「幸せについて」
その12 私は××だから、幸せになれない

「私は××だから、幸せになれない」と思ってしまっている人もいます。
 自分の求める幸せが得られないから、自分の幸せがわからない・見つからないから、自分は恵まれていないから、過去に不幸な出来事があったから、○○ができない・苦手だから、自信がないから、・・・。

 自分の求める幸せがなかなか得られなくても、出会いやチャンスを探しながら努力を続ければ、いつか得られる可能性はあります。大きな幸せはそう簡単には手に入らないものです。
 自分には得られない幸せもあります。でも、得られる幸せもあるはずです。幸せはたくさんあるのですから。一つの幸せにとらわれずに、いろんな幸せを求めたほうがいいでしょう。

 自分の幸せがわからなければ、自分の幸せを知ろうと努力すればいい。
 自分の幸せが見つからなければ、自分の幸せを探せばいい。
 自分の生きがい/夢/自分に合う仕事/やりたいこと/恋人/いい友達/自分をわかってくれる人/自分を受け入れてくれる場なども、一生懸命に探し続ければきっと見つけることができると思います。

 家庭/学校/職場/社会に問題があっても、その中の誰かに問題があっても、過去に不幸な出来事があっても、今の自分にできる幸せになる方法はいろいろあるはずです。また、これからの自分の努力で変えていけることもあるのではないでしょうか。

 自分は弱い/暗いなどの性格の問題、仕事ができない/人づきあいが苦手などの自分の能力の問題、自分の身体的な問題やコンプレックス、なかなか直らない自分の悪い癖などがあったりしても、あまり気にすぎないほうがいいでしょう。そのために「自信がないから」と、幸せになれることをしなくなってしまうのはよくありません。
 自分の問題は、人から見たらたいてい大してことではありません。自分が気にしすぎなければ、それほど問題はないのです。

「自分は××だから」という幸せになれない理由を、今自分が幸せになる努力をしない言い訳にしてしまっているのではないでしょうか。それは主に自分に対する言い訳です。そしてそれは、自分にとってよくないことです。
 生きていく中では様々な悩みや問題があると思います。大変なこと・つらいこともあるでしょう。でもそれを幸せになる努力をしない言い訳にしてはいけないと思うのです。
「自分は××だから」という理由と、「自分が今幸せになる努力をしていないから」という理由と、どちらが大きい幸せになれない理由なのでしょうか?

「私は××だから、幸せになれない」と考えて生きるのと、「努力すれば、少しずつ幸せになれる」と考えて生きるのと、どちらがいいでしょうか。

   

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