しあわせ日記
8月21日(木) 生活を考え直す
きのうの深夜、「ネットわくわく 世界の12歳」(NHKテレビ)が放送された。日本と、ガーナ、クロアチア、バングラディシュ、オーストラリアを回線で結び、各国の12歳の子どもを集めて、それぞれの国の様子を伝え合った。
社会情勢、物質の豊かさ、教育、家庭環境など、ずいぶん違っている。でも、どこの国の子どもたちが幸せかは一概には言えない。
夕方に「未来少年コナン」(宮崎駿演出・日本テレビ)の再放送をしている。未来に科学文明が崩壊しシンプルな生活に戻る、というよくある設定だが。小さな島で祖父と2人だけで、魚をとったりしながら育った主人公の少年コナン。そのたくましさとやさしさが新鮮だ。
西サモアの島に住む酋長が、はじめてヨーロッパの文明を見て語った演説集「パパラギ」(岡崎照男訳・立風書房)。
インディアンの祖父母と暮らした少年時代の話を書いた「リトル・トリー」(フォレスト・カーター/和田たか男訳/めるくまーる)。
これらの本を読むと、自分が当り前と思っている今の生活を考え直すヒントになる。生きていく上で大切なものを教えてくれるような気がする。
そう簡単に自分の生活を変えることはできない。でも、その中で何を大切にするかという自分の心は変えることができると思う。
何を大切にするかは人それぞれ。でも、自分の心の幸せをもう少し大切にしたほうがいいと思う。
8月22日(金) やりたいことをやれば
夜、「驚きももの木20世紀」(テレビ朝日)は、今東光さんだった。
番組終わりに人生について、「やりたいことをやりなさい」という言葉が映しだされた。
私も同じことをよく書く。でも、「やりたいことがわからない」「夢も希望もない」という人は多い。その人たちに、単に「やりたいことをやれば」と言っても、「ハイ、そうですか」とは言わないだろう。
私は、今までも「やりたいことをやる」ための考え方を書いた。でもまだ説得力がない。いずれまた、考えて書こうと思います。
でも、どうして、やりたいことがないのだろう?
どうして、やりたいことをやらないのだろう?
簡単なことでしょ? 言うのはネ。
やるのは? ・・・
8月23日(土) 心に残るもの
「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)を途中までみた。
数人が「船井総研(船井幸雄氏)」と「脳内革命」をバカにしていた。「プラス発想」だけ、だと。
本を読んでも、その内容が明確に自分の中に残ることはめったにない。読んでいる時には、「もっともだ」と思っても、すぐに忘れてしまう。1冊の本の中で、1つの言葉だけでも自分の中に残り、以降の自分の人生に役立ったら十分な価値があると思う。
私が生き方などの本を読む時には、その中に新たな役に立つ考えが1つでも見つかればいいと思っている。自分が考える視点やヒントになるだけでもいい。「ここは自分はそうは考えないだろう。自分だったら・・・」と考えられれば、それでいい。
それ以外の部分は気にならない。いろいろな意見や考え方の人がいるのが当り前。すべてハオハオだ。
私は、「本」に関するページの中で「脳内革命」(春山茂雄・サンマーク出版)について書いた。印象に残った文章を引用させてもらった。
「脳内革命」は、「プラス発想」に「脳内モルヒネ」という説得力をプラスして、人の心に一片でも何かが残る本なのだと思う。ただし、それを活かし、持続するかどうかは読んだ人しだい。
私が書いていることの中で、ひと言でも人の心に残り、役に立てたらいいな。
8月24日(日) 期待しすぎ
朝から、バスケットの試合。
試合には勝つが素直に喜べない。チームのディフェンスがよくなく、オフェンスも悪い。問題点ばかりが頭に残る。
どうして、こんなに気分が晴れないのか、考えてみる。
やはり経過が自分の期待に反することが多かったためだろう。期待しすぎなのかもしれない。「思いどおりにいったらいいな」くらいに考えればいいのだ。それに反省材料ができたという意味では価値があるのだ。
そんなことを考えているうちに気分は回復した。
きょうは天気もよく、好きな仲間と好きなバスケットをやって、試合にも勝ったし、昼間からおいしいビールを飲んで、幸せな日だった。
