しあわせ日記

7月21日(月) だます人より信じる人
 午後、映画「東京デラックス」(催洋一監督)をテレビ(テレビ東京)で観た。
 詐欺師一家が主役のコメディだ。おもしろい。人をだます楽しみというのがあるのがわかる。

 しかし、だまされる側にしたら、たまったものではない。人を信じたばかりに、大金を損するのではつらい。だまされた自分のバカさかげんにイヤ気がさすだろう。

 詐欺は犯罪だから許されることではない。だます人間が悪いのはもちろんだが、だまされる人にも問題があるのだろう。当然自分にも何かの欲があるに違いない。欲がない人間はだませない。強い欲のために人や物事が見えなくなって、だまされた人は自業自得と言うしかない。
 困っている人がかわいそう、人助けをしたい、やさしい人でありたい、などの気持ちはいいことだが、これも一種の欲なのだろう。

 私は過去に人にだまされた、裏切られたという記憶がない。自分の思いどおりにならない場合には、そういうものだと受け入れたり、人のせいにしなかったり、そのような考え方をしてきたから、そういう記憶にならないのかもしれない。

 だまされるのは絶対イヤ、裏切られるのは耐えられない、と臆病になりすぎるのも考えものだ。人を疑う、人を信じられないのはつらい。かと言って百パーセント信じきるのも問題がある。その辺の加減が大切なのだろう。
 「友達にお金を貸す時には、くれてやるつもりで貸せ」と言われる。もし、くれてやるつもりになれないお金は、貸さないほうがいいのだろう。「金の貸し借りをすると友達をなくす」とも言われる。

 YESなら、結果をすべて受け入れる覚悟で人を信じる。NOなら、それを相手も了承してくれることを信じる。信じた自分を裏切るかどうかは相手の問題。その結果、失った人間関係はしかたがない。その人とはそういう縁だったのだ。

 人をだましたり、疑ったりする自分になるくらいなら、人を信じられる自分になりたい。



7月22日(火) やさしさの車輪
 夜、ETV特集・ヒューマンドキュメントシリーズ「やさしさの車輪〜時速6キロ、僕の世界が変わったよ」(NHK教育テレビ)を視た。

 伊藤喜章(よしゆき)さん(34歳)は、脳性マヒによる障害があり、17歳からのぞみの家で生活している。伊藤さんは、もう10年間乗っている電動車イス・スーパーターボ号(時速4.5キロ)で、スーパー・役場・図書館などに出かける。
 伊藤さんの目標は、「自分なりに社会の役に立つことを見つけること」だそうだ。車イスやお年寄りにやさしくない道路の箇所の改善を役場にお願いする。視覚障害者のための点字ボランティアを5年間続けている。

 私は、次の2つの場面で涙があふれてきた。
 伊藤さんが、スーパーターボ号へ感謝を込めた詩を朗読した場面。
 母の日に贈ったビデオ・レター。

 伊藤さんは、役場に新しい電動車イス(時速6キロ)の利用を申請した。医学判定などを経て認可がおりた。伊藤さんは、新しい車イス・ふれあい号に乗って、12キロ離れた実家へ3時間かけて帰った。

 最後に、伊藤さんがNHKのインタビューに答えた。
 「夢は?」に、「このふれあい号でいろいろな人と出会って、町の中で暮らしたい」。そして、「この身体でこれからも精いっぱい闘っていきたい」。
 しかし、「今、何がほしいか?」には、「ない。これ以上欲張ると、バチが当る気がする」と答えた。



7月23日(水) 幸せの最大公約数
 ある大学生の方から、「卒業論文のために『幸せの最大公約数』を探したい。調査としてアンケートを行いたいのですが、アドバイスを頂けたら幸いです」というようなメールをいただいた。

 今夜の「タモリの新哲学大王!」(フジテレビ)のテーマは「ラーメン」だった。日本人はラーメンが好きなようだ。でもラーメンと言ってもいろいろある。人の好みも様々だろう。
 「ラーメン」を「幸せ」に置き替えても同じようなことが言える。人は幸せになりたい。でも幸せと言ってもいろいろある。人の幸せは様々。
 ここで、「ラーメン」と「幸せ」は、最大公約数的なところがある。好きということでは、多くの人に共通する。でも、好みは人それぞれ。「いっしょ。でも私は」みたいな仲間意識と自分らしさを両方とも発揮できる。

 SMAPのファンはたくさんいる。でもメンバーの誰を好きかは分かれる。超カッコいいキムタク。楽しい中居くん。かわいい慎吾ちゃん。いい人の草なぎ君。ミステリアスなゴロー。
(SMAPファンの方、失礼しました。勝手な思いつきで書きました)

