しあわせ日記
3月21日(土) 感じやすい幸せ
バスケットの練習へ昼前に出る。いつものように、練習後居酒屋へ。先週は、その後カラオケに行ったが、きょうはそのまま帰る。事務所に戻ったのは9時少し前。すぐに、風呂に入る。
私にとっては、ありふれた土曜日だが、すごく幸せだと思える。大好きなバスケットを、好きな仲間とする。練習後のビールのうまいこと。気の合う仲間との会話。帰ってからの気もちいい風呂。どれも、本当に幸せだなぁ、と思える。
感じやすい幸せって、単純なものだと思います。すごいこと、非日常的なことは、確かにインパクトはあるが、「幸せだなぁ」と何度も思えるのは、日常的なこと。特に、自分の好きな事・物・人と接している時。
あしたは、朝から女子のバスケットの試合。準決勝。相手がすごく強いので、勝つのは難しいが、いい試合を期待している。
あしたも、好きな仲間と、おいしいお酒が飲めたらいいな、と思う。
3月22日(日) 慣れれば
小雨まじりの花冷えの1日。でも、1本の早咲きの桜の木を見つけました。
きょうは、朝から女子のバスケットの試合。相手は元全日本選手もいる強いチーム。善戦、ナイスゲームでした。結局、そのチームが優勝しました。女子は、はじめての3位。表彰状をもらいました。好!好!
私は、明日から新しい仕事のために、某社に通います。従来のコンピュータソフトの開発とは違う仕事です。
はじめてのこと・慣れていないことをやる時には、いろいろとたいへんです。でも、多くのことは慣れれば大丈夫なものです。心の言葉の掲示板にそう書きました。
3月23日(月) お世話になりました
新しい仕事先に行く。きょうは、作業環境の整備が中心。パソコンのインストールがなかなかうまくいかず、いろんな人のお世話になりました。パソコンをよく知っている人がまわりにたくさんいて助かりました。おかげさまで、あしたからは本来の作業ができる環境が整いました。
わからないことがあるのは当り前なので、あまり自分で考えずに人に聞くようにしました。人の名前もすぐには覚え切れないので、少しずつ自然に話ができるようになればいいな、と思います。
特に困ったことはありませんが、午後少し眠くなりました。さすがに居眠りができるほど慣れてはいません。どのくらいたったら、居眠りができるのでしょう。それは、早いほうがいいのか、そういうことはないほうがいいのか。まぁ、どっちでもいいや。現実をいいように解釈すればいい。
さすがにきょうは、いつもより疲れているので、よく寝ることにします。
さぁ、あしたはしっかりやろう。
3月24日(火) 病気になるのは
きょう電車の中で本を読んでいたら、いつのまにか病気について考えていた。「どうして病気になるのか?」「なんのために病気になるのか?」「病気になった時の幸せになる考え方は?」など。
"痛み"については、「悪いところに気づくために痛みがある」ということを本で読んだことがある。痛みがなかったら、傷ついてもわからない、病気が相当に悪化するまでわからない、など。
病気になるのは、多くの場合、生活のしかたに問題があるのではないでしょうか。
病気になるのは、生活の中の問題に気づくためではないか。
病気になったら、自分の生活や生き方を考え直してみるのがいい。心身ともに、健康的な生活をしているか?
"健康な生活"については、今月のテーマに次回書く予定です。
イヤな気もちになるのも、何かに気づくためと考えたい。気づいたことを自分が幸せになるように活かせたら、と思います。
3月25日(水) ミスした
きょう、ちょっとミスをしてしまいました。
そのあと、どうすればいいか、とばかり考えていて、謝るのを忘れてしまいました。あしたの朝、すぐに謝ることにします。
3月26日(木) ひとり言
最近、ひとり言を言っている人が多い。駅の近辺が特に。電車の中でも。先日、路を歩いている私の後ろから、自転車に乗ってくる若い女性が大きな声で。
みんな、携帯電話(またはPHS)でしゃべっている。まわりの人からするとひとり言と同じ。
今朝、電車の中で私のすぐ隣に立っていた若い女性がひとり言を言っていた。私とヒジが触れ合うくらいの距離。見ると、ノートに書いた文章を声を出して読んでいる。どうもプレゼン(テーション)の内容を暗記しようとしているらしい。周囲1mくらいの人は、みんな気づいてチラチラと彼女のほうをときどき見ている。
私は、「すごいな」と思った。人の目が気になって困る人も多いのに、まわりの人のことをぜんぜん気にしていない。
シャイで小心者の私には、とてもできそうもない。
ところで、人は頭の中でひとり言を言っているのだと思う。言葉を使って考えている。何かに集中している時以外のほとんどの時間は、頭の中でつぶやいている感じがする。
私たちの気分は、心の中の言葉の影響が大きいと思います。頭の中にどんな言葉を浮かべるかで、気分は大きく変わります。
幸せに気分よく過ごすためには、頭の中の言葉を幸せなものに変えればいい。幸せになるひとり言を言うようにしよう。
3月27日(金) 人生の転機
月曜日から新しい仕事先で新たな種類の仕事を始めて、とりあえず1週間が過ぎました。
少しは慣れたという感じです。忙しいと言うより、これからどうやっていこうか、といっぱい考えることがあるので、他のことをする時間がありません。
ホームページの更新も日記だけです。たった3行の日もありました。
私の場合、何か1つのことを始めると、それに集中する傾向があります。今も1日中、仕事のことが頭から離れません。
でも今の私が昔の私と違うところは、気分よく過ごすことだけは心がけていることです。小さな気分転換法はたくさんあります。
これからは、もう少し仕事の楽しみ方を工夫してみようと思います。
今は、私の人生の転機の1つだと思います。過去にもいくつかの転機がありました。「人生密度7年説」にも書きました。
ただ、どういう仕事・生活・生き方をしようが、より幸せに暮らせたらいいな、と思うことは変わりません。どういう状況でも幸せに暮らせる人になりたいと思っています。
今週はいろいろありましたが、けっこう幸せに暮らせたと思っています。(好!好!)
