せにすることで自分が幸せになれる、と考えているからです。だからといって、いつでも、誰でも、いっぱい幸せにしなければならないなどとは考えません。自分が幸せにしたい人を、幸せにする方法が思いついて、それが現実にできそうなことだけをすればいいと考えます。
幸せにしたい人がいることは、それだけでも幸せなことだと思います。この人のためなら、と生きられることもあります。幸せにしたい人がいるからと幸せを感じることもできます。
人を幸せにすることについては、もうちょっと先にこの日記の中でも考えてみたいと思っていますが、その前に。
自分を幸せにしてくれる人を求めている人が多いと思います。(けして悪いことではありませんが、そういう人が今いないことを嘆くのは不幸になる考え方です)
自分をいちばん幸せにしてくれる人は「自分」だと思います。
あなたは、自分を幸せにしてあげよう、と一生懸命に考えたことはありますか?
あなたは、自分がイヤな気もちや不幸に陥っている時に、本気で自分を助けようとしていますか? そんな自分をほうっておいていませんか? さらに不幸になるような考え方をしていませんか? 自分で自分を責めたりしていませんか?
「自分を幸せにしてあげる」というはっきりした気もちもつことは、幸せに暮らすために役立ちます。
「幸せにしたい人」の第一は「自分」でいいと思います。そのためにも、他に幸せにしたい人がいることはいいことです。