しあわせ日記
5月11日(日) デジタル・ペット
朝、散歩をしていると、犬と散歩している人をよく見かける。微笑ましく感じることがある。
ペットと言えば、最近デジタル・ペットとかバーチャル・ペットと呼ばれているものがある。「たまごっち」がそうだ。世界に広がりそうな勢いがある。ニューヨークやロンドンでの発売のニュースがテレビで流れる。買う人の大半は日本人だそうだが。
類似品も出てきた。中国で作られたコピー商品(?)、日本でも売り出された「たまごウォッチ」というパクリ商品。アメリカでは恐竜のキャラクタなどが登場する、たまごっちと同じ様な形態の、トーイが商品化されている。
こういうものを最初に知ったのは、ディスプレイに表示されている水槽の中を泳ぐ熱帯魚にエサをあげるソフトだった。なぜこういうものがはやるのだろうか?
ペットを飼うことにはいろいろなメリットが考えられる。
きのうの読売新聞、連載「超高齢時代」には、お年寄りと動物のふれあいについて取り挙げていた。
「動物を抱くと安心できる」「一緒にいるだけで気持ちがリラックスできる」「愛情を注ぐ対象がいることで生活が明るくなる」
欧米では治療を目的にした動物療法(アニマル・セラピー)が盛んだという。
痴呆の改善効果もある。動物を飼うことは「死への準備教育」になる。
デジタル・ペットでは「死への準備教育」という点では逆効果かもしれない。たまごっちが死んだらリセットすればいい。女子高生の一部ではいかにはやくたまごっちを殺せるか、がはやっているという。
「必要とされる幸せ」と「幸せにする幸せ」がある。飼い主はペットから必要とされていると感じる。必要とされることは自分の存在価値を確認することとなり、うれしいことだ。幸せにする対象がいることは生きがいともなる。
動物と飼い主の関係には微笑ましい感じを受けることがあるが、たまごっちをやっている人にはそういう感じは受けない。なぜだろう?
5月12日(月) 健康オタク
今日は夜に風呂に入った。なぜかというとビールを飲みたいと思ったからだ。ビールをうまくするには、たっぷりと汗を流した風呂上がりに飲めばいい。
いつもはお湯を適当になりゆきまかせで入れるので、温めになったり熱めになったりする。温い時にはゆっくりと浸かって楽しみ、熱い時にはその感触を楽しみつつ出たり入ったりする。どういう温度でもそれなりに楽しめる。
今日は注意しながら熱めにした。先週、見たよ&ご招待メールをいただいた桃木さんの健康オタク体験レポートというホームページの中に、熱めの半身浴がいいと書いてあったからだ。出たり入ったりしながら、たっぷりと汗をかきながら、この日記の内容も考えていた。
こちらのホームページには、カイロプラクティック、ヨガ、ヒーリングなどが、多くの体験をもとに紹介されている。健康食品、健康器具、民間療法などもレポートされている。「健康訓話ノート」というページには、次のような文章があった。
「健康になることが人生にとって大切なのではなく、
その健康を使って人生を楽しむことが最も大切だ」
私は、「健康は人間の最大の幸せの1つ」だと考えている。こちらのホームページで紹介されているものの多くは、本で読んだことがあった。でも自分では体験したことがなかったので、興味深く読ませていただいた。
私は幸いにして健康だけが取り柄です。今でもバスケットをやっていますが、まだ十分走れるし、体力もあります。だから、健康に時間やお金や気をあまり使いたくないと考えています。そんな私の健康法と言えば、歩くこと、腹八分目、幸せに過ごす、というところでしょうか。
今、風呂上がりに、20分くらい冷凍室に入れてよく冷やしたビールを飲んだばかりです。もう最高。しあわせ。
やっぱり私は幸せオタク。
5月13日(火) いい人
夜、「いいひと」(フジテレビ)を視た。いい人を誇張しているせいもあって、滑稽な人に見える部分がある。それでも私には、なかなかいいことを言ってるなぁ、と思うことがある。今日も、
「オレがすることは、人が見ていなくても、オレが見ています」
