「幸せについて」
その9 大きな幸せ

「大きな幸せ」というと、何を思いだすでしょうか?
 自分の夢や大きな目標を達成すること、愛の獲得(相思相愛の関係/結婚など)、得難い何かを手に入れること、貴重な経験をすることなどが多いのではないでしょうか。

 そもそも、幸せの大きさとは何で決めるのでしょうか?
 得られるものの価値の大きさ。金額/地位の高さなど。
 得るためにかかる労力や時間や金額の大きさ。
 人や社会からの評価の大きさ。
 めったにないこと/人にできないことなどの希少価値。

 他にも決定要素があると思いますが、本人が感じる幸福感の強さがいちばんの基準ではないかと思います。自分が大きな幸せを感じられると思えるのなら、それが自分にとっての大きな幸せです。

 その3「幸せな人生って?」で、「日々小さな幸せをいくつも感じ、時々中ぐらいの幸せを感じ、たまに大きな幸せを感じられる可能性のある人生」というのを提案しました。
「大きな幸せを感じられる可能性のある」としているのは、大きな幸せを求めても得られない場合もあるけれど、それでもいいのではないかということです。
 大きな幸せを感じられる「可能性がある生き方」と「可能性がない生き方」と、どちらがいいでしょうか?
 大きな幸せを得られる可能があるほうが、希望をもって明るい心で生きられると思うのです。

 大きな幸せだと思えることと、大きな幸せを感じられることは必ずしも一致しません。大きな幸せと思っていたものを手に入れた時に、強い幸福感を得られるかどうかは、その人の幸せを感じる能力によるところが大きいからです。
 大きな目標を達成してもあまり幸せを感じられない人もいます。大きな幸せを手に入れたはずなのに幸せを感じて暮らせない人もいます。

 ほとんどの人がもっている大きな幸せがあります。健康/まわりにいる人/ふつうに生活できるお金とそれを得られる仕事/自由などです。
 失った時にその幸せの大きさに気づく人は多いと思いますが、それを知り、それを幸せに感じて暮らせる人は少ないと思います。でも中には、「生きていること」を大きな幸せに感じられる人もいます。
 自分がすでにもっている大きな幸せから強い幸福感を感じることは難しいと思いますが、日々小さな幸せを感じることは心がけしだいでできると思います。

「夢も希望もない」というような暗い気もちで生きるより、夢や目標をもって大きな幸せを感じられる可能性があるイキイキとした生き方ができたほうが、幸せだと思うのです。

   

「幸せについて」目次

幸福論のページ

幸せのホームページ