これからは、もっと早くそれに気づくようにしよう、と思う。
8月25日(月) 親の目子の目
午前中の「親の目子の目」(テレビ朝日)は、「子はカスガイたちの今」。十数年前に放送された「子はカスガイと言うけれど」の家族の現在を、大人になった3人の子供たちがレポート。
次男・大学生は、両親にインタビューをする。自分の出生、両親の不仲、互いの死の想定について聞く。
長男は役者志望のフリーター。過去の家庭、両親について振り返る。
父親は、仕事だけしてればいいと、毎晩酒を飲み歩き、家にいなかった。
母親は、父親不在で3人の子育て生活のはて、育児ノイローゼになり、ヒステリーをおこし子供にあたる。そのあげくに、育児を放棄。
そんな家庭で育った自分は、人間関係がうまく築けない人間になってしまった。自分を本当に理解してくれる人はいない。ちょっとしたことで人に対して不信感がわいてしまう。
家庭の内情は崩壊していた、と今は客観的に見ることができた。父も自分の幸せを求め、母のつらかったことも今はわかる。しかたがなかった、親を責めてもしょうがない、と言う。
今は、父には自分の人生に干渉してほしくない、母には父を無視して自分の人生を楽しんでほしい、と思っている。
長女は、病院カウンセラー。飼い猫・チャネの目を借りて、現在の家族をレポートする。
それぞれが自分の生き方をしている。
「親も人間だ」と自分に言い聞かせて何でも許すことにしている、と言う。
8月23日の読売新聞・私の提言という投書欄のお題は「子供とうまくつき合う方法」。タイトルだけ抜粋してみる。
努力認めほめる/親子で体験共有/家族で語り合う/目標押し付けない/愛情込めて注意/腕力をふるわず/構い過ぎ避ける/触れ合い増やす/日記で意見交換/「駄目」をキッパリ/真剣に話を聞く/目の高さ同じに/自分を振り返る。
このように子供のことを考えている親だったら、子供は幸せなのだろうか。
ところが、親の心子知らず、かつ、子の心親知らず。良き親を演じている親の子供でも苦しんでいる人が多い。いい子を演じて親に心配をかけないようにしながら、内心つらい思いをしている子供も多い。
親も子も同じ未熟な人間。自分が成長し、自分の親・自分の子を1人の人間として見られるようになることでしか、本質的な解決にはならないと思う。
8月26日(火) 何のために生きるのか(3)
今月の人生相談「なんのために生きるのかわからない」のために、多くの本を読んできた。明確な答えを書いたものは見つかっていない。
gooで「生きるのか」を検索してみる。271件。いくつかのホームページを覗いてみる。
「あんたバカぁ?そんなのわかるわけないじゃん」という「新世紀エヴァンゲリオン」の中の(たぶんアスカの)セリフが見つかる。
「何のために生きるのか」の答えはない、という人が何人かいた。生きる理由なんていらない、という人もいた。それを考えるより他のことを考えるほうがいい、と言うがいる。
「何のために生きるのか」はわからないという人は多い。それを探しながら歩くのが人生だ、と言う人がいる。
「食うために生きる」というのは否定するために、よく使われている。
キリスト教のホームページに、「人はパンのみで生きるのではない。神の口から出る1つ1つの言葉による」と聖書にある、と書いてあった。私も後の文は知らなかった。つまり、神の意志にしたがって生きる、神が喜んでくれるように生きる、ということのようだ。
あるホームページには、「1人1人異なるかけがえのない使命をもっており、その実現のために生きる」とあった。
さて、私なりの答えを今月中に書くつもりなのだが・・・
8月27日(水) 早朝人間ウォッチング
朝5時に散歩に出る。もう明るい。今年の夏は朝晩が涼しい日が多くてうれしい。きょうは町田駅周辺をぐるっと回ってみることにした。
小田急町田駅の前に10人くらいの若い男女がいる。3人がおもちゃのバットとボールで野球をやって騒いでいる。キャッチャーは女の子だった。他の人は、ベンチにすわって話をしながら見ている。朝5時台にしては、明るく楽しい雰囲気だ。それも、その場所は交番のまん前。
