しあわせ日記

6月1日(月) 安全な社会
 帰りの電車の中で、私の前に座っていた若い女性が上を向いて寝ていました。きょうに限らず、時々お目にかかる光景です。
 顔が丸見えです。中には、口をあいている人もいます。

 私だったら、恥ずかしくてとても・・・。

 寝ているから人に見られることに気づかないのでしょうか。それとも、赤の他人に見られても関係ないと思っているのでしょうか。
 人の目を気にしないことが、気分よく過ごす方法であることも多いのですが・・・。

 電車の中で安心して寝られるってことは、安全な世の中ということでしょうか。少なくとも心の中でそれを信じているのでしょう。
 安全な社会で暮らせるということも幸せなことなのでしょう。

追記:6月2日  きょうの帰りは座れたので、途中からぐっすり寝てしまいました。でも、バッグは膝(もも?)の上に置いて、下を向いてですが。これがふつうですよね。



6月2日(火) 生と死の教育
 今夜の「クローズアップ現代」(NHKテレビ)は、「いのちを学ぶ〜子供たちに“死”をどう教えますか〜」。

 阪神大震災と神戸事件をきっかけに、兵庫県教育委員会は「心の教育の充実に向けて」という報告書をまとめ、今年から県内で生と死を考える教育を始めたという。小・中・高の学校で、いろいろな試みがなされている。
 動物の死を題材にした小学校の先生、自分の親の死について話した中学校の先生、離婚(別れ)と死について話をした高校の先生(これは愛知県?)。

 死については、いろいろな考え方があると思います。私もこのホームページの「死について悩む」で考えました。
 結局、自分でよく考えるしかないと思います。しいて言えば、考える機会やヒントを提供することが、心の教育なのだと思います。

 ただ、ひとつだけ言えることは、「命はすごく大切なもの、自分の命も人の命も」。そして、その命を大切にすること、自分を大切にすること、人生を大切にすること、幸せを大切にすること。



6月3日(水) 運命の出会い
 やっと“運命の出会い”の1行にきました。
 『三国志』(吉川英治・講談社文庫)・孔名の巻・琴を弾く高士。

 日常、善悪何事にかかわらず司馬徽は、きまって(好好)と、いうのが癖だった。

 「ハオハオ」の出所です。
 私のハオハオは、ここから始まったのです。

 長い長い「三国志」の中では、司馬徽(しばき)が登場するのは、この段落のほぼ10ページ程度だけなのです。しかし、司馬徽は「三国志」の中でとても大きな役割を果たしています。主人公・劉備玄徳に諸葛孔明の存在を教えました。
 玄徳は司馬徽とほんの短い時間しか会っていませんが、運命の出会いと言えると思います。

 私にとって、人生の中の運命の出会いと言えるのが、「三国志」のこの1行との出会いなのです。この出会いによって、私の人生は大きく変わっているのです。幸せの方向へ。



6月4日(木) 司馬徽の好好
 きのうの続き。「何事にかかわらず司馬徽(しばき)は(好々)というのが癖だった」の続き。

 或る時、知人が来て、悲しげに、自分の子の死んだ由を告げると、
 司馬徽は「好好」とのみ答えていた。
 知人が帰ったあとで、彼の妻が、
「いくらあなたのお癖とはいえ、お子さんを亡くした人にまで、好々とは、余りではございませんか」とたしなめた。
 司馬徽は、「好々、おまえの意見も、大いに好々」と言ったそうである。

 私も最近は、何事も「ハオハオ」でいいのではないか、と思っています。と言ってもまだ“ハオハオ”ですまないこともあります。でもだんだん「ハオハオ」の使い方が広く・寛大になってきているように思えます。「ハオハオ」は使ううちに上達するのだと思います。

 何があってもハオハオ、人が何をしてもハオハオ、自分が何を考え・感じてもハオハオ。少なくともそれが現実という意味では、ハオハオです。
 もちろん、いいことがあったら好好、人が何かしてくれたら好好、自分が幸せになる考えができたら大好好、自分が幸せを感じられたら・・・。