「手抜きはできません」「ウソはいけません」と言っていた。
先週も、「夢に向かって頑張りましょう」
「人に夢を与える人になって、人を幸せにしたいんです」とも言っていた。
きっとこのドラマを視ている人の多くは、「ヘンなヤツ」とか「こんなヤツいないよ」などと思って笑っているんだろう。
「いい人」って悪い言葉じゃないはずなのだが、最近は否定的な表現の中に使われる。「いい人は、ただのいい人」や「いい人は、どうでもいい人」のようなフレーズを使う人がいる。
「いい人(いい子)のフリをしているのがつらい」と悩む人もいる。誰だって、「人に嫌われたくない」や「いい人と思われたい」っていう気持ちはある。ただ、それができない不器用な人や無神経な人もいる。いい人を演じていると悩む人は、人から見たらきっといい人だ。そんなに悩む必要はない。
人前でのいい人の自分と、本当の自分とのギャップに悩む人もいる。誰だって、他人の前と、家族の前と、ひとりの時では、違っているのが当り前だ。
そもそも、「いい人」というのは人のことを言うのであって、自分のことを「いい人」と言うのはヘンな人か、あやしい人だ。
私はよく、「少しでも人の幸せに役立てたら、と思っています」のようなことを書く。これなども、ずいぶん滑稽に見えるのかもしれない。
でもウソじゃない。
もしかして、私っていい人? 自分で言うのはヘンな人
5月14日(水) 都合のいい人
きのう書いた「いい人」は、「いい人すぎるヘンな人」で話が終わってしまいました。本当のいい人は、友だちだったらうれしい。誰だってそうだと思う。
「いい人は、どうでもいい人」というのは、恋人にはならないという否定的な意味だと思う。よくある「いい友達でいましょう」という告白に対する答えと同じだ。
でも、「いい男」や「いい女」はもてるのに「いい人」は・・・?
すこし前に、「都合のいい女」や「アッシー」や「ミツグ君」などという言葉がはやった。これらの「都合のいい人」と「いい人」は明らかに違う。
都合のいい人は、もしかしたら下心のある人かもしれない。下心のある人はそれでもいいと思う。下心も大してないのに、ただなんとなくいい人を振舞っている人は、かわいそうな気がする。
何もしない善人より、気持ちよくだましてくれる偽善者のほうがいい、とも考えられる。偽善者の上をいって、喜ばせてもらって、最後にだまされなければいい。Noと言うべき時にはNoと言えばいい。
「ただのいい人」と「本当のいい人」の違いは何か。
ただのいい人は、「嫌われたくない」「好かれたい」だから、ご機嫌をとったり、ノーと言えない。
本当のいい人は、相手の幸せを考えられる。人を喜ばすことを自分の喜びとできる。人を甘やかすことは、その人のためにはならないと考えられる人。
恋人にしたい相手、結婚したい相手の条件の上位には、男女を問わず「やさしい人」が入る。本当にやさしい人と本当にいい人は近いと思う。
本当にいい人になれたらいいと思う。
5月15日(木) お天気まかせ
月曜日から家に帰っていない。雨が降っていたからだ。冗談ではない。私は雨が降っていると家へ帰らない。事務所に泊まる。最初はなんとなく面倒臭かったのだが、いつのまにか決まりになってしまった。家の者も雨が降ったら帰ってこないと承知している。今週は、「帰ろうかな」と外を見ると雨が降っていることが続いた。
今日は久しぶりに帰れそうだ。
自分の行動を天気によって変える、っていうスタイルがなんとなく気に入っている。最近では、雨だからといってプロ野球の試合が中止とは限らない。ドーム球場が増えているからだ。
晴耕雨読の生活なんて、少しあこがれがある。
どんなに文明が発達しても、人間は自然の驚異の前にはなすすべがないことがままある。現在でも天災による大きな被害は続発している。
地震で停電になったら、都市の機能は大部分が停止する。個人の生活だって難儀する。自分の生活を返り見ると、電気がないと困ることだらけだ。
まぁ、そんな時のことをあまり心配してもしかたがない。その時はその時で、それなりの生活の中で楽しみを見つければいい。