「○○が好き」「私も好き」
「私は△△がいい」「私は□□がいいと思う」
 こういう会話が成り立ちやすいのが、最大公約数的なことかもしれない。
「SMAP(芸能人)」「カラオケ(歌)」「テレビドラマ」「プロ野球」「ワイドショー」「ラーメン(食べ物)」「旅」など。

 「幸せ」に関してはどうだろうか。誰もが幸せになりたいと思っている。幸せが嫌いな人はいない。それぞれの好みの幸せがある。でも幸せについての会話は、あまりしないだろう。
 幸せの話は盛り上がらないのかもしれない。幸せと言えば、自分の求めている幸せ、今は持っていない幸せを考える人が多い。それでは、今は幸せではない、という話になってしまいがちだ。かと言って、人の幸せ話を聞くのもうれしくない人がいる。

 ところで「幸せの最大公約数」とは、どんなことだろうか?
 これから少し考えてみたいと思う。



7月24日(木) 問題か不自由か
 今朝、電車の中で読んでいたのは「オッオー!」(ロバート・フルガム著/浅井慎平訳/集英社)という本。「問題か不自由か」というエッセイ読んでいるうちに、本を開いたままいろいろと考えていた。
「きみは自分がなんでもわかっていると思っているようだが、不自由と問題の違いがわかっていない。
 いま仮りに首の骨が折れたり、食べるものがなかったり、家が焼けたりしたとする − これは問題だ。それ以外のことはすべて不自由なんだ。人生とは不自由なものだ。人生はでこぼこのこぶだらけなんだ。
 ほんとうの問題と不自由とを区別することを覚えることだ。そうすれば長生きができる」
 たしかに生きていくのに支障のある程の問題などめったにない。不自由なことは誰にもある。世の中、すべてが自分の思うようになるわけがない。

 「不自由」という言葉から、私が思い出すのは、次のような障害者の方の言葉です。過去に何度か出会いました。
「私には不自由なことがあるが、けして不幸なわけではない」
 不自由なことを大問題・悩み・不幸ととらえるか、単なる不自由ととるかでは、大きな違いがある。

 不自由でも生きてはいける。誰でも不自由を抱えて生きている。不自由を気にしすぎず、慣れてしまえば、何も問題はないのかもしれない。
 不自由な部分があっても、幸せになるための行動はできる。幸せに暮らすことはできると思う。幸せに暮らすことは不自由さを忘れる方法でもある。



7月25日(金) オッオー!
 きのうに続いて「オッオー!」(ロバート・フルガム著/浅井慎平訳/集英社)の話です。
 「オッオー!(UH−OH)」について、著者は次のように書いています。
「オッオー!」はものごとに対するとらえ方を示している。ひとつの哲学なのだ。

「オッオー!」には、「あーあ、またやるのか」も、「だから、どうしたの?」も、「この次どうなるかなんてわからないよ」も、「当初の計画はここまで」も、「あしたはあしたの風が吹く」も、「なってしまったものはしかたがない」も、「百年たっても、なにも変わらないさ」も、すべて含まれている。
「オッオー!」は、ささいな問題に対するとっさの反応ではない。人生に対する姿勢の表れであり、ひとつの世界観なのだ。わたしの人生に対する見方は、次の式に要約される。

「ふんふん」+「ほうほう」+「オッオー!」+「いやいや」=「ははーん!」
 私はこれを読んだとき、私の「ハオハオ」とほとんど同じだと思った。
 「ハオハオ」はものごとに対するとらえ方を示している。とにかく現実は受け入れよう、というとらえ方だ。その上で、どうするか考える。「ハオハオ」だけですませるか、プラス発想で考えるか。
 私も人生(の問題)に対する姿勢を示すものだとは考えている。まだ、世界観や哲学というところまではいっていない。さらに続けていけば、そうなる可能性は感じる。
 私の中では「ハオハオ」は、もっとも現実に役に立つ幸せになる方法です。時間をかけて磨いていこうと思っています。



7月26日(土) 青少年と存在価値
 最近、テレビで青少年に関することがよく取り挙げられている。
 神戸の事件、いじめ、不登校、援助交際、おやじ狩り、麻薬。それらを題材にして議論がなされている。
 昨夜(今日)の「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)がそうだった。と言っても私は、「新世紀エヴァンゲリオン」(テレビ東京)のコマーシャルの間に覗いただけだった。
 今私は、「自分の存在価値」という問題について考えている。青少年にとっても大きな問題だと思う。私は、「朝まで」より「エヴァ」を見たほうが感じることが多い、と判断した。青少年の「エヴァ現象」を取り挙げた番組もあった。

