しあわせ日記

8月1日(金) テレビサーフィン
 午前中、テレビをつけっぱなしで、インナーチャイルドへのメッセージの更新をしていた。

 1892年8月1日生まれのきんさん・ぎんさん、105歳おめでとう。きょうもお元気な姿が見られてうれしかったです。
21世紀まであと2年5ヶ月。19・20・21世紀と、3世紀に渡って生きるなんてすごいですね。楽しみにしています。

 盲導犬の普及を訴えながら、自転車での日本縦断中の少女。徒歩で日本縦断をすると言う若者。電動自転車で日本一周8,000キロをめざす70歳。みんな頑張ってね。きっと一生の、いい経験、いい想い出になるね。

 「ジャングル大帝」(手塚治虫・TBSテレビ)より。レオナ(パンジャの妹、レオの叔母さん)と、まだ子どものレオ(共に白いライオン)の会話。
   レオナ「レオ、理想だけでは生きていけないの」
   レオ 「ボクはパンジャの子、誇り高く生きなくては」

 「ポンキッキーズ」(フジテレビ)より。ランラン(鈴木蘭々)と、りえちゃん(ともさかりえ)の古今東西「み」のつくもの。負けたら、相手の言うことを何でもきく。
 りえちゃんの負け。さて、意表をついた罰ゲームは?
   ランラン 「いつまでも友達でいてね!」
   りえちゃん「うれしいー!!」



8月2日(土) 単純な幸せ
 4週間ぶりのバスケット。暑さと運動不足のため疲れた。ずいぶん汗をかいた。練習後は、缶ジュースを飲みたい気持ちをグッとこらえ、居酒屋へ急行。とにかくビール。
 待ちこがれていたこの瞬間。一気にジョッキ半分を飲み下す。「あー、最高」(しあわせー)と思う。

 暑い中で、きつい運動をし、汗をかき、水分を少し我慢する。すべてがこの幸せを強く演出する。強い幸福感を得るためには、きびしい状況で、つらい思いと我慢をすることが大きいのだ。ラクばかりして大きな幸せを感じようとするのは甘いのだ。
 なんて理屈は、どうでもいい。夏はビール、練習後はビールだ。単純な幸せだっていっぱいあるんだ。



8月3日(日) 何のために生きるのか?(2)
 今月の人生相談「なんのために生きるのかわからない」のために、『「生きがい」とは何か』(小林司・NHKブックス)を読んだ。その中で、「何のために強く生きるのか」という新聞の投書欄の引用があった。とてもしっかりした文章に感心し、その内容について考えさせられました。

 さて、「何のために生きるのか」「本当の生きる意味」「生きる目的」を知らなければ、いい人生は送れないのでしょうか? 誰がそれを教えてくれるのでしょうか?

 私は「幸せになる方法」の本のまえがきに、次のように書きました。
「人は何のために生きるのだろうか」や「自分はどう生きていけばいいのだろうか」というようなことは、誰でもが一生のうちに何度かは考えることです。そして、自分なりに答えを出す人も、答えが見つからない人もいます。その答えは人それぞれで違っていても、「どうせ生きるのなら幸せに暮らしたい」と願うことは共通のはずです。
 ここで、意味や目的はどうあれ、「どうせ生きるのなら幸せに暮らしたい」と願うことは間違いない、ということで幸せに暮らすことを推奨し、そのために5つの「幸せになる方法」がある、と書きました。

 生きる意味・生きる目的がわからない、という焦燥は大きいのだろうか?私の「幸せを感じるため」という1つの答えでは、納得してもらえないだろうか?



