しあわせ日記
6月21日(日) ひとりの時間
「日曜にひとりでウチにいたら、誰だってブルーになるよ」
誰がどこで言ったセリフだか、すっかり忘れてしまいましたが、1枚のメモが残っていました。
私はきょう、ずっとひとりで事務所にいましたが、ぜんぜんブルーになりませんでした。というより、私の場合はひとりでいることが原因でブルーになるとは思えません。
のんびり過ごすにはひとりがいいし、ひとりでやりたいことがたくさんあります。
今はひとりの時間を特に大切にしたい、と思っています。
6月22日(月) タイムトラベル
今夜の「七瀬ふたたび」(テレビ東京)には、原作者の筒井康隆さんがゲスト出演していました。
筒井康隆と言えば、一番有名なのは「時をかける少女」だと思います。何度かドラマ化され、映画化もされています。私などは30年くらい前にNHKテレビでやっていた「タイムトラベラー」を思い出します。原田知世さん主演の映画は、出張中の佐賀で観た記憶があります。
タイムスリップしてしまう少女(吉山和子)が主人公でした。今回の「七瀬ふたたび」にも、タイムスリップができる少女が登場します。過去に戻って現在の悪い状況を変えようとします。
もし、自分の思う“時”に行けるとしたら、どうしますか?
過去に戻って自分を助けましょうか。未来の自分を覗きに行きましょうか。
何度でも過去に戻って自分の思い通りになるまでやる、ってなんかつまらない感じがします。
未来の自分が確実に見えてしまったら、これから生きていく甲斐がなくなってしまいそうです。
どうなるかわからないから、希望が持て、はいあいがあり、努力でき、出来事が新鮮に感じられるのではないでしょうか。
とか言っても、一度でいいから、過去に戻りたい、未来を覗いてみたい。
そんなことできっこないから、楽しい想像をするのがいちばんハッピーなのかもしれません。(好好)
6月23日(火) 仙人
「三国志」に左慈という仙人が登場します。重い荷物を軽々と担ぎ、風のように走る。飲まず食わずでも平気。何も無いところから物を出す。将来を予見できる。幻を見せて人を惑わす。
仙人というと、山奥に住み、霞を食べて生きる。
おいしい物を食べたり、お金持ちだったりするのは似合いません。家族や遊び友達もいないで孤独。
仙人のような生活は幸せでしょうか?
みんな、そんなのは望まないのではないでしょうか。
でも私は、魅かれる部分があります。そもそも仙人が幸せか不幸かはわかりません。人の幸せは本人にしかわかりません。
物が無くても、誰かがいっしょにいなくとも、何かができなくても、幸せでいれたとしたら素晴らしいと思います。
でも、おいしい物を食べたら喜び、お金を幸せのために使い、人と楽しい時を過ごし、自分のやりたいことをやる。これらも絶対に忘れたくありません。
どうも最近、超能力っぽい話題が多いかな。
まぁ、いいか。ハオハオ。
6月24日(水) どうやりたいか
最近電車の中で、目についた人がどんな気もちかを想像してみます。
幸せそうに想える人はなかなかいません。人といっしょに話をして笑う人はいますが、ひとりで笑っている人にはお目にかかりません。
でもたまに、口元に微笑みをたたえている人がいます。何を考えているのかな、と想像したりもしますが、元より人の考えていることはわかりません。
イヤそうな顔をしている人は時折見かけます。怒っている人、迷惑そうな人、不愉快そうな人、不安げな人、沈んだ表情の人、など。
本や新聞などを読んでいる人は、ほぼ無表情です。その人たちの気もちはなかなか想像できません。
何かに夢中になっている人は、少なくとも不幸ではないと思います。愉しんでやっている人は幸せと言えるでしょう。
では、自分はどうだろうか? 何かをしている時、どんな気もちだろうか?