 きょうの午後、テレビ東京の「少年少女が危ない2」では、神戸の事件と麻薬の問題を、少年少女へのインタビューを中心に扱っていた。神戸の事件に関しては、近隣の中高生の間ではだいぶ前から、逮捕された少年のうわさが広まっていたという。
 青少年のインタビューを聞いていると、自分と価値観が違うと強く感じる。犯罪行為を平然とする青少年に対しては、「自分を大切にしていないなぁ」と思う。どこか投げやりな感じを受ける。人生を楽しんでいないより、楽しんだほうがいいと思う。でも、人生をダメにし、不幸になるようなことだけはしないほうがいいと思う。
 やはり「自分の存在価値」「自分の必要性」「生きがい」などが希薄、という感は否めない。でも、これは青少年に限った問題ではないと思う。



7月27日(日) 「透明な存在」
 「透明な存在」をgooで検索してみた。49件。
 例の声明文が全文掲載されているのが10件程度。新聞社のホームページが多い。神戸の事件に関する文章がほとんどだ。ただし、gooのデータが7月初旬に集めたものが最新なせいか、「透明な存在」の意味を考えた文章はほとんどない。
 他には「ネットが透明な存在」というフレーズがいくつか見られた。

 「透明な存在」という言葉から、いろいろと連想することができる。多く言われているのは、自分の「存在価値」や「必要性」の問題だ。「誰も自分を見てくれない・わかってくれない」から、「どのように自己実現したらいいのか」まで、多くの人が持つ心の中のもやもやに、「透明な存在」という言葉が触れたのかもしれない。

 関連する語をgooで検索しながら、いろいろと考えてみた。
 「存在価値」1275件。
 「存在価値」&「生き」259件。「存在価値」&「人生」174件。
 「自分の存在価値」82件。「自分の必要性」4件。

 この問題を考えていくと、「存在理由」「生きる価値」などから、「人は何のために生きるのか」という人生哲学の原点にたどりつく。さらに検索してみる。
 「存在理由」821件。「自分の存在理由」41件。「生きる価値」88件。
 「ために生きる」207件。「ために生きるのか」37件。
 「自分」&「ために生きる」158件。「誰」&「ために生きる」105件。

 そう簡単にはまとめられない問題だ。そこで8月の人生相談では「なんのために生きるのかわからない」という問題の中で、「存在価値」や「生きる目的」などについて考えていこうと思います。

 ここ数日、すっかり夜型の生活になってしまった。「新世紀エヴァンゲリオン」を見ながら、gooで検索しながら、「透明な存在」について考えていたから。
 ちなみに今回の一連の検索の中で一番多く見つかったのはエヴァ関連のホームページだ。エヴァでは「人間の存在価値」が大きなテーマの1つになっているのだ。それはテレビ版最終回の「ボクはここにいていいんだ」と言う主人公の言葉と、まわりの人からの拍手と祝福のエンディングで明らかだ。

 生活に不自由がなくなった今の日本、各自の中で「自分の存在」と「生き方」に焦点があてられているのかもしれない。
 いろいろな情報が入ってくる分、それをうまく処理し、自分なりにまとめていく能力が必要なのだろう。多くの情報に惑わされて、自分の生き方を定められていない人が多いような気がする。
 自由な分だけ、選択肢がありすぎて、迷ってしまい、それがイライラや悩みになってしまうのかもしれない。
 この際、きっかけはともかく、自分を「透明な存在」などと感じないために、自分の人生を考え直してみるのもいいと思う。



7月28日(月) 柳に風
 なんかヘンな天気だ。降ったり、やんだり、晴れたり。台風は熱帯低気圧に変わったが、日本海に停滞しているらしい。
 時々、強い風が吹く。

 「風」で思い出したのが「柳に風」ということわざ。(強引な展開)
 物事を軽く受け流す、という意味。
 軽く受け流せば何事もなくすんでしまうことに、かかわりすぎて苦しむ人が世の中にはたくさんいる。自分の感情のコントロールがヘタなのかもしれない。