自然でも運命でも、自分ではどうしようもないことはある。それを嘆いてもしょうがない。ムダな抵抗もバカらしい。お天気まかせ、なりゆきまかせ、と覚悟してしまえば気もラクだ。でもこんなのは、無責任な人間の考え方かもしれない。でもラクになるよ。
5月16日(金) 動くこと
よくメールをいただいている脇坂さんから、昨日届いたメールの返事を今朝出した。最近の話題は、「新哲学大王!」(フジテレビ)に関することが多い。今週放送分のテーマは「仕事」だった。
脇坂さんの結論は、「仕事とは、動くことである」。
私は、「とてもいいな」と思った。
読書ノートを書きながら、今読んでいるアランの「幸福論」には、行動するのがいいとよく書いてある。
何か問題が起きて気分がよくない時に、思考によって解決しようとすると、余計に悩みが大きく苦しくなってしまう。それよりも身体を動かすことで気分転換したほうがいい。
人は倦怠や退屈によって不幸になる。それに対する一番いい療法は行動すること。
イギリスの哲学者・ルーイスも同じようなことを言っている。
「悲しみのための唯一の治療は何かをすることだ」
多湖輝さんの著書「まず動く」(高木書店)には、次のように書いてある。
「『まず動く』。そこからあなたの新しい人生が始まります。
一歩動き出すことで、あなたの新しい人生が創られていきます」
ダウンタウンのハマちゃんも歌っていました。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ ときには起こせよ movement」
脇坂さんへの返事の中に、私は次のように書いた。
「幸せに生きるのに大事なのも動くことかもしれません」
5月17日(土) 勉強会
夕方から勉強会。下北沢へ行く。下北沢の駅近辺は若い人でごった返している。その大半が大学生くらいの年代に見える。渋谷とも町田とも雰囲気が違う。
今回から、1人新メンバーが参加。大学の同級生のYさんだ。誘ったのは私。大学時代にパソコンクラブを創立した仲間の1人で、私は大学卒業以来、ほぼ年に1回は会っている。今日の出席者の中には、約20年ぶりにYさんと会った人もいた。
今回の話題の1つは、マイクロソフト・インターネット・エクスプローラー(以降、MSIE)のセキュリティの穴についてだった。MSIEを使っていると、ディスク内容の破壊などの被害を受ける可能性があるという。また、ウィンドウズ95やウィンドウズNTでMSIEを使用していると、パスワードが盗まれるという。これらはアメリカなどでは知れわたっている事実らしい。
しかし、実際に被害に遭ったという話は聞いたことがない。パスワードが盗めるのなら、気づかれないように、無断使用されている可能性はある。
結局、1人のMSIEを使っているメンバーが、「つい最近MSIE3.03が公開され、それをダウンロードした」と言う。セキュリティの問題は対応されたらしい。
今、MSIEでご覧の方は、3.03をダウンロードすることをお勧めします。
もう1つの話題は、7月のキャンプについて。今年は「野郎だけのキャンプ」ということになった。勉強会仲間でのキャンプは今年で3回めだが、前2回は家族連れ(奥さん、お子さん)だった。2年前の1回めは、大人9人、子供9人。去年の2回めは、大人7人、子供8人だった。今年は勉強会のメンバーだけ8人という予定だ。
20年以上のつきあいのある男だけのキャンプは、また楽しくなりそうだ。
勉強会の後、そのまま居酒屋へ。事務所に戻ったのは、12時半。酔っていたのでそのまま寝てしまった。今、日曜日の朝「目がテン!」(日本テレビ)を視ながら、この日記を書いている。今日はいい天気。何をしようかな。
5月18日(日) 馬上の人
テレビで馬に乗っている人を視て思い出した。
「(人間の)肉体は馬、精神は馬上の人」のような言葉を誰かが言った。
馬を動かすのは人。ただし、手綱さばきのうまい人もへたな人もいる。また、馬は必ずしも人の思うようには動いてくれない。
人生は馬に乗ってする旅と考えることもできる。どこへ行こうとするのも自由。でも紆余曲折、道に迷うこともある。