6月5日(金) 挫折の経験
 サッカーW杯の日本代表22人に、カズ(三浦知良)が選ばれなかったことが、大きな話題になっています。
 そのことに関する考えは、人それぞれにいろいろあるでしょう。
 それを決めた岡田監督も、深く考えた結論だと思います。

 スポーツにはつきもののことです。レギュラー(バスケットではスタメン)になれるか、試合に出られるか、ベンチに入れるか、など。すべての人の望み通りにはなりません。
 また、スポーツをしていれば、負けてしまうこと、ミスをしてしまうこと、などをたくさん経験します。

 カズも、こんなことはブラジルやイタリアでたくさん経験してきた、もっとつらいことがたくさんあった、と言っていました。

 そういう時に、つらいのはしかたがありません(ハオハオです)。
 様々な思いが浮かび、様々な感情が湧いてくることもしかたがありません(ハオハオ)。
 それからどう考え・どうするかが大事だと思います。

 今までのいい時の経験を忘れず、つらい気もちをバネに、新たなスタートのきっかけにし、一時の挫折の経験を人生の中のいい経験だったと言えるようになるために努力する。
 このような自分であれたら、と思います。



6月6日(土) 寝過ごした
 いつもの土曜のように、バスケットの練習後、仲間と楽しく飲んで、また横浜線の終電になってしまいました。
 ところがきょうは寝過ごして、気がつくと町田を過ぎていました。
 たいしたことはありません。家に帰ればいい。(家は終電の終着駅にある。ハオハオです)



6月7日(日) ホンダでなくっちゃ
 「ホンダでなくっちゃ」というのは、HONDAのCMのキャッチフレーズです。

 この“でなくちゃ”というのが、不幸になる考え方になりがちです。
   ○○でなくちゃイヤだ。
   (自分または人が)こうでなくちゃ許せない。
   ○○できないと幸せになれない。
 など、はっきり意識したことはなくても、イヤな感じがした裏には、このような思いの存在を想像できることがよくあります。
 「○○たらいいな」なら「○○でなくてもハオハオ」ですむと思います。

 “Happy honda fair”というのは、いいですね。



6月8日(月) 読心術
 月曜深夜にテレビ東京で「七瀬ふたたび」というドラマをやっています。(たぶん関東ローカル?)人の心が読める七瀬(ななせ=女性)が主人公。
 原作は、筒井康隆さんの同名小説。私は学生時代に読みました。

 読心術ができたらいい、と考える人は多いと思います。
 ところがSFの中で心が読める主人公は、えてして苦しんでいます。人の心の中には醜い考えがたくさんあります。それを赤裸々に知らされることは苦痛です。人間不信になってしまいそうです。
 私の心の中にも、意地悪な自分、ずるい自分、怠け者の自分、エッチな自分、傲慢な自分など、もっとたくさん、人には知られたくない自分がいます。

 人の心が正しく読めない人は、ヘタに人の考えを想像するよりは、(自分の)いいように考えるのがいいと思います。いいように考えられたほうが、本当に読心術ができるより、幸せかもしれません。



6月9日(火) 問題意識
 きょう職場で、今の仕事の新しい企画を考えるように依頼されました。今までも考えている、と思っていましたが、少し違っていたようです。
 帰りに、歩きながらや電車の中でそのことを考えていたら、いくつか思いついたことがありました。
 問題意識が強くなっているのだと思います。近々発表する場があるという切迫感もあるとは思います。

 私は幸せについて、折々に考えていると思っていますが、このホームページの存在は大きいと気づきました。最近も日記を書くために、毎日必ず考えられます。

 強い問題意識がないと、つい生活に流されてしまいます。問題意識を強くする工夫も大切なのだと思います。
 その前に、問題がないと話にならないのですが・・・


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