 私は軽く受け流すことを心がけている。「ハオハオ」や「ひと言でかたずける」もそのための方法だ。

 「"柳に風"流の受け流す」は、自分が流されるわけではない。ちゃんと根を張って、自分のスタンスは変えない。
 風に対して、「絶対に動くもんか」と力んだら、疲れるし、ポッキリと折れてしまうかもしれない。
 人の心も人生も揺れてもいい、とも考えられる。少しくらい揺れても、しなやかに柔軟性を持って受け流し、自分は流されない。少し揺れたほうがおもしろいこともありそうだ。

 柳と言えば、つきものは?
   カエル、ドジョウ、ユウレイ ・・・ ネコ(?)
「ヤナギの枝にネコがいる だからネコヤナギ
 それで いいのだー  それで いいのだー」(天才バカボンの歌から)

 ヘンな展開? 小さなことは気にしない!
「それでいいのだ」というのも"柳に風"流の「ひと言でかたずける」(?)



7月29日(火) 夏の入浴法
 今朝の「ほっとモーニング」(NHKテレビ)は「夏の入浴法」だった。
 夏の湯あがりをスッキリするには、「ぬるいお湯に長くはいる」のがいいという。ストレス解消、心身のリラックス、疲労回復。毛穴につまった汚れをとるにも、この方法がいいらしい。
 冬の入浴も、身体の芯から温めるには、ぬるめのお湯に長くつかるのがいいはずだ。ということは、一年中長湯がいいということだ。
 私は、半身浴でゆっくりはいるのが好きだから、いいようだ。

 身体のほてりをとるためには、温冷交代浴がいいという。シャワーなら、40度を2分と20度を20秒、これを5回繰り返す。または、お湯に浸かって、水のシャワー。
 今度、試してみようと思う。

 日本人は、欧米人と比べて、熱いお湯に強く、冷たい水に弱いらしい。
 日本に生まれて幸せだと思うことの1つは、毎日風呂に浸かることができることだ。入浴をただ身体を洗うたけの時間でなく、もっと幸せに役立つ時間にできる。
 もっとも気ぜわしく生活している人も多いようだ。風呂を楽しむには、長い時間よりも、ちょっとした心の余裕が必要なのだろう。あと幸せを感じる習慣。



7月30日(水) Take it easy!
 月曜の深夜に「気らくに行こう」(フジテレビ)という番組がある。画面右下に「Take it easy!」と出ていた。なんかアメリカっぽい感じがする。
 スポーツの応援で、日本人は「頑張れ!」と言い、アメリカ人は「Relax!」と言う、とどこかで聞いたことがある。

 あと私が好きな英語のフレーズは、
  Simple is best.
  Honesty is the best policy.
 どれも、ヘタに考えすぎないほうがいい、という感じがある。

 私は最近、幸せになる方法もシンプルなのがいいな、と思っている。だから、「ハオハオ」や「ひと言でかたずける」や「幸せになる考え方」などをおすすめしている。

 多くの人は「幸せ」を過大に考えているような気がする。もう少し気ラクに考えたほうがいいと思う。「毎日小さい幸せがいくつもあって、たまに大きい幸せがある」そんな生き方がいいと思う。

 最後にもう1つ。「Take it easy!」を私流に。
  Take it happy!
 なんでも自分が幸せでいられるように都合よくとっちゃいましょう。



7月31日(木) なんのために生きるのか?
 今月もきょうで終わり。梅雨、真夏日、台風と、不安定な天気だった。あしたからは天気も安定し、ちゃんとした夏になりそうだ。今年は冷夏になるらしい。

 8月の人生相談「なんのために生きるのかわからない」のために、参考にできそうな本を選び出した。「生き方」「生きがい」「死について」「人生」などに関する約20冊。いちおう目次に目を通した。おもしろそうだが、考えをまとめるのは大変そう。

 そもそも、「なんのために生きるのか?」にスタンダードな答えがあるわけではない。
 私は「幸せを感じるため」という1つの答えを既に書いている。この答えは当り前と言えば当り前。あまりに当り前だから、人はこんな答えを口にしないのかもしれない。
 でも、これ以上にシンプルでいい答えを、私は現在知らない。

 たぶん、この答えを受け入れてくれる人も、すかさず「それで、どうすれば幸せになれるの?」と聞くでしょう。それに答えられなければ、納得してはくれないに違いない。
 私はきっと、「幸せはたくさんある。幸せになる方法もたくさんある。それを考え、実践することが私のライフワークです」と答える。
 私にとっては、それが夢であり、生きがいであり、「自分はなんのために生きるのか?」の1つの答えでもある。

 「1ヶ月後の『なんのために生きるのか?』」を、日記に書きたいと思います。もっと素晴らしい答えができるといいな、と自分でも期待しています。


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