しあわせ日記

1月21日(木)人の行動の奥
 くよくよしない方法・その35は、「人の行動の奥を見る」。

 人の行動には必ずその人なりの理由があります。それを思いやることはいいことです。ただし、余計な想像は不幸の素になりがちです。想像は事実ではありません。事実でないもののためにイヤな気もちになるのはバカらしいことです。所詮、人の心はわかりません。だったら余計なあて推量はよしましょう。

 「人の行動の奥があることを知る」のがいいと思います。「その人には、その人なりの理由があるはず」「この人にはこうする何か事情があるに違いない」「あの人があんなことをするようになったのにはそれなりの経過・経験があるのだろう」など、人の行動の奥があることを考えられれば、人のためにイヤな思いをすることが少なくなると思います。でもそこでストップ。余計な想像はやめて、自分が幸せになることを考えましょう。



1月22日(金)子どもの自分
 くよくよしない方法・その36は、「無邪気さを見つけ出す」。
 自分に理解できない他人の行動を「無邪気さの表れ」と取る。

 「いいように考える」の1つだと思います。
 私は、“無邪気さ”は自分の中に見つけたいと思うことがあります。自分が子どものように無邪気になれたら、って思います。
 もっと素直に喜べるのではないか。イヤなこともすぐに忘れられるのではないか。人の目を気にせずに生きられるのではないか。将来の心配などせずに今を愉しめるのではないか。・・・

 “子どもの自分”は、自分の中にいます。ちゃんと見つけて、大切にしたいと思います。



1月23日(土)“小人”
 「徳川家康」より、高台院(ねね=秀吉の奥さん)のセリフ。
 噂を真に受けて、わが心を騒がすほどの者ならば、それはもはや、取るに足らぬ小人じゃ。わらわは、そのような者たちの思惑まで考えませぬ。
 世の中には、根も葉もないウワサを信じやすい人、すぐに人を疑う人、物事を悪く受け取りやすい人、ささいなことを気にしすぎる人など、高台院のいう“小人”がたくさんいます。
 すべての人によく思われたい、誰にも嫌われたくない、すべての人にやさしくしなければならないなどと考えたら、何もできなくなってしまいます。

 人のことを思いやるのはいいことです。でもそれは自分がそうしたいと思える人にすればいいことです。
 そもそも人の思惑を考えすぎるのは“小人”のすることかもしれません。もう少し“大人”になれたら、悩みは少なくなると思います。
 私は自分の不幸になる考えに気づくと、「まだまだ未熟だなぁ(ハオハオ)」と自分に言います。でもそれに気づける自分は「まぁまぁかなぁ」と思います。



1月24日(日)不幸を数える
 午前中、「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)でエコノミストといわれる人たちが日本経済についての話をしていた。そこで気になったのが、人によって見るところが違うこと。例えば、経済の数字などを、ある人はいい数字に着目し、ある人は悪い数字ばかりに着目していた。

 そこで私がすぐに思いつくのは、「不幸を数えて暮らすより、幸せを数えて暮らそう」。
 どちらが現状を正しく認識しているかより、どちらが気分よく暮らせるか、幸せかが大切だからです。

 不幸になりやすい人には、不幸を数えるのが習慣になっている人が多いような気がします。どうして不幸を数えてしまうのでしょうか?
 不幸そうにしていると誰かが助けてくれたり同情してくれそうな気がするからでしょうか。自分は不幸だと言ってしまうことで自分の責任を問わなくてすむからでしょうか。何かをしない理由にできるからでしょうか。
 ここまで意地悪な考え方をすることはないですね。ただ、なくとなく考えてしまうんです。やっぱり習慣が大きいんだと思います。

 そもそも、不幸に陥っている人は「自分は不幸を数えている」なんて考えない。もしそう考えられたら、それはすでに不幸から脱出し始めている。
 だから、もし自分が不幸だと思ったら、「自分は不幸を数えているのかな?」と考えてみるといい。そして、「不幸を数えて暮らすより、幸せを数えて暮らそう」って。



1月25日(月)正しさより幸せを選ぶ
 くよくよしない方法・その37は、「正しさより思いやりを選ぶ」。
 人のあやまりをただすより、思いやりで人間関係を大事にする。