8月4日(月) クーラーのある幸せ
 午前中に今年はじめて事務所のエアコンをつけた。28.5度設定でセンサードライ運転。直射日光の当る東向きの窓からは、放射熱を感じるくらいだった。ヤセ我慢をしてまでクーラーを使わないという信念はない。(寝るときには使わない)

 クーラーがこんなに普及したのも最近のことだ。昔の人はクーラーなしで暮らしていた。今でも世界にはクーラーなんて使えない人がたくさんいる。
 クーラーを使えることも幸せなことなのだろう。

 クーラーのせいで体調不良(夏バテ、肩こり、冷え症)になる人もいる。クーラーの使用で風邪をひく人もいるだろう。
 また、クーラーは地球温暖化、エネルギーの大量消費などの弊害がある、と口にする人もいる。

 クーラーは快適に過ごすのに役立つが、人のためには少し使い方を考えたほうがいいのかもしれない。(余計なお世話か?)

 午後は、いつものように、ガラス戸を開け放して過ごす。



8月5日(火) 生きがい
 早朝、「生きがい」に関する本を読み直していた。5時前にそろそろ散歩に出ようかと思ったら、雨が降ってきたのでやめ、読書を続けた。
 6時半くらいからgooで「生きがい」を検索してみた。
   「生きがい」 5,933件。 「生きがいとは」 52件。
   「生きがいがある」 13件。 「生きがいがない」 1件。
 いくつかのホームページをのぞいてみたら、神谷美恵子さんの著書「生きがいについて」(みすず書房)からの引用があった。

 私もさっき、「生きがいについて」を読み直したばかりだった。
 昨年、「知ってるつもり」(日本テレビ)で神谷さんを紹介した。私はそれを見て涙を流した憶えがある。
 先週末から読んだ3冊の「生きがい」に関する本には、「生きがいについて」からの引用があった。おすすめの1冊だと思う。

 このホームページの中には、「生きがい」に関することはほとんど書かれていません。「生きがいについて」の中に「生きがい感は幸福感の一種」と書いてあります。私は、「生きがい」を含む「幸せ」について考えればいい、幸せに暮らすことが生きがいになる、と考えています。

 今、「生きがい」についてもっと考えてみよう、と思っています。今月と今週の人生相談の中で書くつもりです。乞う、ご期待。



8月6日(水) 天命
 きのう書いた「生きがいについて」(神谷美恵子・みすず書房)の中に、
「どういうひとが一ばん生きがいを感じる人種だろうか。自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力をそそいで歩いているひと − いいかえれば使命感に生きる人ではないだろうか」と書いてあった。
 使命感のもっとすごいのが、天命だと思う。
 私の大好きな「竜馬がゆく」(司馬遼太郎・文春文庫)の中に、次のような竜馬とおりょうの会話がある。
「お前の亭主は一種人間でない男かもしれないぜ」
「人間でない?」
「うらァ、天がおれを、この地上の紛糾をおさめるために降した − と自分をそのように思いはじめている。おれがいなければ日本が潰れらァ」
「思いあがり」
「だな。しかしそうとでも思いあがって居ねば、こうは飛びまわれんわい。勝先生も西郷も桂もそう思っているようだ。女とはちがって、そこが男の滑稽なところだが」
 竜馬は天命のようなものを感じていたのだと思う。
 実を言うと私もごくまれに、そのようなことを思うことがある。自分のライフワークである「幸せになる方法」の追求が、自分の天命だと。単なる思いあがり、滑稽なことなのだが・・・
 そういうことを考えるのは自分でも気恥ずかしいので、ただの幸せオタクと名乗っています。

 たまにでも天命・天職のようなことを実感できる人は、すごく幸せだと思う。
 やっぱり私は幸せ者。



8月7日(木) オウンゴール
 夜、バスケットの試合に行く。夏の大会が始まったのだ。きょうは女子の試合があった。
 試合の中で珍しいプレーがあった。メンバーチェンジで入ったうちのチームの娘(こ)が、ボールを受けてそのままドリブルシュートを決めた。なんとそれが自分のゴールだった。オウンゴールだ。もちろん相手の得点になる。スコア上は相手チームのキャプテンの得点になる。
 試合は後半に調子が出て、うちのチームが勝った。

 試合後、いつもの居酒屋へ。きょうの主役は、オウンゴールを決めた娘だ。何度かその話になり、みんなで大笑いする。
 うちのチームでは、失敗はみんなで大笑いすることが多い。試合中に簡単なシュートをミスすると、自チームのベンチからすごいヤジと拍手がわく。得点を入れるよりも盛り上がる。
 私もよく失敗して、大笑いのネタにされる。

