幸せの青い鳥は、幸せに暮らす習慣

 「“幸せになる”ということは、“幸せに暮らせるようになる”こと」と言ったら、あなたはどう思うでしょうか? (納得?/当たり前?/ガッカリ?)

 「幸せになるためには?」と問われれば、何かを手に入れることを考えるのがふつうだと思います。
 出世・成功/いい仕事/いい人との出会い・恋愛・結婚・子供/夢や目標の達成/マイホームなどの物/お金・高収入/・・・など、幸せの対象を手にすれば幸せになれる、と。

 では、その何かを手に入れるまでは幸せにはなれないのでしょうか?
 その何かを得られなかったら永遠に幸せにはなれないのでしょうか?
 その何かを手に入れたらずっと幸せでいられるのでしょうか?
 その何かを失ったら不幸になってしまうのでしょうか?

 幸せになるためには「幸せに暮らす習慣」が必要ではないかと思うのです。幸せに暮らす習慣とは、日常生活の中で幸せを感じる習慣、自分の気分をよく保つ習慣、不幸になる考え方をしないようにし幸せになる考え方を心がける習慣、幸せになる方法を考え・実践する習慣などです。

 幸せの対象を手に入れるように努力することも幸せになる方法の一つです。でも、それだけでは幸せの対象を得られない限りは幸せにはなれません。幸せの対象を手に入れたとしても、だんだんそれに慣れて当たり前だと思うようになって、幸せを感じられなくなってしまうのではないでしようか。幸せの対象を得ても、何か問題があるとすぐに不幸になってしまう人もいるでしょう。
 幸せに暮らす習慣がない人は、幸せの対象を手に入れても、幸せになれるのは一時的なのではないでしょうか。

 ほとんどの人は現在の生活の中でそれなりに幸せに暮らせるようになれると思うのです。そのためには、ささやかな愉しみや喜びを大切にし、小さな幸せを感じられることが重要です。何か問題があっても、あまり悩み苦しまないようにし、できるだけ気分よく過ごせるように心がけられたら、と思います。

 幸せの対象を求める努力と幸せに暮らせるようになる努力の両方をするのがいいのです。そうすれば、日々小さな幸せをいくつも感じ、時々ある程度の幸せを感じることもできるようになれるでしょう。幸せの対象を手に入れる前にもそれなりに幸せに暮らせ、手に入れたら大きな幸せを得られ、もし失ってもまたそれなりに幸せに暮らせるのではないでしょうか。

 「幸せの青い鳥は、幸せに暮らす習慣」ではないかと思うのです。


   

幸せに暮らす習慣

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