3月28日(土) 送別会
バスケットの練習のあと、仲間2人の送別会。
男子のポインゲッターが仙台に転勤になる。
そして、その奥さんで女子のシューター&ムードメーカーが会社をやめていっしょに仙台へ。
2人とも7・8年いっしょにバスケットをやった仲間だ。とっても寂しい。
送別会の終わりに、2人のあいさつがあった時、思わず目頭が熱くなってしまった。それだけ、いい出会いをして、いい時を共に過ごした、いい仲間なのだ。
別れの時に、いちばんその人の大切がわかる。
人生、出会いと別れの繰り返し。別れがつらいということは、それだけいい出会いがあった証拠。
と言っても、2人は週末にこちらに来たら顔を出すだろうし、3〜5年でまた戻ってくる。合宿を仙台方面でやろう、などという案も出ている。
仲間であることは変わらない。
3月29日(日) 人生の春
きょうは暖かかった。テレビでは、関東地方は"初夏の陽気"、と言っていました。すっかり春、という感じです。家のそばの桜は3分咲きです。
「春、夏、秋、冬のどれが好き?」と聞かれたら、今の私は「どれも好き」とか、「4つがあるのがいい」とか答えそうです。
春には春の良さがあり、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の良さがある。
他の季節があるから、それぞれの良さが引き立つような気がします。
きょう届いたメールの中に、"人生の春"という言葉がありました。なにか、いい感じです。
"春"というと、始まり・芽生え・出会いなどのイメージが浮かびます。
"人生の春"は、一度きりではないと思います。季節は巡るものです。
"青春"という言葉があります。"人生の春"の1つかも知れません。
そういえば、今の私も"春"のような気がします。ただなんとなく。
3月30日(月) 言葉遣い
今朝電車の中で、私のすぐ横に春休みの女子高生と思われる一団がいた。大きな声でひっきりなしにしゃべっていた。
話題はテレビ番組の内容が多かった。「さんまのスーパーからくりテレビ」「進ぬ!電波少年」の中の「なすびの懸賞生活」、「コウジ園」など。
「からくりテレビ」の中村玉緒さんの話にひとりの子が知らないことがあった。
すかさず、「エー、なんで見てないのー」。
言われた子も黙っていない。「私、中村玉緒、スキじゃない。だって、ワザとらしいんだもん」
それに対して別のひとりが、「そうだよね」
それを聞いていた私は、人間関係を想像してしまう。
あと気になったのは、「疲れたー」「アツーイ」「すわりたい」などと大きい声で平気で言うこと。
別に、「近頃の若い者は」などと言うつもりはない。
そう言えばきょう、ニュースで若い人の敬語の使い方がおかしい、と報じていた。
自分のことを思えば、くだらない話もよくしているし、言葉遣いも昔の人からみたらおかしいと思う。
私なら、幸せになる言葉遣いをしたほうがいいんじゃない、と言うくらいか。
3月31日(火) 桜が満開
朝仕事先のある駅を出ると、桜が満開だった。
どうしてきのうは気づかなかったんだろう?
考え事をしていたから? 急いでいたから? 単に興味がなかったから?
たぶん1つには、桜の木の存在を知らなかったから。もう1つには、楽しみながら歩くことをしていなかったからだと思う。
私は、家と駅の間にある桜には、どんな季節でも注意を向けることがある。葉が繁っている、枯葉が落ちている、裸になっちゃった、など。たまには、歩きながらポンと手の平でタッチすることもある。
きょう、ある公園では朝からビニールシートを敷いて、花見の場所取りをしていた。
常にいろんなものを楽しめる心のゆとりを持っていたいな、っと思う。