私は、道を歩いている時は、だいたい幸せな気分です。
本を読んでいる時には、その内容にもよりますが、少なくとも不幸ではありません。やりたいことをしているのだから、少しは幸せなのだと思います。
仕事をしている時には、うまくやらなくちゃ、はやくやらなくちゃなどと、少し余裕がないように思います。少なくとも、愉しんでやろうという気持ちが足りないようです。
何をするかより、どう(幸せを)感じられるようにやるか、のほうが大事なことが多いと思います。
これから、自分のすることを1つ1つ、どうやりたいか、考えてみようと思います。
6月25日(木) ケーキがいい話
株価の低迷、急速な円安。リストラに失業。とにかく不景気な話ばかりで、気がめいってしまう。そこで今回は、ちょっぴり景気のいい話。
(以上は、きょうの読売新聞夕刊・大桃美代子さんの連載エッセイ「わたし流」の書き出し)
“ケーキがいい”話を書こうと、考えたのですが思いつきませんでした。
かと言って、不景気なのは聞こえてくる話ばかりで、私自身は不景気で不幸な目に遭っているわけではありません。
“景気”というのは、ある社会の元気のようなものだと思います。
元気を出す方法はいろいろとあると思います。本格的に健康な身体をつくるのには時間がかかりますが・・・。
(再び、大桃さんのエッセイの最後)
この不況、やっぱり最後は気合と根性! まさに、花より団子のハーブ園体験でした。
(大桃さんの話の中身は、元気なガイド兼店員とハーブ(花)と団子の愉快なお話です)
6月26日(金) うちわの幸せ
暑い日でした。もうすぐ、夏ですね。
町田駅のそばで、うちわをもらいました。フィットネスクラブのティップネスさんが街頭で配っているものです。私は、5年くらい続けていただいています。
クーラーをほとんど使わない私には、とても役に立つものです。去年の夏、バスケットの試合にあるだけのうちわを持っていったら、引っ張りだこで、みんなに喜ばれました。
今年の夏は、平日は冷房のきいた職場で過ごすので、快適だと思います。でも、夏は暑くて、少し汗ばみながら、うちわの涼を愉しむのが、私は好きです。
さて、今夜はうちわを片手に、枝豆をつまみながらビールを飲んで、テレビでW杯サッカー観戦を楽しんでいたのですが・・・。
なんか心にもやもやが残り、焼酎を飲んで寝てしまいました。おかげで、寝苦しいはずの夜もぐっすりと眠れました。
一度寝てしまえば、すべてはハオハオです。
6月27日(土) うさばらし
勉強会に出席。
メインの話題ははやくも(遅い?)夏のキャンプ。
個々の近況はさまざま。開発が終わり新製品が発売になった人、7月から親会社へ出向になる人、10月に会社が合併になる人、など。
貸会議室から居酒屋に場所を移して、そのまま二次会。そこでの最初の話題は、W杯サッカー。みんなもやもやが残っていたようです。他のテーブルからも同じような話が聞こえてきました。W杯への関心の高さがわかります。
1人がペプシの2001年宇宙の旅プレゼントに応募した。でも本当に当たったら困るだろうと言う。もう1人はモルツのスタジャンプレゼントに応募するために点数を集めているという。私はスーパーホップスの(みんながもらえる)Tシャツプレゼントに応募したと言う。キャンプの時に着ようと思う。
酒を飲んで、仲間と言いたいことを言って、うさばらしをするのもいいんじゃないかと思います。でもやっぱり、楽しい話題がいっぱいのほうがいいですね。
きょうも暑い日でした。
6月28日(日) 幸せの基準と希望
幸せになりにくい人は、幸せの基準が高すぎるか、幸せの希望が少なすぎるのではないかと思います。
幸せの基準が高すぎると、なまじのことでは幸せを感じられません。
幸せの希望が少ないと、自ら得られる幸せも少なくなります。
幸せの基準が低ければ、小さな幸せをいっぱい感じられ、大きな幸せはもっと大きく感じられるでしょう。
幸せの希望がたくさんあれば、そのうちのいくつかは得られるでしょう。希望があるというだけでも、少しは幸せに暮らせるのではないでしょうか。
たくさんの小さな希望、いくつかの中くらいの希望、1つか2つの大きな希望。
そして、希望は(ごく一部を除いて)自らの力でつかむもの。
6月29日(月) 衣がえ
私はきょう、衣がえでした。きょうから半袖のシャツで仕事に行きます。
電車に乗ると、多くの男性はスーツ姿です。ほとんどの人は上着を着ています。やっぱりサラリーマンはたいへんだなぁ、と思いました。
今の私は、平日は毎日規則正しく通勤していますが、フリーの立場は変わっていません。もちろんネクタイもしていません。身も心もラクなのがいいですね。
自由なことは幸せなことですが、自分の仕事がある、誰かのためにすることがある、毎日通う場所がある、どこかに所属している、ということも幸せなことだと思います。
きょうは半袖でちょうどいい陽気でした。
6月30日(火) 意味がない
「それじゃ意味がないし・・・」
「意味がほしいのよねぇ」
きょう帰りの電車の中で聞こえてきた若い女性2人の会話です。
意味があると感じられると幸せが増えます。
幸せを感じた時に、その意味を思い出すと、その瞬間に幸福感がプラスされます。意味が、大きいか、たくさんあると、幸福感は増します。
幸せな時に幸せの理由を数えるのは幸せになる方法の1つです。
意味がなくても幸せを感じられた時には確かに幸せです。そういうこともあります。
意味があることをやっても、それを忘れてしまい、幸せを感じられなければ、意味がなくなってしまいます。
意味を大切にすることはいいこと、意味にこだわりすぎるのは・・・。