 私なら当然、「正しさより幸せを選ぶ」。
 人を幸せにすること(思いやりを含む)は自分の幸せだから、「思いやりを選ぶ」こともハオハオです。

 誰でも自分が正しいこと、強いところ、優秀なこと、立派なことなどを人に見せたいと心のどこかで思っています。それはいいことです。ただし、ムリをしてまで、イヤな思いをしてまで、結果として何かを失ってまでする必要があるかということです。
 実際にはその時々に自分で判断する必要があります。そんな時、「どっちが幸せかな?」って考えて判断すると、元気になれるか、気もちがラクになれるか、幸せなほうを選択することができます。



1月27日(水)自分の本心
 「徳川家康」より。お袖という女性が本阿弥光悦を相手に言ったセリフ。
光悦さま、ようお袖の相手をしてくれました。お前さまにここまで聞いていただいて、お袖は自分を探りあててござりまする。(中略)
これでわかった! わが身が何を訴えようとして迷っていたかが・・・
 人に話を聞いてもらっているうちに、自分の本心がわかることがあります。
 その辺のことも「徳川家康」の中に書いてあります。
 人間は困惑の底にあって時おりひとり言を洩らすものだ。
 しかしそれが独言である限り、自分の思索の屋内からなかなか外へは踏み出せない。ところがそこに聞き手があって、時に応じて相槌を打ち返すと、パッと大きく窓の開ける場合がある。
 人に向かって話す場合には、相手にわかりやすくするために整理して話します。また、いい自分を見せたいという気もちもあります。それでいい答えが見つかることがあるような気がします。
 ましてや相手が聞き上手なら、つい心の中を披露してしまいがちです。自分が気づいていなかった本心が出てくることもあります。

 ひとりでも、自分の本心を探り、自分の考えをうまく整理し、いい答えを出せればいいのですが・・・



1月28日(木)間違い
 今夜の「ニュースステーション」(テレビ朝日)で「医療ミス」についてやっていた。先日、心臓と肺の手術の患者を取り違えた事件があったからだ。

 人間である限り、間違いはおかします。

 私は仕事でミスをした場合、「今度は気をつけよう」などと思うだけでなく、できるだけ何らかの対策を考えるようにしています。
 私は、イヤな気分になった時には、なぜか考えます。そして、そういう時の幸せになる考え方を見つけようとします。

 人は、ミスもするし、イヤな気もちにもなるし、不幸にも陥ります。それはハオハオです。でもその後で、どうしたらそうならないか、そうなった時にはどうしたらいいかを考え、それを次に活かしていけば必ずそういうことが減っていきます。

 同じ事でいつも同じように不幸になっていたら、それは一生続いてしまいます。一度、その対策を身につければ、その後その事で苦しむことはなくなります。そういう対策を1つ1つ身につけていけば、だんだん幸せに暮らせるようになります。

 間違いも不幸も、幸せになるためのいい経験・きっかけにすることができます。「不幸を幸せに変える」は「幸せになる方法」の1つです。



1月29日(金)新年会
 夜、勉強会の新年会で新宿歌舞伎町へ。新宿の街には人があふれ、なかなか思うように歩けなかった。

 きょう集まったのは、いつものメンバー10人と私が誘った2人のゲスト。全員大学時代の仲間。卒業してから20年たっているが、みんなあまり変わらないような気がする。特に私は、全員とたまに会い続けてきているので、そう感じるのかもしれない。

 秋田料理の店で、“きりたんぽ”と“しょっつる”の鍋が良かったが、“だだちゃ豆”(東北地方の枝豆)や里芋の煮物やお新香などもおいしかった。ビール、日本酒から最後は焼酎へ。昔話から近況、仕事のことなど話はつきない。結局、1軒の店にずっと居座って、焼酎は1升瓶が2本、空になった。

 気心の知れた仲間はいい。いい気分のまま、終電で家に帰った。



1月30日(土)不幸を幸せに変える
 午後、NHKテレビで安室奈美恵さんの復帰のドキュメントをやっていた。
 沖縄から上京してから3年間、スケジュールが真っ白なつらい時期があったから、今の自分がある。あの経験がなかったら、自分はぜんぜん違っていたと思います。
 今度そうなっても、その時間を充実させることができると思います。
 アムロさんは、ちゃんと不幸を幸せに変えたのだと思います。
 不幸を幸せに変えれば、その経験とそれから得たものは自分の財産です。それをちゃんと活かして生きれば、その経験は人生の中では大きな幸せだったことになります。



1月31日(日)めでたし、めでたし
 バスケットの試合。みごとに勝ちました。2度目のベスト4入り。
 これで、男女そろって準決勝に進出。めでたし、めでたし。好!好!
 ともに初の決勝進出を目指します。次も勝てたらいいな。


    しあわせ日記

ホームページ