「感情は馬、心は馬上の人」だったのかもしれない。
馬は放っておくと勝手に動く。でも馬をコントロールすることはできる。ただし、手綱さばきがへたな人も多い。行きたいほうへ行けない(やりたいことがやれない)。勝手な方向へ行ってしまう(わかっちゃいるけどやめられない)。
何だかよくわからなくなってしまった。
思うようにならないこともあるが、自分(肉体と感情)をコントロールし、楽しんだり幸せを感じたりするのは心の為せるワザ。自分の主は心だ。自分の心に従って幸せに生きよう。
また、自分の肉体や感情を少しでも客観的に見ることで、コントロールできたらいい。それには、命令するだけでも、甘やかしすぎるのも問題がある。ムチやニンジンや水や語りかけや愛撫などのいろいろな工夫をしてあげたほうがいい。
自分の肉体も感情も自由になると思っていたら間違いだ。思うようにならないのが人間だ。でもそれを心でコントロールできるのも人間だ。それをうまくなるには上達の心がけが必要だ。
5月19日(月) 安らぐ
最近、深夜に起きていることが多い。そんなときにNHKテレビをよくつけっぱなしにしている。4時前後には「名曲アルバム」が流れている。風景の映像と音楽だ。
最近のものでは、渓流などの水の流れをたくさんつないだ映像に、チャイコフスキーの音楽。山岳風景と単調な環境音楽のようなもの。ヨーロッパの風景にモーツアルトの音楽。などがあった。
本を読んだり、文章を書いたりしながら、音楽をBGMにし、たまに映像を視る。水の流れの映像のときには、なんとなく引き込まれて、30分近くボーっと眺めていた。すごく安らぐ感じがした。
人にとって「安らぐ」っていう感じが必要な気がする。1日の中で10分だけでも十分に安らげる時間を持てれば、精神的にも肉体的にもずいぶんと違うような気がする。
最近、缶入りのお茶のTVコマーシャルで、「のほほん、のほほん」というフレーズを耳にする。私にはどうも「のほほん」という感じがよくわからない。自然の美しい風景などをボーっと眺めたりするのは好きだが、「のほほん」とは少し違う気がする。単に言葉のニュアンスの受け取り方の違和感だけだとは思う。
クラシック音楽を聴くのは安らぐにはいい方法だと思う。それプラス自然の映像ということで、「名曲アルバム」はいいと思う。水の流れのやつはすごく気に入って、これなら環境ビデオとして売っていてもよさそうな気がした。
もし興味があったら、NHKテレビの3時半くらいからの「名曲アルバム」をビデオに録画してみて、時間があるときにゆっくりと視聴してみてはいかがでしょうか。
5月20日(火) 一生懸命歩く
前日の日記を書いていたら、いつのまにか4時を過ぎていた。さっきまでまっ暗だった窓の外が、青みがかっている。夜明けの散歩をしようとオモテへ出る。4時15分ですでに空は白っぽくなっていた。
今日はすごく歩きたい気分だった。
町田駅のホームで本を読みながら、4時43分の始発を待ち、乗り込み、空いているところに座る。後から乗り込んできた中年男性が正面に座ったと思ったら、ゴロリと横になりカバンを枕に寝た。斜め左前にはサラリーマン、斜め右前には釣り人。さらに右の座席には中年女性2人連れの旅行者。始発電車にはいつもいろいろな人が乗っている。
隣の成瀬駅で降りたのは、4時47分。町田方面へ歩き出す。いつもなら45分くらいで町田に着くはず。
今日は、大股で一生懸命歩く。
町田駅前に着いたのは、5時17分。ピッタリ30分。新記録だ。
いつも行く神社の一番高い社に登る。静かで落ち着ける場所だ。まわりに見えるのは草木の緑といくつかの社。鳥の声が聞こえてくる。
石段に腰をおろし、本を読み出す。
30分くらいして、空から雨粒が落ちてきたので、帰ることにする。
今日は1日、なんとなくいつもより、身体も心も元気な感じがしていた。
きのうの「ひとつ屋根の下2」(フジテレビ)から、
「(許すとか許すさないとか)人間はそんなに偉くない」
きょうの「いいひと」(フジテレビ)から、
「夢をなくしたんなら、また夢をとりもどせばいいんです」