 人の失敗なんて、みんなほとんど気にしていない。失敗を気にするのは本人だけだ。それも人からどう思われているかを悪く想像し、落ち込んだりする。
 失敗をその時にみんなで大笑いしてくれると、それですんでしまう。ただし、そこには互いの信頼があるからだと思う。

 自分の失敗を自分で笑ってすませてしまうのがいいと思う。「またやっちゃった」と舌を出せば、それでおしまいだ。



8月8日(金) 夢に生きる
 きょうの「徹子の部屋」(テレビ朝日)は、サッカーの"カズ"(三浦知良)。中学卒業後、プロサッカー選手をめざしてブラジルへ渡る。中学では身体も小さく、目立つ選手ではなかったという。夢の力ってすごいなぁ、と思う。

 夜の「驚きももの木20世紀」(テレビ朝日)は、ドラえもんの藤子・F・不二雄(藤本弘)。自分自身がときめくマンガを。いろんな夢を叶えるマンガを。自分の生きた証として歴史に残るマンガを。子どもたちの心に残るマンガを。常に夢を描き、ペンを持ったまま机の上で天に昇っていった人。夢に生きた人。

 夢も希望もない、と思いつつ生きている人もたくさんいる。
 たしかに夢を追いかけても叶わない人もたくさんいるのだろう。夢を叶えるためにはつらいこともいろいろあるのだろう。夢に生きたら、現実社会の中でうまくやっていけないかもしれない。夢よりも大事な人、大事にしたい愛があるのかもしれない。

 夢に生きる人は、先の心配などより、先の幸せを強く思い描くことのできる人なのだろう。他のことより夢のことを一番長く考えられる人なのだろう。



8月9日(土) 喜びを力に
 午後、「世界陸上アテネ大会」(TBSテレビ)で女子マラソンの中継をしていた。鈴木博美さんが笑顔をゴールし、優勝した。鈴木さんは大会前にケガをし、練習ができない時期があったそうだ。そのことを鈴木さんは、「いい休養になったと思うようにしている」と言ったそうだ。

 ゲスト解説は有森裕子さん。有森さんはサインに「喜びを力に」とよく書くという。常に自分のおかれている現状をよしとし、さらにそれをパワーにするという。たしかに有森さんはよくうれしそうな表情で走っていた。

 私の「ハオハオ」も"現状をよし"とするのにも使います。
 今朝、「ハオハオを試してみました。効果、ありましたよ」というメールが届いていました。私以外の人にも「ハオハオ」が役に立つことがわかって、とてもうれしかったです。この喜びを力に、これからも頑張っていこうと思います。



8月10日(日) 死
 先週のテーマは「生きがい」だった。今週のテーマは「死」。

 「死」に関する本をパラパラとめくりながら、どのようなことを書いていこうか、と考えた。思い出して、本棚のスキ間に入れておいた雑誌のスクラップ記事を引っ張り出した。「新潮45」(94年12月号)の「たけしの死ぬための生き方=おいらが病床で考えたこと」というビートたけしさんが書いた約30頁のものだ。
 その中に次のように書いてあった。
 おいらが病床で考えていたこと、というのは、本当に「生と死」の問題だけだったといっても、いいすぎじゃないんだよ。いくら考えても分からない、答えが出たわけでもない。知恵の輪を解くみたいに、こっちへガチャガチャ、あっちへガチャガチャとひねくりまわしていただけだけどね。
 私は最近、「死」についてあまり考えていなかった。若い頃に一時的に考えたことはあった。いつの頃からか、「死」について考えるより「幸せ」について考えたほうがいい、と思うようになった。無意識に「死」について考えないようにしていたのかもしれない。

 ひさしぶりに今週は「死」についてガチャガチャと考えてみようと思う。今だったら、恐怖におびえてどうしようもない、ということもないだろう。


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