若い女性の2人連れを違う場所で3組見かけた。どうもカラオケの店から出てきたようだ。電車が動きだしたので、これから帰るのだろう。
庭の朝顔を腕組みをしながらじっくりと見上げているおじさんがいた。
ガソリンスタンドの前にバイクにまたがった青年が2人。スタンドには仲間らしい青年が1人給油をしていた。これからどこに行くんだろう。もしかしたら、どこかへ行った帰りかもしれない。
連れだって散歩をしている中年夫婦がいた。
コンビニから不思議なカップルが出てきた。1人は20台後半くらいのお腹の大きい女性。もう1人は藍色の作務衣の上下を着た50歳くらいの男性。白髪まじりの長髪。まるで「ビーチボーイズ」(フジテレビ・月9)のオーナー(マイク真木)のよう。歩道で立ち止まって楽しそうに話を始めた。私はその横を通り過ぎる。
今朝出会った人たちは、みんな幸せそうな感じがした。本人がどう思っているかはわからないが・・・
8月28日(木) とても幸せ
夜、「第6回FNSドキュメンタリー大賞」(フジテレビ)をみる。
佳作の1つは、福島テレビ制作の「ルワンダ遥かな旅〜難民一家の夢と挑戦」。ルワンダ難民として日本にきて、子供を日本の学校に通わせ、生活したマリー・ルイーズさん。教育の必要性を強く感じ、ルワンダに帰り学校建設に携わる。
マリー・ルイーズさんは言う。
「日本人は、とっても幸せ」
私は、「生きていて幸せ。ましてや今の日本に生まれてとても幸せ」とたまに思う。
8月29日(金) 選択したことを責めない
きのうに続いて、「第6回FNSドキュメンタリー大賞」(フジテレビ)を見終わった時には、きょうになっていたが、重苦しい気分。
大賞は長野放送制作の「不妊治療と減胎手術〜ある医師と218人の選択」。難しい問題。私は「ハオハオ」と言いながら、自分の意見はひかえて書く。
意図に反して2年以上妊娠しない、不妊は10%の夫婦にあるという。子供がほしいという切なる願い。
不妊治療。排卵誘発剤、体外受精など。1回で妊娠できるとは限らない。毎回多額の費用がかかる。1回の確率をアップさせようとすると、3つ児以上の多胎妊娠の可能性が高くなる。
「妊娠したと知り大喜び。でも4人とわかって絶望した」と話す女性。
そこで選択される減胎手術。刑法上は堕胎罪。
母親としての罪の意識も大きい。
「バチがあたるのではないだろうか。そんなことしていいはずがない」
「一生忘れられない負い目ができてしまったように思う。いつまで、こういう気持ちが続くのだろう」
減胎手術を公表している根津医師は言う。
「やりきれない。赤ちゃんを殺している」「必要悪ととらえている」
「中絶が許されて、減胎は許されないのはなぜか?」
減胎手術を受けずに3つ児を出産した女性は言う。
「3つ児だから全員産んだが、4人だったら・・・」
「(減胎を)選択したからには、誰もせめちゃいけない」
どんなことも真剣に考え・選択したことは後で責めちゃいけない。
8月30日(土) いいゲーム
朝からバスケットの女子の試合の応援にでかける。
午前中の試合には全員得点で勝ち、午後にもう1試合ある。相手はいつもの優勝チーム。負けはしたが善戦だった。うまくいっても、うまくいかなくても、一生懸命のプレーが観ていてすがすがしかった。
試合に負けていても、うちのベンチはいいプレーが出る度に盛り上がった。やっている選手は少しきつかったようだが、チームとしては十分に試合を楽しめたと思う。
うまくいく時、うまくいかない時、いろいろある。結果には時の運もある。でも、自分らしく、一生懸命にやれば気持ちのいいゲームができる。
明日は男子の試合。いいゲームができたらいいな、と思う。
8月31日(日) 夏の終わり
午前中、バスケットの試合。
出だし好調で前半リードするが、後半逆転負けを喫してしまった。これで今年の夏の大会は終わり。
残念会になったが、やっぱりこの季節のバスケットの後のビールは最高。
きょうで8月も終わり。最近は暑さが少し戻ってきたが、今年はそれほど暑い夏ではなかったようだ。
小中高の学生はきょうで夏休みも終わり。と言っても、まだ夏は終わっていない。来週末はバスケットの仲間と海へ行く。いい天気になるといいな。
ところで、明日は9月1日。ちょうど1年前、このホームページを始めた。